3-4 将棋マニア

 しばらくして玉田部長がやって来た。座る前から「何ですか」と訊いてくる。

「角田くんのことで少し訊いておきたくて。彼はどうして南瀬さんを嫌っているの?」

「本人には訊かへんかったんですか」

「たぶん言ってくれないだろうと思ったから」

「俺が言うたことは、彼には言わんといてくださいよ?」

「もちろん」

 それでも玉田部長は一瞬躊躇してから口を開いた。

「単に、将棋が強い女の子が嫌いなんです。彼は小学6年生で奨励会の試験を受けたことがあって、落ちたんですが……」

「それは聞いたわ。その時に何か?」

「試験では奨励会員との対局があって、3局中1局でも勝てば合格なんですが、2局負けた後の3局目の相手が女の子で、勝てると思ったのに粘り倒されて負けたそうです。それが相当悔しかったらしくて」

 将棋の強い男の子が奨励会を受験するのは、小学5年生くらいからだろう。何回落ちても年齢制限(19歳)までは受験できるはずだが、悔しさのあまり一度で諦めたのだろうか。

「ということは南瀬さんだけでなく、他の女子部員のことも嫌いなのかしら」

「まあ、そうですね。話すこともほとんどないですし。だから女子の方からも……と、そこは察してもらえれば」

「わかったわ。では次の人を」

「盤駒に詳しい、3回生の桂木という男ですが、どういう人物か先に話した方がいいです?」

「いえ、先入観なしで話を聞きたいので、また後で」

 一人の話を聞く毎に部長が来ることになるが、依頼者なのだから仕方ないだろう。部長が出て行ったら、しばらくして丸顔に銀縁眼鏡で小太りの男が入ってきた。暑い季節とはいえ、額のテカり方が尋常でない。Tシャツの湿り具合も半端ない。これでTシャツの絵柄が2次元少女ならアニオタかと思うところだが、大きな〝銀〟の字が斜めに傾いていた。しかも駒によく使われそうな書体。

 盤駒について詳しい人のはずだが、おそらくは将棋界全体についても詳しく、なおかつ〝女流プロのファン〟でもあるに違いない、という気する。

 そして入ってきた途端に真倫さんを凝視して「おっ」と言いたそうな表情になる。外見が彼の好みに適ったか。「どうもどうも」と言いながら椅子に座ったが、横へ移動させて真倫さんの真正面へ。視線も真倫さんに固定されたままになった。僕の存在はたぶん目に入ってないだろう。

「こんちは、桂木です。探偵なんですか?」

「この場では、そう。ミステリ研の葉色真倫です。初めまして」

 僕の自己紹介は必要ないと思うので黙っておく。

「さすがに探偵らしい顔してはりますわ。それで、銀沙ちゃんのことについて何を聞きたいんです?」

「彼女は今、大変なことになっているそうね」

「そうなんですよ! 関西に移ってきたばっかりやのに、ほんま可哀想ですわ。彼女はこの3月までは関東所属やったんですけど、うちの大学へ通うことになって、関西に移籍したんです。まあ関東におる頃から、というか女流棋士になった頃から大人気で、心ないファンがよう迷惑かけてましたけどね。将棋のイベントがあると、彼女の周りだけファンの数がすごいんですよ! 色紙や扇子にサインをもらったり一緒に写真を撮ってもらったりするために列ができますし、プレゼントをあげてる人もいます。ファンレターを出すのに彼女の自宅まで押しかける人もいてたらしいですよ。家族と一緒に住んでるのに、ほんま迷惑ですよね。住所わかってるんやったら、郵便で送ったらええだけやのに。こっちではマンションで一人住まいしてますけど、部員の一部にしか住所を知らせてないんです。僕も一応知ってますけど、他人には絶対漏らさへんようにしてますよ」

 そんなに熱を入れてしゃべらなくても。典型的なオタクやな。知っていることを全部話したがる。どのジャンルにも共通する特徴。もちろんクイズ研にも同じタイプが……僕は他人から見てどうなんだ? 自信がなくなってきた。

「では、あなたは彼女が大学に入る前からよく知っている……以前に何度か会ったことがあるのね?」

「そうです、何べんも。女流棋士になってからずっとチェックしてます。コロナでしばらくイベントが少なかったですけど、この2年間で6回は行ってます。いや、7回かな? ええと……」

「いえ、数えてもらわなくて結構」

 桂木くんが指を折って数えようとするのを、真倫さんが制する。桂木くんは「なぜ止める」とちょっと不満そうな表情。それにしても真倫さんは鋭いな。女流プロのファンが、将棋イベントへ行くことに気付いたんだ。

「とにかく彼女には、迷惑をかけるほど熱狂的なファンがいるということね?」

「そうです。みんな彼女を独占したがるんですよ。指導対局で指してもらった後に、多面指しやからまだ他の人が指してるのに、自分だけ彼女に延々と質問を続けたり……」

「今回、彼女が部活動を休むことを、あなたも賛同した?」

「はい、もちろん。彼女の安否が最優先ですから。他は対局と学業を優先してもらって、クラブ活動はできなくてもしかたないです。それ以前は彼女はほとんど毎日来てて……」

「でも対局はネットでできるそうね」

「ああ、それだけはよかったですね。ただ、練習対局は自由に指しますけど、リーグ戦は立ち会いが必要やって言い出す人がいて」

「カンニング防止という意味?」

「もちろん、そうです。彼女がカンニングなんかするわけないですけどね」

 この場合のカンニングとは、将棋のコンピューターソフトの指し手を参考にすることを言うのだろう。将棋ソフトの実力は10年ほど前にプロ棋士に並び、5年前には超えたとされているはず。そしてプロの対局でもカンニングが疑われた事例がある。アマなど勝負にならないくらい強い。

 囲碁ソフトもプロ棋士を超えたと言われるらしいけど、クイズでコンピューターが人間を超えるのはいつだろうか。早押しの〝先読み〟がAIでできるかどうかがポイントかな。

「つまり彼女のマンションの部屋へ誰か立ち会いが行く必要があると?」

「実際、行ったんですよ。棋具係の香子ちゃんが。と言っても、先週の1局だけかな。リーグ戦の最終戦で、トラブルで何日か延期されてた分の」

 桂木くんが少しだけ顔をしかめた。何だ、その表情。彼女のカンニングが疑われて悔しい? 違うな。自分が立ち会いに行きたかった、じゃないか。Tシャツの〝銀〟の字といい、彼も彼女の熱狂的なファン、いやオタクなんだろう。

「将棋界だけでなくファンにも詳しいようだけれど、彼女に嫌がらせの手紙を出してくるようなファンに心当たりは?」

「そんなん、いっぱいいすぎて絞りきられへんくらいですよ。言うても、僕が名前を知らない人も多いですけどね。世代が違うと挨拶くらいしかしませんから。まああんな古い詰将棋出してくるんやから、おっさんちゃうかと思ってるんですけど」

「彼女はずっと年上の人にも人気があるのかしら」

「めちゃめちゃあります。というか、馴れ馴れしいのはおっさんが多いんです。特に関西は。もちろん彼女は誰にでも愛想よくしてますけどね。将棋はファンがあって成り立つ仕事ですから。そういう意味ではうちでもファン向けの企画があって」

「それはどういう?」

「彼女の揮毫をTシャツにプリントして、今年の学園祭で売り出す予定なんです。僕が企画したんです」

「キゴウ?」

「え? ああ、色紙に書くような文字のことですよ。将棋だと、2文字とか4文字の熟語を真ん中に書いて、段位と名前を横に添えるんです。彼女が最近よく書くのは〝広大無辺〟です。去年までは〝無極〟でしたけど」

「そのTシャツも?」

「いや、これは将棋会館で普通に売ってるんです。ファンの間では彼女の非公式グッズとして認識されてます」

 桂木くんはTシャツを少し広げるようにして、嬉しげに見せつけてきた。しかし引っ張らなくても最初からよく伸びている。

「心配の様子がよくわかったわ。ところで、将棋部の名人駒についてだけれど」

「え? なんでそんなこと訊くんですか?」

 真倫さんの言葉に桂木くんは急に真顔になった。意外、という感じ。

「20万円の価値があるというのは本当?」

「ええ、まあそう言われてますけど。でもそれは売り値ですよね。今の価値というわけでは……」

「その駒で指したことは?」

「いや僕はそんなに強くないので、触ったことしかないです。新入生は見せてもらえるんですけど、その時にちょっとだけ。それでも、ええ物やというのはわかりましたけどね。竹風作やったかな。本黄楊の彫り埋め駒。書体は水無瀬みなせ。ちゃんと手入れもされてましたし」

 桂木くんは指す時の手つきをした。持って盤にことはあるが、対局したことはないという意味だろう。

 ちなみに竹風とは駒師の名前のはず。もちろん号だが、名字は憶えていない。

「欲しいと思う?」

「いやー、宝の持ち腐れでしょう。家で指す時でもネットばっかりですから」

「では例えば駒箱にあなたの好きな棋士のサインが入っていたら?」

「それ、駒の価値は上がってないですよね。まあ駒箱でも欲しいですけど、値段との相談ですね」

「わかったわ。どうもありがとう」

「あ、もういいですか。ほんなら」

 桂木くんは席を立って、真倫さんに頭を下げたが、その時になってようやく僕の存在に気付いたようだ。なぜそこにいるというような顔をしていた。

 彼が出て行った後で、僕は思わずため息をついた。いろいろな意味で疲れるタイプだ。真倫さんはよくしゃべらせたなあ。あまりにも熱が入っていたので、部屋の気温が上がった気がする。エアコンが利いてるはずなのに。

 ……いや、真倫さん、どうして手で顔をあおいでるんですか。やっぱり暑かったですか? 訊こうとしたら、玉田部長が入ってきた。やけに速い。

「桂木について何かあります?」

「彼は女流プロの〝追っかけ〟をしている?」

 超鋭い質問を真倫さんが放つ。玉田部長は苦笑い。

「ようイベントに行ってますよ。南瀬さん以外にも何人かご贔屓がおって。彼女がうちに入る前は、関西の山内さんがお気に入りやったんちがうかなあ」

 ああ、山内女流初段。彼女も大学生のはず。うちじゃない京都の大学。実力はまだこれからと思うけど、ルックスは南瀬さんに並ぶだろう。

「わかったわ。次は……」

「一番怪しいのをと思ってましたが、一番のファンを呼んでて、はよ帰りたい言うてるんで先にしていいです? 1回生の、飛鳥あすかというんですが……」

「もちろん構いません」

 えー、桂木くんよりファンがおんの? 疲れそうやなあ。

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