3-5 にわかと勝負師
しかししばらくして入ってきたのは、予想と違って女子だった。ドアを開け、こちらに二人並んで座っているのを見て、少し驚いた様子。たぶん、探偵が女性であることが意外だったのだろう。
「1回生の佐藤
飛鳥って、下の名前か! 佐藤って他に何人おるんやろ。
それはともかく彼女は肩までの茶髪をゆるふわにし、花柄のシャツもゆるふわ。そしてベージュのキュロットパンツという、1回生にありがちなファッション。メイクもまだ慣れてない感じ。僕と真倫さんを交互に見ているが、ちょっとイライラしている様子。やはり早く帰りたいのか。
「南瀬さんのファンとのことだけれど、将棋はいつから指してるの?」
「今年の4月からでぇーす」
大学生になってから始めたんかい!
聞けば、4月に将棋部がキャンパス内で勧誘をしていたところへ通りがかり、南瀬さんから直接勧誘されたので入ったとのこと。南瀬さんは4月の頭から入部しており、新入生なのに勧誘活動もやっていたということか。まあ強力なアイテムではある。
「まだ初心者なんやけどぉー、銀沙ちゃんがめっちゃ親切に教えてくれるからぁー」
あかん、こんなたるいのは聞いてるだけで疲れる(以下、適宜補正します)。しかし真倫さんは涼しい表情で質問する。
「彼女に嫌がらせをする人に心当たりは?」
「全然ないです。でもきっと他の大学の将棋部の人と思います」
「どうして?」
「だってどこも彼女が入って欲しいに決まってるやないですか。うちをやめさせて勧誘しようと企んでるんですよ。他の大学の部に入るのって自由ですし。どこにも行って欲しくないですけど」
「彼女が部活動を休むことについてはどう思う?」
「私はめっちゃ反対したんですけど、みんなが休んだ方がいいって言って、そうなったんです」
「どうして反対したの?」
「だって彼女が来なかったら、私が来る意味がないやないですか」
「彼女に教えてもらえないから? でもネットで指せるのよね」
「そうですけど、やっぱり顔を見ながら指してもらう方が楽しいし」
「ではあなたも部活動を休んでいるの?」
「それは今日だけです。昨日まではちゃんと来てました」
「彼女とネットで将棋が指せるから?」
「そうです。離れていても心は繋がってますから」
「彼女のマンションの部屋へ行ったことは?」
「ありますけど、1回だけです。マンションの前で警察が見張ってて、質問されるんです」
「トラブルが解消すれば彼女も来られるから、あなたも安心して部活動ができるわね」
「そうですね。フィードバックが終わるまで我慢すれば」
「その時に解決するの?」
「え、違うんですか? その日で終わりって、銀沙ちゃんも部長も言ってましたけど」
確かに、最後の手を指したら詰将棋は終わりで、何らかの動きはあるはずだけど、無事に終わるという保証はあるのかね。実は南瀬さんには別途何らかの要求が届いてて、それに応えなければ……ということになっているかもしれないのに。
「彼女が将棋のイベントに出演する時は見に行く?」
「近くでやる時だけです。先月、名人戦の解説会で大阪の将棋会館へ見に行きました」
大阪のは関西将棋会館な。もうすぐ高槻に移転するけど。
「他には」
「それだけです。夏休みになったら行くつもりです。銀沙ちゃんが教えてくれます」
「将棋を指す以外に、彼女に何かしてもらったことは」
「色紙と扇子をもらいました! 自分の部屋に飾ってます」
「駒や盤はあなたの部屋にもある?」
「弟が昔買ってもらったのをもらいました。もう使わへんからって」
「高い駒を買いたいと思う?」
「そんなんいりません。家ではほとんど指さへんし。詰将棋を考える時だけ使うんです」
普通は頭の中で指し手を進めるんだけど、初心者は盤上で並べないとできないよな。
「南瀬さんへの手紙に書かれていた詰将棋は知っている?」
「知りません。30手以上もかかる詰将棋なんて、絶対解けませんし」
「将棋部にある名人駒を見たことは?」
「え? えっと……」
おや、なぜ彼女は動揺しているのだろうか。話が急に変わったから?
「新入生は一度は見せてもらうそうだけれど」
「あっ、そうですね。見たことあります。……銀沙ちゃんは前にも見たって言ってました」
「どこに置いてあるか知っている?」
「えっと、ロッカーの金庫? ロッカーも開けたことないですけど。番号知りませんし」
「そう」
そしてなぜか真倫さんは黙り込んだ。飛鳥さんは居心地が悪そうにしている。
「えっと……」
「戻ってくると思う?」
しばらくして焦れた飛鳥さんが口を開いたが、それを制するかのように真倫さんが訊いた。タイミングを見計らっていたかのよう。
「えっ、何がですか? あ、銀沙ちゃんですか。はい、そういう約束ですから」
「あなたと約束したの?」
「あ、はい。……それにみんなと」
「わかったわ。ありがとう」
真倫さんが礼を言うと、飛鳥さんはそそくさと帰っていった。たぶん、将棋部の部室へは寄らずに直帰すると思うので、真倫さんと相談して、僕が行くことにした。もちろん、玉田部長に「次、お願いします」と言うため。
「彼女のことで何かある?」と部長が訊いてくる。それも真倫さんと相談済み。
「一つだけ。彼女と桂木くんって〝南瀬ファン〟として競ってたりします?」
「はは。お互い邪魔そうにしてるだけやな」
部長は軽く笑いながら言った。〝ライバル関係〟であると認識しているようだ。
そして最後は
しかし視線はどことなく鋭くて、賭け将棋で生計を立てる真剣師のよう。もちろん今の時代に真剣師はいないし、僕も真剣師をモデルにしたドラマで見たことがあるだけ。
その金内くんは、「はあー」と大きくため息をつきながら、向かいの椅子に座った。
「何のご用でしたっけ」
「新入生の南瀬銀沙さんが、手紙による嫌がらせを受けている件について、少しお話を訊きたくて」
「ああ、あれ。可哀想な話やけど、俺は関係ないし」
「誰が手紙を出しているかについても心当たりがない?」
「全く。そもそも意味あんのか、あれ。なんで35日も前から予告する必要があんの。それにどうやって死刑にするつもりなんやろ。将棋でコテンパンに負かす方がショックなんちゃうの」
「彼女と指したことがある?」
「あるよ。2回。新入部員の実力テストと、A級リーグ戦と」
「結果はどうでしたか」
「1勝1敗。4月は勝ったけど、こないだは負けた。強いね。実戦的」
終盤の、混沌とした局面になってからが強いということだ。難しい局面で、正解かどうかわからない〝勝負手〟を繰り出してくるタイプのことを言う。さすが真剣師の評価。いや、そうじゃないか。
「トラブルが解決したら、彼女は戻ってくると思う?」
「さあ。でも戻ってくる方が、部としてはええやろね。人数が多い方が活気が出るし。チャラチャラしたのがおると嫌になるけど」
将棋を指さない〝単なるファン〟はいらないと暗に言ってるね。実はクイズ研でも同じで、部員がテレビのクイズ番組に出場すると、例会の場へそいつを見に来る人がいたりする。うちでは事例が少ないけど、関東の大学ではよくあるらしい。
「A級リーグ戦で負けたとのことだけれど、勝っていたらあなたがタイトル戦に出られたの?」
「勝ち星的にはそういうことになる。1勝差で3位やったからな。まあ、次は勝つ」
「タイトル戦では高価な駒が使われるそうね」
「ああ、あれ。でも、盤がね。もっとええ盤なら指し心地もええと思うけど」
「指したことがある?」
「あるよ。今年の1月に。昨年度の下期のタイトル戦。負けたけど」
「以前、盗まれかけたことがあるらしいけれど」
「へー、誰から聞いたん、それ」
「答えられないわ。情報ソースは隠すことになっているから」
「あ、そう。でも、あると思うよ。俺も聞いたことがある。でもだいぶ前や」
「どれくらい前?」
「俺が入る前の話やと思うなあ」
「20万円の価値があるそうだけれど、盗んでどうすると思う? 自分の物にすれば満足なのかしら」
「好きな人はそうとちゃうの。そうやなかったら……でも、20万円はないんちゃうかな」
そして金内くんは何がおかしいのか「ふふん」と鼻で笑った。何か知ってるのだろうか。真倫さんはそれを訊き出すことが……
「わかったわ。ありがとう」
あれ、もう終わり? 他の3人に比べて、ずいぶんあっさりしている。しかし金内くんの方が出て行かない。急に真倫さんのことを見つめ始めた。
「おたく、誰やったっけ」
「すいません、自己紹介していませんでした。ミステリ研の葉色真倫です。玉田部長から聞いたと思っていたので」
「ふーん、
金内くんはようやく帰っていった。しばらくして部長が来る。真倫さんの質問は「彼が一番怪しいと思った理由は?」。
「あいつ、人からしょっちゅう金を借りたり、物を借りたりして、さっぱり返さへんのです。部員だけやなくて、他の友達にもですわ。口癖は『金ない、金ない』で。そやからあいつのこと〝カネウチ〟やのうて〝カネナイ〟て呼ぶ奴もおって」
名前でダジャレかい!
しかしそれだから高級将棋駒を盗むかも、っていうことか。真倫さんも訊いてたが、盗んでどうするんだろう。質にでも入れるのかね。
「わかったわ。今日はこれでいいけれど、南瀬さんにも話を聞いてみたいので、会えるように取り計らってもらえるかしら。できれば明日、彼女のマンションの部屋で」
「ええっ、なんで彼女に会う必要があるんです? 解決して欲しいんは駒のことやのに……」
しかし真倫さんが部長に電話をかけさせたら、南瀬さんが興味を持ったらしく「会ってもいい」と言ってくれたのだった。もちろん興味があるのは〝探偵〟という存在。
真倫さんが住所も訊く。あー、僕は聞かなくてもいいです。
「何言ってるの、君も一緒に行くのよ」
ええっ、なんで僕が彼女に会う必要があるんです?
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