1-4 早押し機とは?

 いや、これはこちらが悪かった。そもそもクイズ研でない人にとって、早押し機なんてよく知らない物のはず。

 テレビのクイズ番組で使ってるけど、あれは実は〝概念〟しか見えていない。押しボタンがあって、それを一番早く押した人のところにパトライトや電飾が点く仕掛け、というもの。押しボタンがどういう形なのか、ということすら、画面に映ることは少ないので、わからないに違いない。

 かつて有名なクイズ番組で、解答者が被る帽子の上に〝はてなマーク〟が立ち上がる早押し機が使われたことがあるが、今や大部分のクイズ研会員すら知らなかったりする……いや、それはこの際どうでもいい。

「すいません、説明します」

「実物があれば一番いいけどね」

「だからそれが紛失したんですって。Mくん、スマホで画像があるか、検索してみて」

 その間に僕が言葉で説明する。箇条書き的にするほうがわかりやすいだろう。


 ①本体、押しボタン、ケーブル、電源コードからなる。

 ②本体は、大きめの弁当箱くらいの直方体。色は黒。上面に押しボタンが三つ、小さなランプが一つ、デジタル表示器(7セグメント式)が一つ。側面(長い方)にはケーブルを接続するための端子穴が10個。別の側面(短い方)に主電源スイッチ、電源端子穴、スピーカー穴。


「デジタル表示器は0から9までの数字の他にアルファベットのEが表示できるんです。エラーが発生している時の表示で」

「いや、Mくん、それいらん情報やわ。電源入れてるところを見せることはないはずやし」

「ああでも、どうやって動作するかはわかってきたよ。一番早くボタンを押した人の番号が、表示器に表示されるんだね」

「そういうことです。ほら、役に立ったやんか」

「わかったから、画像検索して」


 ③押しボタンは、掌に載るくらいの大きさの箱に付いている。石鹸箱くらいの直方体。


「石鹸箱って、お風呂セットに入ってるような?」

「やなくて、箱入りで売ってる石鹸知りません? あれくらいっていう意味です」

「ああ、わかった。生協でも売ってるあれね」

 芙美さんはわざわざ右手で〝箱を持ってる感じ〟を演出してくれた。しかし本物は、彼女が思っているより厚みがあるはず。


 ③(承前)色は黒。上面に押しボタンとランプが一つずつ。側面にケーブルを接続する端子穴。


「ランプは一番早く押した人のところに点く?」

「そうです」

「そういうのって、工学部の電気工学科の人が作るの?」

「昔はそういうすごい会員がいたそうですけど、今のは買い物です」

「へえ、売ってるんだ」


 ④ケーブルは長さ10メートルほど。色は黒。端子はオーディオ用のフォーンミニプラグと呼ばれるもの。ステレオタイプ。

 ⑤電源コードは、普通のACアダプター。


「以上です。あと、延長コードもありますけど、それは早押し機には含まないです」

 Mくんの検索が終わっていたので、スマートフォンで画像を見せる。これと全く同じというわけではないが、セット的には似たようなもの、という説明も添える。

「だいたいわかったけど、それらをバラで自転車の前カゴに入れてたの? まさかね。袋に入れてたんでしょ?」

「はい。白いトートバッグです。布製……キャンバス地の」

「もしかしてそれも生協で売ってる? 大学のグッズとして」

「はい、あれです。それからボタンは100円ショップで買った工具箱みたいな形のプラ箱に入れてます。ケーブルと電源コードはまとめてビニール袋に」

 芙美さんはまた腕を組み、顔を上げて、天井と壁の合わせ目あたりを見ながら考え始めた。1分ほどして顔を僕の方へ向けると「自転車ってどんなの?」と訊いてきた。なぜ自転車。

「普通の通学用ですよ。色は白……」

「それももしかして生協で買った?」

「はい」

「ここへ乗ってきた? 見せて欲しいんだけど」

「いいですよ」

 それが推理に関わるのかわからないが、とりあえず自転車のところへ案内する。部屋を出る時に、芙美さんはちゃんとドアに鍵を掛けた。中にさほど大事な物があったとは思えないし、すぐ戻ってくるはずなのにこの用心深さ。僕もそうしなければならなかった。

 外へ出て、僕の自転車を見せる。日が暮れかかっていて、街灯の光だけではよく見えないはずだが、芙美さんはじっくりと眺め回している。26インチ、前カゴ付き、後ろ荷台付き、6段変速の、至って普通の自転車。ちなみにMくんも同じタイプの物だが、色違い。彼のは黒。

「2年以上使ったにしては、ずいぶん綺麗だね。前カゴに傷も付いてない」

「ありがとうございます。大事に使ってるので」

 思わず礼を言ってしまったが、褒められたのではなく何かの手がかりを探していただけだろうか。

「どこにも名前が書いてないけど」

「今どき名前書いてる人なんていませんよ。子供やないんですから」

「でも生協で同じのをいっぱい売ってるんだから、他の人のと間違えるかもしれないでしょ」

「はあ……え、もしかして、他の人のと間違えたって思ってます?」

 だからカゴに何も入っていなかった? まさか。

「そんなことは考えてないよ。建物へ入る時に鍵を掛けて、出てきてから開けられたんでしょ。いくら同じ型の自転車だって、鍵まで一緒のはずないじゃない」

「もちろんそうですよ」

「間違えそうっていうのが重要なだけ。さて、自転車はもういいよ。できれば現場を見に行きたいけど、今からだと真っ暗で何も見えなさそうだね。事務室だって開いてないだろうし。だから最初は安楽椅子探偵方式で、考えるだけにして」

 芙美さんはかがんでいた姿勢から背筋を伸ばし、両手を腰に当てて仁王立ち。街灯が映し出すシルエットは、それなりに様になっている。

「はあ。……ここで考えるんですか?」

「ううん、もう結果は思い付いてるんだよ。でも検証する方法がないから言わないだけ」

「検証……つまり早押し機があると予想されるところへ行って、確かめる?」

「そう」

「いつ教えてくれるんですか。明日ですか」

「そうだね、何時がいい? 私は三限と四限以外ならいつでもいいけど」

「すいません、僕は午前中も詰まってるんで、昼休みでいいですか」

「じゃあ、12時半にここね」

 言うと芙美さんはさっさと建物に戻ってしまった。こちらに「わかりました」と言う暇も与えずに。Mくんと顔を見合わせた後で、帰ることにして、自転車を道路まで押していく。敷地を出たところになぜかAさんの姿があった。

「近くの交番には何も届けられてなかったで。ミステリー研の人はいてた?」

「いてました。話も聞いてもらいました。何か思い付いたみたいですけど、明日の昼に聞くということになって」

「誰がおったん?」

「女の人でしたよ。三笠芙美さんていう4回生」

「マジか。女なんかおるんや。そこだけは勝ってると思ってたのに」

 何の勝ち負けをAさんは気にしているのだろうか。それはともかく、芙美さんが自転車を気にしていたことを話す。

「Yちゃんは間違えてへんのやろ。やったら、他の奴が間違いかけたていうことか」

「他の人が?」

「ちょっと思い付いたことがあるから、晩飯でも食べながら話さへん?」

 今夜は自炊にする予定だったが、一食くらい外食にしても小遣いには差し支えない。Mくん共々、すぐ近くの生協の食堂へ行く。AさんとMくんはジャンボチキンカツ定食・ライス大を注文したが、僕は豚生姜焼き定食・ライス小。紛失のことを気にして食欲が落ちているのだ。

「それで、他の人が僕の自転車と間違えると、どうなるんですか?」

 テーブルに就いてからAさんに訊く。

「もし自分のやと思ってる自転車の前カゴに、ようわからん荷物が入ってたら、Yちゃんやったらどうする?」

 チキンカツと繊切りキャベツにウスターソースをダバダバと掛けながらAさんが言う。ソースのボトルは次にMくんのところへ。

「ほんまに自分の自転車か、確かめます」

「うん、それが普通やと思うけど、もっとそそっかしい奴やったら? いや、ちゃうな、絶対に自分の自転車やと思い込んでる奴やったら?」

「うーん、誰かが間違えて前カゴに荷物を入れていった、と思いますかね」

「そやろ、他の人が間違えたと思う。その場合、荷物をどうするか」

「近くに人がいたら、訊いてみるんやないですか」

「誰もおらへんかったら?」

「入れた人が来るまで待つ……」

「いつ帰ってくるかわからへんのやで?」

「そしたら……前カゴから荷物を出して、地面にでも……いやでも、後で探しに行った時には置いてなかったですよ」

 自分が置いたところだけでなく、周辺をけっこう広い範囲で探したのだから間違いない。植え込みの中や、建物との間まで覗いた。

「そうすると……Mやったらどうする?」

「ほが?」

 口にチキンの一切れを頬張ってるなら、無理に返事をしなくていいのに。「食ってからでええで」とAさんが言うと、Mくんはじっくりとチキンを噛みしめ、飲み込んだ後で言った。

「隣の自転車のカゴに放り込みますね」

「うぇっ、まさか?」と僕は驚いた。

「いや、そういうことする奴もおるって」

 言ってからAさんは次のチキンを頬張る。二人とも、どうしてそんなに急いで食べるのだろう。飲み込んだらまたAさんが口を開く。

「で、鍵を開ける時になって、間違えたことに気付く。自分のを探して乗っていくけど、荷物はそのまま」

「そんな無責任な」

「そういう奴もおるねんって」

「そしたらあの時、他の自転車のカゴに注意してたら、見つかったんですか?」

「いや、もう持ち去られた後やったやろ。どれくらいたらい回しにされたかわからんけど、間違えた誰かを探して返してあげようと考えた、妙に親切な奴が、そのまま持っていったんやと思うわ」

「どこにです?」

「それはわからん。ミス研はそこを推理したんとちゃうかな」

 Aさんの思い付いたことは、以上であるらしい。しかし、一理あると思う。〝妙に親切な人〟が、すぐ近くの文学部の事務室にでも届けてくれていたら一番よかったのに、中身を見て持ち主に当たりを付け、そこへ持っていったということか。

 しかし奇しくも芙美さんが早押し機のことを全く知らなかったように、その人も早押し機だとは思わず別の何かと考えて、それに関係しそうなところへ持っていったのだろう。すぐに思い付くのは工学部の電気工学科か。電気に関する何かの実験装置にも見えるから。文学部の建物からは少し遠いけど、その人はたまたま通り道だったのかもしれない。あるいは電気工学科の友人と相談しようとしたとか。

「明日は一人で行ってな」

 チキンカツだけを先に全部食べ終わったMくんが言った。皿には野菜類だけが残っている。なぜバランスよく食べないのだろう。昔、小学校の給食で〝三角食べ〟を習っていたことを、彼は自分の主催する例会で出題したはずなのに。

「なんで付いてきてくれへんの」

「最初は気付かへんかったけど、あの人、クイズ研の敵やわ」

「何のこと?」

「4月の新人勧誘の時のことやけどな」

 キャンパス内のいろんな場所で新入生に声をかけ、勧誘するのだが、Mくんは彼女に(4回生とは知らず)声をかけ、「物事を憶えるだけの、創造性のない人たちって最低ね」と冷たくあしらわれたらしい。さっき別れ際に見た後ろ姿のシルエットで思い出したそうだ。

「でもさっきは興味持ってくれてたみたいやけど」

「まあな。雰囲気はあの時とだいぶ違ってた。でもこっちが依頼者やから愛想ようしただけかもしれんやろ」

 確かにあの妙な馴れ馴れしさは、僕も気になった。作り物のキャクラーのようで。しかしMくんは彼女が4月のことを思い出したら気まずいことになると思ったのだろう。そういうことならしかたない。話を聞くのなら僕一人でいい。何より、美形とお知り合いになれる絶好の機会……

 それから食べ終わるまでは別の話をして、二人とは食堂を出たところで別れ、マンションに帰った。

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