1-5 ハードボイルド探偵

 翌朝は朝から普通に通学。ただし自転車置き場の近くにいた清掃のおばさまに、〝白いトートバッグに入った不審物〟を見かけなかったか尋ねる。サンバイザーにマスクにエプロン姿のおばさまは、くぐもった声で「知りません」と無愛想に答えるだけ。昨日、持って帰った人が、朝来て置いていく可能性を考えたのだが、当てが外れた。しかしあと何度かは見に来たり周辺で聞いたりした方がいいだろう。

 講義の前に、文学部の同期何人かにミステリー研究会について聞いてみる。幸いにも一人、会員がいた。Eくん。こんな身近にいるとは思わなかった。

「三笠芙美なんて人、知らへんで。前会長は確かに女の人やけどな」

 しかしEくんは不審げな表情で言い放った。そんなアホな。容姿を説明する。

「あー、それやったら麻生さんやな。麻生雅子さん」

「なんで三笠芙美なんて名乗ったんやろ」

「わからん。もしかしたらその時、探偵の名前を考えてたんかも」

「探偵って……〝問題作成〟ってやつ?」

「そう。他の会員は、登場人物の名前をだいたいいつも同じにしてるんやけど……めんどくさいからな。でも彼女だけは毎回凝った名前を考えて、しかもキャラも変えて」

「三笠芙美なんて、凝ってるかな」

「偽書とされる古文書やけど、知らへんか。クイズ研のくせに」

『ミカサフミ』はヲシテという神代文字(漢字伝来以前の古代日本で使用されたとされる文字)で書かれた文献で、第12代景行天皇に上呈されたということだが、学会では相手にされていない。同様文献に『ホツマツタヱ』というのがあるそうだ。Eくんはクイズ研に雑学で勝っていると思ったか、得々と教えてくれた。

「〝穂妻蔦江〟ていう探偵を考え出したこともあるから、そのバリエーションやな」

「ベストにスラックスという探偵っぽい姿も……」

「たぶんコスプレや。ボックスのPCで、小説書いてたんとちゃうやろか。形から入る人やから」

「……もしかして苦手なん? 彼女のこと」

「その時はどういうキャラを演じてたか知らんけど、素はめっちゃ扱いづらいで」

 Eくんは半ば呆れたような顔で言った。やっぱりあれは作ったキャラだったようだ。彼女に謎の解明を頼んだのは間違いだったかもしれないと僕は思い始めた。

 しかしその考えは昼休みまで封印することにして、講義を真面目に受け、一限の後に自転車置き場を見に行って、二限の後にも行ったが、早押し機はなかった。

 それから構内のカフェテリアで昼食を済ませ、クラブボックスへ。ぴったり12時半にミステリー研究会の部屋のドアを叩いた。

 勢いよくドアが開いて顔を覗かせたのは、ソバージュの茶髪に白と紺のノースリーブシャツ2枚重ね、黒いスキニーパンツという謎のコーデの女性。しかし顔は明らかに芙美さん(本名は違うのだが便宜上こう呼ぶ)だった。

 なのに「何の用?」とぶっきらぼうな物言い。キャラを変えたのか。

「昨日の、消えた早押し機の謎の件で」

「ああそう。入って」

 部室に入れてもらったが、中の様子はもちろん昨日と全く変わりなし。長机の配置が元に戻っているのみ。その角を挟んで座る。彼女は斜めに座って足を組む。行儀が悪い。しかしそれよりも、滑らかな肌の二の腕と腋につい目が行ってしまう。

「もう一人はどうしたの?」

「来ません。昨日のは一時的な付き添いです。会長として」

「あっそ」

 もしかして彼女はMくんのことを思い出して、文句を言いたかったのだろうか。つまらなそうな表情は演技かもしれないのでよくわからない。

「ところでミス研って、変装の研究もするんですか」

「やっぱりバレてるのね」

 芙美さんは茶髪のヅラを取りながら言った。ボブカットに戻ったが、僕としてはこちらの方がイケている気がする。

「そら、素顔ですから。化粧も変えてはりませんし」

「でも朝は気付かなかったじゃないの」

「?」

 朝とは何のことだろうか。まさかEくんが彼女の変装だったということはあるまい。そうすると……

「えーっと、自転車置き場のところで掃除してた……」

「ほら、今ごろ気付いた」

「サンバイザーにマスクで顔がよう見えませんでしたから」

「でもわからなかったんでしょ」

「はい。え、何をしてたんです?」

「現場確認。君が昨日と同じところに置くと思ったのよ」

「あそこからはちょっと離れたところでしたけど。他のが既にたくさん置かれてたんで」

「でも、だいたいあの辺りなんでしょ。一応見ておきたかったの」

「なんでわざわざ変装して行ったんです?」

「ホームズだって変装して現場を見に行くのよ。知らないの?」

「そうでしたっけ。すんません、ミス研やなくてクイズ研なんで」

「だったわね。まあいいわ。でも君がくれた情報、何かが根本的に足りないと思うの」

「何が足りないんです?」

「それがわかれば正しく推理できてるわ」

 おかしい。確か昨日「もう結果は思い付いてる」と言ってたはずなのに。

「結果を検証したら、違ってたんですか? どういう推理をしたんです?」

「教えてあげない」

 もしかして僕が想像したのと同じで、工学部電気工学科と思って確かめに行ったのでは。間違ってたから悔しいのだろうか。クイズ研もそうだが、ミステリー研の人も負けず嫌いが多いはず。しかしこのまま早押し機が見つからないのでは困る。

「じゃあ……昨日ここへ依頼しに来た後、クイズ研でも推理してみたんですけど、聞いてもらえます?」

「いいわよ。何でも言ってみなさい」

 机に頬杖を突きながら芙美さんが言う。言葉遣いが粗野なだけでなく、姿勢もよくない。もしかしたらキャラを変えただけでなく、名前も違っているかも。

「えーと、同じ型と色の自転車に乗ってた人が、間違ってカゴの中身を……」

 と、昨日のAさんの推理を話す。芙美さんはつまらなそうに聞いている。演技であって欲しいと思う。

「……で、その妙に親切な人が持っていった先がどこかわかればええのかと」

「そこまでの推理なら誰でもできるわよ。問題はその先」

「はあ」

 ということは芙美さんも同じ推理をしていたということだろう。そして〝その先〟が間違っていたということか。

「どこだと推理したんです?」

「教えないって言ったでしょ。とにかく君の情報が足りないのよ」

「何が足りないんですかね」

「持ち主を示唆するような何かがあったはず」

「何かって……早押し機の本体には別にクイズ研とも書いてませんし」

「トートバッグには?」

「ああ、そういえばサークルのロゴが入れてあって」

 叡山大学クイズ研究会 "Eizan Unversity Quiz Society" の略称〝EUQS〟の4文字を田の字に並べて四角で囲ったもの。〝Q〟だけヘルベチカ(ゴシックのようなフォント)で他の3文字はタイムズ・ニューローマン(明朝のようなフォント)にしている。

 生協で売っている既製品に、特注でデザインを追加してもらった。既製品は片面に校章が刷り込まれていて、反対側に好きなデザインを入れられる。特注は最低50個からで、クイズ研の会員はそんなにいないのだが、今後入ってくる新入生が買ってくれるであろうと期待して、去年作った。そのうちの一つ。

「どうしてそれを最初に言わないのよ!」

 芙美さんが大声で言いながら勢いよく立ち上がる。椅子が後ろに吹っ飛んだ。

「忘れてました。ていうか、バッグの特徴なんて訊かれませんでしたし。そんなに重要なことです?」

「手がかりっていうのはそういう些細なことが重要なのよ」

「はあ。まあ、そうかもしれませんね」

 本格推理小説では、警察が見逃すような些細な手がかりを元に、探偵が推理をすることがよくある、というのは僕でも知っている。

 芙美さんは本棚のところへ行って何かを調べ始めた。今どき、調べ物はスマートフォンかPCでするものと思うが、なぜ本なのか。本棚に寄りかかって、足を組んでいるが、それもキャラとしての演技なのか。

「ふん、きっとこれね」

 芙美さんは呟き、本を本棚へ戻した後で、スマートフォンを取り出して検索。妖しい笑みを浮かべているが、それも演技……もうどうでもいいことにしよう。

「まだ時間があるわね。じゃあ行くわよ」

「どこへ行くんですか」

「行けばわかるわ」

 そしてPCが置かれたデスクから、フルフェイスのヘルメットを取ってきた。部屋を出て、ボックス前の駐輪場へ。250㏄くらいの赤いバイクに乗ろうとする。

「バイクで行かれたら追いつけませんが」

「自転車でちんたら行ってたら、昼休みが終わっちゃうじゃないの。かと言って後ろに乗せるにもヘルメットはないし。いいわ、後から来なさい。北部の正門。あたしが受け取っておくから」

 北部というのは大学の北部構内のことだろう。説明しておくと叡山大学は四つのブロックに分かれていて、今いる西部構内の東隣に教養部構内、その北に本部構内、さらに北に北部構内となっている。北部には理学部の量子科学研究センターや農学部の生命科学研究センター他、多数の研究棟がある。

 芙美さんが先にバイクで行くのを見送り(この季節にノースリーブだと寒いんじゃないかと思いつつ)、僕は自転車で北部構内へと向かった。可能な限り早く漕いで。本部構内が広いので1.5キロほどあり、しかも緩やかな上り坂なので、北部の正門まで6分かかった。芙美さんとは3分差くらいではないか。「ちんたら」と言われるほど時間がかかったわけではない。

 しかも芙美さんは正門付近にいない。それはそうだろう。広い構内のどこかへ行って、早押し機入りのバッグを受け取るのに2、3分で済むはずがない。

 探しに行って行き違いになると困るな、と思いつつ、正門から真っ直ぐ延びている道を進む。どこへ行くにせよ、戻ってくるにはここを通るはず。

 桜の青葉が茂る並木を200メートルほどゆっくり漕ぐと、彼方からエンジン音が聞こえてきた。前から赤いバイクが走ってくるのが見える。近付くと、芙美さんが小脇に白いトートバッグを抱えている!

「これでいいわよね」

 バイクを停めてヘルメットを脱いだ芙美さんに得意気な表情で言われたが、全く気にならない。

「ありがとうございます! うわー、ほんまに見つけてくれはったんや! ミス研の人ってさすがですね」

 精一杯の褒め言葉を言いつつ、バッグの中身を確認する。では減っていないはず。そもそも本体と早押しボタンさえあれば他はどうとでもなる。

 早速、クイズ研のメンバーにグループメッセージを飛ばしたが、バイクの上で腕を組んでいる芙美さんがもっと褒めて欲しそうなので、「どこで見つけたんですか?」と尋ねる。可能な限り、興味深そうな顔で。

「できれば推理の過程も詳しく教えてもらえれば……」

「教えてあげてもいいけど、ちょっと時間が足りないわね。もうすぐ三限が始まっちゃうもの」

 三限の開始は1時15分からで、まだ12時50分だ。25分もある。それで説明できないような複雑な推理ではあるまい。もったいぶってるのか、それとも……

 わかった。三限の前に〝変装を解いて〟麻生雅子に戻らなければならないのだ。たぶん、着替えもして。もちろん講義に出るために。

「じゃあ四限が終わったらまた部室へ行っていいですか」

「今日はダメ。時間がないから」

 しかし昨日は確か、三限と四限以外はOKと言っていたはずなのに。

「じゃあ、明日のいつか……僕は一限と放課後が空いてますけど」

「なら、放課後で。けど、クイズ研の例会はないの?」

「ありません。次は金曜日です」

「うちと同じじゃないの。じゃあ君、掛け持ちはできないのね」

 なぜ僕がミス研究会に誘われなければならないのだろう。もしかして会員が少ないのか。悪いけど、クイズ研は30人以上いる。威張るほどのことではないが。

「とにかく明日の夕方に行きます。そうそう、一つだけ今教えて欲しいんですけど」

「何?」

 ヘルメットを被った芙美さんに、「今の名前は何て言うんですか?」と尋ねる。

「本名は三笠芙美やないそうで……」

「春月沙羅」

 あっさり言うと芙美さんはバイクのエンジンをかけ、颯爽と行ってしまった。

 トートバッグを前カゴに入れ、今後は手放さないようにしようと思いながら、〝春月沙羅〟という名前の意味を考える。何かあるはず……

 自転車を漕ぎ出す前に思い付いた。きっとサラ・パレツキーだ。アメリカの女流ミステリー作家で、女性探偵V・I・ウォーショースキーの生みの親。第1作は『サマータイム・ブルース』。読んだことはないけど、一応知っている。クイズの知識として。

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