3-3 ロッカーの鍵番号

 香子さんへの聞き取りが途中だったので、続きを進める。ただし「(金庫の)中を見たら駒がなくて」ではなく「駒箱がなくて」が正しい表現である。

「一応、ロッカーの中を歩夢くんと隅々まで探しましたけど、見つかりませんでした。部長が知ってはるかと思って電話したんですけど、知らないと。すぐに来てもらって、3人でもう一度ロッカーとその近くを隈なく探したんですけど、ありませんでした」

「金庫の中には他に何か?」

「いえ、何も。以前は部費も入れてたことがあるみたいですけど、けっこう頻繁に開ける必要があって、そうすると番号が他の人に漏れてしまうかもしれないので、名人駒だけになったと聞いてます」

「金庫の大きさは?」

「手提げなんですけど……これくらい……」

 香子さんが手振りで大きさを示す。縦横が20センチ×30センチ、高さが15センチくらいか。そこに駒箱だけなら、スカスカだな。

「金庫自体は盗まれなかったのね」

「ええ、別に棚に固定してるわけじゃないんですけど……」

「理由はわかるわ。金庫ごと盗んだらすぐに気付かれるからよ。中だけを盗んだら、次に金庫を開けるまで気付かれない」

「あ、そうですね。だから私たちも今日まで気付かなくて……」

 香子さんが肩を震わせて、泣きそうな表情になる。

「ロッカーには他に何が?」

 真倫さんの質問に対し、相手は歩夢くんにバトンタッチ。短髪だが髪型にこだわらないらしく、ボサボサ。丸眼鏡をかけていて、目つきは神経質そうだがおそらく気弱なタイプだろう。で、その目つきでさっきから真倫さんを熱心に見つめているのは、美しさに惹かれてか。

「脚付き盤と手彫り駒です。どっちもそんなに高くはないですけど、普段は使わないので。トーナメント戦の決勝で使うくらいです。他には昔の本とか資料ですね。それも滅多に見ない物です。よく使う盤や駒、それに本は、鍵の掛からないロッカーに入れてます」

 鍵が掛かるのがロッカーやっちゅうねん。掛からへんのは単にキャビネットっていうんや。ロッカーも正確には〝鍵付きキャビネット〟な。

 で、とにかくどちらも隅々まで探したと。並んだ本の奥に隠されていないかも確認したと。それほどの作業を3人でして、よく〝駒が盗まれた〟のを他の部員に気付かれなかったな。三限の間だって、そこそこ人がいたんだろうに。

「状況はわかったわ。でも念のためにロッカーと金庫を見せて。ロッカーは開けてもらうけれど、金庫は開けなくても結構」

「わかりました」

 開けるのは歩夢くんに頼むことにして、他の二人は部活動に戻ってもらう。しかし玉田部長はともかく、香子さんは駒のことが気になって部活動に専念できないかもしれない。

 将棋部の部室へ行き、踏込みで靴を脱いで、畳に上がる。ロッカーとキャビネットは左手の壁際に1棹ずつ立っていた。ちゃんと転倒防止も施してある。右側が問題のロッカーで、よくあるオフィス用の、観音開きタイプ。それがコンビネーションダイヤル錠というのは少し珍しいかも。

 熱心に将棋を指す部員たちの間を抜けてそこへ行き、扉の前に歩夢くんが立つ。「開けるところを見ないでくださいね」と(やけに嬉しそうな顔で)言うので、横を向いておく。すぐに「開きました」の声がして、見ると両の扉を全開にしているところだった。

 棚は5段で、下から2段目にクリーム色の手提げ金庫。上蓋が開くタイプ。その横に駒箱がいくつか。下の段には脚付き盤が、置いてある。盤裏の四つの脚――くちなしという――がこちらに見えている。

 真倫さんはやはり最初に下から2段目を見て、次にその下、そして真ん中から上へと視線を移す。

「ロッカーの上は見た?」と歩夢くんに質問。

「はい、もちろん」

 答える歩夢くんはやはり嬉しそうだ。駒が盗まれたというのに。

 それから真倫さんはロッカーの右横へ。後ろの壁との間に隙間がないのを確認したのだろうか。そして僕を手招き。近寄ると「金庫の鍵を開けてみて」と耳打ちしてくる。

「え? でも……」

「私が彼の注意を引いているから、その間に」

 真倫さんは僕に答える間を与えず、歩夢くんを少し離れたところへ連れて行くと、何か話し始めた。

 鍵を開けてみて、って? どうして僕にそんな無茶なことを振ってくるのだろう。できると思っているのだろうか。

 ……思ってるんだろうな。おそらく、僕が持っている知識を活かせば開けられると。もちろん、将棋に関係する知識。

 コンビネーションダイヤル錠か。三つの数字を合わせれば開くタイプだろう。将棋に関する数字ねえ。何かあるだろうか。

 ロッカーの中をもう一度見る。金庫と盤駒の他には昔の資料。数字を書いたメモはもちろんなし。さすがにそんな不用心なことはないだろう。メモするにしても、棋具係が持ってるスマートフォンの中か。

 他には……例えば昔の資料の中に書かれた数字でも探せばいいのかね。過去の有名な対局に関係あるとか。大山対升田とか、谷川対羽生の名人戦で飛び出した〝妙手〟ならいくつか憶えてるものも……

 えーっとね。

 ちょっと思い付いたことがあるので、試してみようか。ダイヤルを、まず右に回すのか左に回すのかもわからないんだけど、右からで。

 2回転させてから数字を合わせて、次に左に1回転させてから数字を合わせて、最後に右に回して数字を……

 うっわ、開いたわ。マジか。

 将棋部員の考える数字って、やっぱりこういうのなんや。

 蓋を閉め、ダイヤルをぐるぐる回して鍵を掛けてから、真倫さんの方へ行く。無言だけど〝終わった〟のはわかってくれるだろう。

 真倫さんはすぐに話を終えて歩夢君に「ありがとう」と無表情に言ったが、歩夢くんは嬉しそう。君、真倫さんがタイプか。僕と替わってくれへんか。2代目〝志尊華斗〟も襲名させたるで。

 部長のところへ行き、声をかけて部室の外へ連れ出す。

「部員に話を聞くわ。さっきあなたが『心当たりがある』と言った人はいる?」

「ああ、はい、ちょうど来てますが……」

「それから南瀬さんを一番嫌っている人」

「はい? 彼女を?」

 部長は驚いているが、さっき真倫さんは「南瀬さんの件について訊く」って言ったんだから、そういう人を選ばないとね。ただ、それが盗難に関係するかというと、僕も疑問なんだけど。

「いないの?」

「いますけど……」

「それから、南瀬さんを一番好いている人。言い換えると、ファン」

「ファンって……」

「いないの?」

「いや、いますけど……」

 部長がしばし考え込む。10秒、20秒などと秒を読んであげた方がいいだろうか。

「今日は来てないんで、呼びます。少し時間がかかってもいいですか?」

「いいわ。後に回して。それから、駒や盤について一番詳しい人」

「いますけど、まだ他にも? あんまりぎょうさんは……」

「いえ、その4人だけで結構。順番は……そうね、南瀬さんを嫌っている人から」

「わかりました。話す場所はまたミス研の部室ですか?」

「ええ、先に行っているわ」

 部長は将棋部の部室へ戻り、僕と真倫さんはミス研の部屋へ。途中で真倫さんが「開いたのね」と訊いてくる。

「開きました。自分でもびっくりしました」

「どういう番号だったのかしら」

「76、34、26です。将棋の定跡というのがあって」

「わかるわ、もちろん。チェスにもあるもの」

「その一番代表的な、最初の3手です」

 棋譜にすると、▲7六歩、△3四歩、▲2六歩。互いに角道を開け、先手が飛車先を突いて、このあと後手も△8四歩と応じてることが多い。

 もちろん他にも代表的な出だしはいくつかあって、三つくらいは憶えていたので順に試してみるつもりでいたら、最初の一つでビンゴだったという次第。こんなところで運を使いたくなかった。

「君ならできると思っていたわ」

 おまけにまた真倫さんからクーデレ的に褒められるし。しかし、つい「ありがとうございます」と応じてしまう。

「つまり将棋の知識があれば、番号を知らなくても類推で開けられるということね」

「そうですね。定跡は誰でも知ってますし、数字の並びといえば思い付くでしょう。4月に番号を変えたって言ってましたけど、過去も同じような感じやったんやないですか」

〝将棋指しあるある〟ではないだろうか。キャッシュカードの暗証番号を〝7634〟にしているプロ棋士もいると聞いたことがある。

 しかしこれで「将棋部員なら誰でも」と容疑者が広がってしまった。それを狭めるために真倫さんは4人から聞き取りをしようというのだろうが、どうなるか。


 部室で待っていると、入ってきたのは髪を七三に分け、ウェリントン型の眼鏡を掛けた、いかにも頭がよさそうという感じの男子学生。真倫さんに劣らぬ冷たい表情で、こちらを値踏みするかのようにじろりと睨む。しかし真倫さんは落ち着いた声で「どうぞお座りになって」。

「南瀬のことを訊きたいそうやけど?」

「そうです。まずあなたのお名前を」

角田かくた

 3回生。副部長だそうだ。もちろんこちらも自己紹介をする。

「南瀬さんのことを皆さん心配しているそうね」

「まあね。でも、あんなしょうもないことをするのは将棋オタに決まっとる。有名人を困らせて嬉しがってるだけやろ。それやのに警察沙汰なんかにして」

 角田副部長は「けったくそ悪い(忌々しいの意)」という感じで吐き捨て、こちらと視線を合わさない。ついでながら、年上の真倫さんに対してタメ口なのだが、まあいいか。

「彼女が部活動を休むことについて、あなたは賛成した?」

「別に、休んでへんやろ。ほとんど毎日ネットで指してるがな。練習対局も、名人戦のリーグ戦も」

「あなたは彼女と指したことは?」

「リーグ戦で1局だけやな。それは当たるからしゃあない。でも休む前や。練習では指さへん」

「その時に勝ったのは?」

「もちろん俺や」

 ちょっと得意そうな顔で彼は言った。

「あなたは副部長だから強いということ?」

「役職と実力は関係あらへん。現に玉田はBクラスやからな」

「Bクラス……というのはリーグ戦のクラス? つまりあなたと南瀬さんはAクラス」

「新入部員は実力テストをしてクラスを決める。玉田が負けたから南瀬が入れ替わりにAに入っただけや」

「Aクラスでトップになった人が、タイトル保持者に挑戦する?」

「いや、上期は上位二人が三番勝負をする」

「今期は誰と誰?」

「俺と南瀬」

 副部長が、実に嫌そうな声で言った。対戦したくなかったというふうに聞こえる。

「三番勝負にはとても高価な駒を使うそうね」

「名人駒か。そんなんはどうでもええ。駒なんか何でも一緒や。そもそもの問題が片付かんかったら、番勝負もネットでやることになるかもしれんからな」

「高価な駒には興味がないの?」

「今言うたとおりや。だいたいあの駒もトラブルの元なんや。昔、盗もうとした奴がおるらしいからな」

「部員が?」

「さあ、そうやろうけど、先輩から聞いただけで、詳しいことは知らんわ」

「ところで、あなたはプロ棋士になろうとは思わなかったの?」

「奨励会の試験を受けたけど、落ちた。それだけや。でもそれは南瀬とは関係ないやろ。もうええか?」

「結構よ。ありがとう。玉田部長を呼んでもらえるかしら」

 しかし副部長は無言で、椅子を倒しそうな勢いで立ち上がると、荒々しい足どりで部屋を出て行った。

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