3-7 二つの駒袋
それから3週間は何事もなく過ぎた。僕は真倫さんの〝捜査〟に付き合わされることなく、ちゃんと試験勉強をし、無事に単位を取ることができた。真倫さん自身はどうだったんだろうか。僕が心配するまでもないことかもしれない。
それより、試験が終わってからミス研のEくんに聞いた、真倫さん(麻生雅子さん)の過去の話の方が気になる。
「以前から
「もしかして自分がホームズの立場として?」
「そう。それも語り手以外の役割。傍観者はもはや論外として、探偵をどれくらい助けるべきか」
ちなみに傍観者の代表はポーの『モルグ街の殺人』の〝私〟。探偵オーギュスト・デュパンの推理をただ聞くだけで、一緒に探偵活動をすることはない。
その点、ワトスンはホームズと行動を共にすることが多く、医学的知識を役立てることもある。しかし彼自身の分析では「(ホームズの)知性の砥石であり、刺激剤」(『這う男』より)であると。ホームズが事件についてワトスンに向かって独り言のように話しているうちに、勝手に真相を思い付くということだ。
別の例。ポワロにおけるヘイスティングズは、自身は全く意図せずにポワロにヒントを与える役割を担う。また読者に対する役割を持つのが特徴的。勝手な推理を展開して、ミスリードするのだ。
しかし麻生さんは基本的に〝ワトスン不要派〟であるらしい。探偵が推理力と共に広範な知識を持っていれば、その他の役割はいろんな登場人物にばらけさせてしまえばいいと……
「噂では過去に彼女のワトスン役を務めてた会員がおるんやけど、何かようわからん理由で会をやめてしもうて、以来彼女は不要派になったと……」
「その理由は知らんの?」
「彼女も、他の4回生も、OB・OGも話してくれへんからなあ」
僕もそのうち同じ運命をたどるのだろうか。今の僕の役割を真倫さんに直接聞いておいた方がいいのかもしれない。
その真倫さんから、フィードバック最終日の前日にメッセージをもらい、金曜の3時にボックスへ来るようにとのこと。事件が解決できるのだろうか?
指定された時間に行くと、真倫さんと一緒にいたのは銀沙さんだった。あれれ、今日が〝死刑の宣告〟の最終日なのでは? 郵便はまだ届くような時間じゃないはず。
そして僕の直後に玉田部長が来て、同じように驚いている。
「ご心配なく。警察ともちゃんと相談しましたから」
明るい表情で銀沙さんが言う。脅迫状を何通も受け取っていた人とは思えない。
「さて、玉田部長に確認してもらいたいものがあって」
長机を囲んで座ると真倫さんが言った。ちなみに配置は、真倫さんの横に僕、角を挟んで銀沙さん、さらに角を挟んで(つまり真倫さんの向かいに)部長。変な配置だが、まあいい。
「何ですか?」
「将棋の駒よ。銀沙さん?」
真倫さんが言うと、銀沙さんはブランド物のショルダーバッグ(通学用だろうが、それもファンからのプレゼント?)から駒袋を取り出してきた。赤と緑の二つ。どこかで見憶えがあるような。
「まず赤の方を」
続けて真倫さんが指示をすると、銀沙さんはハンカチを机の上に広げ、赤の駒袋を開いてハンカチの上に駒を振り落とした。そしてハンカチごと部長の方へ手で押しやる。
「銀沙ちゃんが普段使ってるものですか。これがどうかしました?」
部長は怪訝そう。ちなみに彼もやはり普段は銀沙ちゃんと呼んでいるらしい。この前、南瀬さんと呼んでいたのは対外的に気を使ったのだろう。
「よく見て。手に取っても構わないわ」
「はあ……ええ感じですね。よう使い込まれてるけど、ちゃんと手入れされてて」
「それだけ?」
「何です? 高価なものなんですか? まさか値段を当てろとか……」
「将棋部の名人駒と比べてどう?」
「そういえばあれもこんな感じで……え? えっ、まさか……」
「部長がわからないようでは、取り戻しても意味がないわね」
真倫さんがクールに言い放つと、部長は視線を駒から真倫さんへ移し、その拍子に持っていた駒をぽとりと落としてしまった。
「いや、す、すいません。最初はわかってなかったけど、これはうちの名人駒ですよ! 駒袋は違いますけど……どうしてこれを銀沙ちゃんが持ってるんです?」
「もちろん彼女が盗んだんじゃないわ。ファンからプレゼントされただけ」
「盗んだ奴がプレゼントしたんですか?」
「さあ、本人が盗んだと思っているかどうか。しかもそれは先月じゃなくて、4月の頭のことなの」
「えっ、ど、どういうことです?」
部長の驚きぶりがすごいけど、僕も密かに驚いている。解決どころか、駒を取り戻してたなんて、真倫さんは一言も言ってくれてないし!
「入学式の日に銀沙さんは早速入部して、その時にはOBもたくさん駆けつけたのよね?」
「そうですよ。OBからぎょうさん問い合わせが来たので、そういうことに……」
「その時に、名人駒を寄贈したOBも来たんじゃない?」
「ああ、来てました。不動産会社の社長の……」
「入学式が終わるまで皆さんが部室に集まっていて」
「そうです。よう知ってはりますね? 見てたみたいに……」
「そのOBは、自分が寄贈した駒を久しぶりに見たいと言って、銀沙さんが来るより前にロッカーから駒を取り出したんじゃない?」
「さあ、俺は見てませんけど……そういえば銀沙ちゃんに見せる前に出してあった気が」
「その時に彼は、少々安い駒とすり替えてしまったのよ。そして高級な方を後で銀沙さんにプレゼントしたの」
「えー、まさか!」
部長は椅子から飛び上がりそうなほど驚いている。僕はそこまで態度に表さず驚いていた。部から取り戻してって、ちょっとせこくない? 新しく買えばいいのに……
あっ、もしかしてそのファンって、不動産会社の社長ということは、銀沙さんにマンションの部屋を斡旋した人でもあって……そうか、それでちょっと〝節約〟したのか。
「でも、そうでなければ銀沙さんが名人駒を持っていることの説明が付かないわ」
「それは確かに……でも棋具係が気付かんとは……あ、そうか、4月に替わった直後で、ほとんど見たことがないから……」
「たぶんそうね。引き継いだ日には本物だったけれど、特徴をよく憶えていなくて、次に見た時に気付かなかったんじゃないかしら」
「新入生に見せた時も、上回生は近くで見てなかったからな……いや、でもその後で実際に盗んだ奴がおるんですよね? すり替えられた安物の駒を」
「安物と言うほどではないようよ。銀沙さん?」
また真倫さんの指示で、銀沙さんが緑の駒袋を開く。そして駒をハンカチの上へ(真倫さんのハンカチ)。
駒を見せられた部長は「確かに単なる安物ではなさそうですね。名人駒によく似てる」。それから顔を上げて真倫さんに訊いた。
「これがそうなんですか? ほんでこれも銀沙さんが持ってた?」
「そう。ただし盗んだ物をプレゼントされたのではなく、表向きは期限付きの貸し出し。銀沙さん、そうね?」
「はい」
「それはどういう……」
真倫さんの代わりに銀沙さんが答えた。
「飛鳥ちゃんから受け取ったんです。部に戻ってくる時には返して欲しいって言われて。ただ〝こっそりと〟っていう条件付きでしたけど」
「えっ、まさか彼女が!」
部長は立ち上がりそうなほど驚く。しかし「彼女にロッカーと金庫の鍵を開けられるわけが……」と訝りの表情。それには真倫さんが答えた。
「共犯がいるのよ。その前にまず動機を明らかにしておくわ。銀沙さんが部室に来なくなったので、飛鳥さんは何かつながりが欲しいと思った。だから部の駒を貸し出した。ネットのつながりよりは、実体があるということで。しかし発想に少々飛躍があるわ。将棋初心者の飛鳥さんが考え付くようなことじゃない。とすると示唆した人がいるはず」
「それが駒を盗み出した共犯?」
「そう。金庫の鍵の番号は、将棋に詳しい人なら類推できるそうだけれど?」
「まあそれは確かに……ロッカーの方は部員にはバレバレやし……」
「そして共犯者には密かに別の目的があった。貸した駒を返してもらった時に、手に入れること。綺麗に手入れしたものを銀沙さんが使うわけだから、彼女だけが触った駒と言っていいわ。それはファンにとってプレミアアイテムのはず」
「確かに。何なら彼女に渡す前にもう一度手入れしておけば……」
部長が気持ち悪そうな表情で言ったのだが、もう誰がやったかわかったのだろう。もちろん僕も。
「そうなると、銀沙さんに〝脅迫状〟が送られたのも計画のうちということになるわ。彼女を部に来られなくして、その間に部の駒を使う期間を作るというのが理由。彼女が休むことを強く推奨した人がいるのよね?」
真倫さんは敢えて名前を言わないが、桂木くんであることは明らか。しかしここで部長から指摘が入った。
「でも試験休みに入る前に駒の手入れをするのは、あいつも知ってるはずですよ? なんですぐバレるような計画を」
「いいえ、彼は代わりの駒を用意したのよ。すり替えられた駒に、よく似たものを。それと駒袋の中身を入れ替えた。ところがその計画を他の誰かが知って、発覚するように敢えて駒箱ごと盗んだ。欲しくて盗んだわけではなく……」
「おおっ、そういうこと!? いや、ちょっと待ってください。えーと、桂木と飛鳥ちゃんは共犯なんですよね? 銀沙ちゃんを挟んで反目してるように見せかけて、裏では協力してたんや。ほんで発覚するよう仕組んだ奴は、その二人の悪事がバレることで、いなくなればええと考えてて……」
あーあ、部長、桂木くんの名前を言うてもーたわ。まあええか。銀沙さんも途中から気付いてたようやし。
でも二人のことを邪魔にしてそうな部員って……えーと、金内くん以外にもたくさんいるんじゃないかなあ?
「いや、ようわかりました。名人駒は無事戻ってきたし、後はもう俺がやりますわ。完全に部内の問題や」
部長は赤い駒袋を受け取り、名人駒を入れながら、銀沙さんに今日の部活動をどうするか訊く。銀沙さんは「今日はまだやめておきます」。
「最後の手紙が来る日ですし、警察に事情を話してから……」
「まあ、そやな……ほな、失礼します。ありがとうございました」
部長は出て行った。もう一組の駒を緑の駒袋に詰める銀沙さんに、真倫さんが訊いた。
「これからもいろいろとトラブルの起こりそうな感じだけれど、部活動は続けるつもり?」
「あ、はい、もちろん」
銀沙さんは顔を上げ、笑顔で答えた。しかし営業用スマイルのように見えなくもない。
「棋士の仕事は盤上だけとは思ってないですから。スポンサーとファンに上手にアピールしないと、対局料がもらえなくなっちゃいます。部活動は本当に間近にファンと接する機会でもありますから、いい経験になると思うんですよ」
「そうですか」
「角田さんなんて、私のこと嫌ってるみたいですけど、そういう人は本気の真剣勝負ができると思ってて。ちやほやされるだけより、ライバル視してくれる人がいるのは嬉しいですよ」
「そうですか」
真倫さんは平然と相槌を打っているが、僕は銀沙さんの考え方はけっこう打算的であると思う。しかし内容は理解する。
「それより、まだわからないことがあるんですけど」
駒を詰め終わってから銀沙さんが言った。その駒はどうするつもりなのだろう。買った人に返すんじゃなく、それこそ部に寄付したらどうかな。ほとんど触ってないんでしょ、それ。
「何かしら?」
「あの手紙のシケイって、何だったんですかね。嫌がらせの代わりに、別のことをするつもりだったような気がしてて」
「さあ、それは出した本人に訊かないとわからないけれど、別の意味があるとしたら〝恵みを施す〟と書く〝
「えー、そんな単語があるんですか。よく知ってますねえ」
「ダブルミーニングを考えるのは得意なの」
さすが推理作家。うちのクイズ研はだじゃれを考えるのが得意な奴ばっかりやけど、ダブルミーニングはなあ。
「名人駒が4月からすり替えられていたのは、どうしてわかったんですか?」
「この前、棋具店へあなたと一緒に行った時、店長に訊いたことを憶えている? 高級な駒を買い取ってくれるところはあるかって」
「ええ、たぶん無いっていうことでしたね。質に入れるくらいしかできないだろうって」
「答えを訊くためにわざわざ駒を買ってくれてありがとう」
「いえ、タイトル戦なんかで旅行する時の、〝お出掛け用〟の駒を買おうかと、前から考えてたので、ちょうどよかったんですよ」
二人であの店に行ったのか。真倫さんは〝予告〟を実行したわけだ。しかしどうして僕は誘われなかったのだろう。いや、別に誘って欲しかったわけでは……
「実際に、質に入れようとした人がいたとしたらどうかしら」
「勝手に名人駒を持ち出して、ですか? ……もしそれがすり替えられた駒だったら、借りられるお金が少ないんですよね。誰かがそんなこと言ってたんですか?」
いや、言ってないけど、それを知ってそうな人が一人いたわ。なるほどね、「20万円はない」って、そういう意味だったのか。
「申し訳ないけれど、私からは言えないことなの」
「教えてくれないんですか。私がミス研にも入って、今後も探偵のお手伝いをすることにしても?」
「いいえ。ミス研実践部は私と華斗くんの二人だけでいいの」
ぐさっ。この答えもクーデレ気味。ついに他人の前で出た。しかしそうなると僕の役割は……
「そうですか。この前も訊こうと思って遠慮したんですけど、お二人はただのパートナーなんですか? それとも恋人どうし?」
訊いてくる銀沙さんの目は、興味津々。しかし真倫さんは答えない。ただ、その得意気な表情は何なんです? 銀沙さんの視線は僕の方へ。
「どうなんですか?」
「……申し訳ないけど、僕からは言えないことなんです」
他にどう言えばええんや!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます