1-3 ミステリー研究会

 自転車に乗って西部構内へ。クラブボックスは文化系のクラブやサークルのためのものだが、吹奏楽部や軽音楽部が外で楽器を鳴らしていたりして、賑やかなところだ。このご時世に近隣からよく文句を言われないものだと感心する。部屋を使っている人たちもこの〝騒音〟に対して寛容だ。

 A棟からE棟まで五つの棟があり、それぞれ3階建てで、全部で80室くらい。半分は特定の部専用で、残りは共用。これだけあって、なぜクイズ研究会にはもらえないのか、不思議でならない。

 それはともかく目指すミステリー研究会の部屋は、C棟の205号室。ドアには〝ミステリー研究会〟(下に英語で "Mystery Club")という札が掛かっていた。羨ましいことだ。小窓があって、すりガラス越しに中の灯りが漏れている。やはり誰か来ているらしい。ただ声は聞こえない

 ノックする。やや間があって、足音が聞こえ、ドアが音もなく(部屋の内側へ)開いた。ボブカットで知的な目つきの女性が顔を出す。ちょっと予想外。

 女性は僕ら二人を上から下まで観察してから、「入会希望者?」と訊いてきた。観察眼はホームズに達してないようだ。

「ここ、ミステリー研ですよね?」

「そうだよ。ここに書いてあるでしょ」

 右手が出てきて、ドアの札を指す。細く白い指先につい目が行く。言葉遣いは標準語に近かった。こちらとはえらい違い。

「ちょっとお願いがありまして」

「自治会の人?」

 学務部学生課から、部屋の使用についての苦情を言いに来たと思われたようだ。しかし推理小説を読む人がこの程度の観察眼でいいのだろうか。こちらの意図を見抜いて「調査の依頼ですね、どうぞ」などと言って欲しいのに。もちろん、ミステリー研がそういうところではないというのはわかってるつもりだけど。

「違います。一般の学生です。実はちょっと奇妙なことが起こったので、ミステリーの達人である方々のご意見を伺いたくて」

 この言い方は、ここへ来る道々、Mくんと一緒に考えた。ミステリー研究会の人に興味を持ってもらえそうな頼み方はないかと。

「小説の話じゃなくて、現実の話をしに来たんだ! いいよ、入って」

 女性の表情が急に明るくなって、ドアが大きく開かれた。そしてドア脇に立って「さあどうぞ」とでも言うかのように右手で部屋の中を示す。長袖の白いブラウスに茶系のベスト、同じ色のスラックスという出で立ちで、本人は探偵のつもりかもしれないが、今の立ち姿だと喫茶店のウェイターにしか見えない。

 中に入ると驚いたことにビクトリア王朝時代の応接間……ではなくて、長机が四角に並べられた、ただの会議室風だった。白い壁に、リノリウムの床。長机と椅子がいくつか。窓に向かって右手の壁には背の高い本棚が設置されているが、けっこうスカスカ。古今東西の推理小説の本でも詰まっていれば格好が付いただろうに。

 他には事務机が一つあって、ノートPCが載っている。画面がスクリーンセーバーになっているし、キャスター付きの椅子が机から少し離れたところにあるし、長机の上には何もないので、彼女はさっきまでPCの前に座って何かしていたのだろう、と推理できる。いや、僕がそんなことをしても何の意味もない。

「とりあえず座って。飲み物も出せないけど」

 彼女は僕らに長机の椅子を勧め、自分は別の長机を動かし始めた。向かい合うようにしたいらしい。Mくんと二人で机の移動を手伝うと「やー、ありがとう」と明るいお礼の言葉。笑顔が爽やか。

「まず自己紹介から。三笠芙美ふみです。工学部建築学科4回生。前会長です。お二人の名前も教えてもらえる?」

 女性は背筋を伸ばして机の向こうに立ち、右手を胸に当てながら言った。ウェイターではなく、探偵らしくなった。改めて見るとなかなかの美形。身体の線がすらりとしている。いわゆる〝ボクっ〟風。

 ところでこの話の最初からの表記法に従えば、彼女はMさんあるいはFさんとするべきなのだが、どっちのアルファベットも既出だし、探偵役として特別な存在なので、芙美さんと書くことにする。

 こちらが自己紹介すると、芙美さんは僕よりもMくんに興味を持ったらしい。

「数理工学科! どうしてそこを選んだの?」とまるで就職面接の面接官のよう。

「いや、何となく。何でもやってそうな感じがしたので」

「そうかあ、後で目的を見つけるタイプなんだね。じゃあ私がどうして建築学科を選んだかわかる?」

「将来、一級建築士になりたいとか?」

「いいえ、密室の構造を研究するのによさそうと思ったからだよ」

 Mくんは反応できなかった。僕もどう返せばいいのかよくわからないが、頭を捻ってから「それは推理小説に書かれている密室の構造に、嘘っぽいものがあると嫌だからとか……」。

「そう! よかった、わかってくれる人がいたんだ。君、文学部東洋文化学科って言ったよね。文章の論理性とか気にする? それとも感性の方が大事っていうタイプ?」

「論理性は気にしますよ。クイズ研なので、クイズ問題を作りますから」

「クイズ研! それ、言ってくれてなくない?」

 確かに言い忘れていた。最も肝心なことだったかもしれない。

「そうか、クイズ研かあ。答えるだけじゃなくて、問題を作ることもするんだ」

「ミステリー研の人も、推理小説を読むだけやなくて、書いたりするんでしょ?」

 こら、Mくん、余計なことを。芙美さんの目が輝いてしまった。ますます本題に入りづらくなる。

「書くよ! 活動の一つに〝問題作成〟っていうのがあるの。要するに短編ミステリを書いて、問題編と解答編に分けて、問題編を読んで犯人が誰だかを当てるの。犯人じゃなくて、方法とか動機を当てる場合もあるけど」

「フーダニットとか、ハウダニットと、ホワイダニットとか」

「それ! ミス研じゃないのにどうして知ってるの?」

「クイズ研はそういうのも憶えるんですよ」

「そっか。クイズを答えるために、いろんな用語に興味を持ってたくさん憶えるんだね」

 芙美さんは腕を組んで感心している。すっかりミステリー談義になってしまった。そういう話をしに来たのではないはずなのに。

 ところで僕やMくんは「ミステリー」と長音を付けているのだが、芙美さんは「ミステリ」と省いているように聞こえる。一般的には付けるものだと思うけど、彼女にはこだわりがあるはずなので、彼女の話し言葉の中だけ「ミステリ」としよう。

「じゃあ有名なミステリ小説とその作者も憶えてる?」

「有名の度合いがミス研さんとは違うかもしれませんけど、憶えますよ」

「有名なミステリ文学賞の受賞者とか」

「江戸川乱歩賞くらいですかね。他にも文学賞は多いですから。ベストセラーになったらもちろん憶えます」

「有名なトリックも知ってたりする?」

「密室とかアリバイとか一人二役とかですか」

「そういう分類だけじゃなくて、特に有名なトリックが使われてる作品とか」

「個人的にはいくつか知ってますけど、それ、クイズにでけへんのですよ。ネタバレになるんで」

「そうか! クイズ研の人って、そういう考え方で知識を集めるんだ」

 芙美さんは腕を組むだけでなく、頷きながら感心している。あのねえ、ええ加減にして欲しいんやけど。

「そろそろこちらの話に入っていいですか?」

「え、何の話だっけ?」

「だから、奇妙な出来事があったので、ご意見を伺いたいと」

「ああ、そうだったね。いいよ。どういうジャンルなの、密室? アリバイ? それとも一人二役?」

「いえ、どれでもないです」

〝早押し機紛失事件〟について話す。実際には紛失ではなく盗難かもしれないけど。芙美さんは最初のうちは興味深そうに聞いてくれていたが、途中から表情が険しくなってきた。事件として気に入らないのか、それとも推理モードに入ったのか。

「わかんないことだらけだね」

 僕が話し終えると芙美さんは呟いた。組んでいた手の、右手だけが上に伸びて、人差し指で顎の先を押さえている。〝考えるポーズ〟に見えなくもない。

「どこがわかりませんか。何でも補足しますけど」

「じゃあ……早押し機って何? どういう物なの?」

「はい?」

 そこからかい!

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