無視しても無意味だった
月曜日。
いつも通り真帆にキスして家をあとにする。
昨日、長峰のことが気になった、なんて思ったりもしたが。今朝になると単なる気の迷い程度と思う。直に裸を見たり触れたりしたことで、相当動揺したのだろう。
ほぼ一方的だったが、女と話をしたってのも、混乱する原因だったのだと。
つまりだ、女を気にするなんてのは、今の俺にはあり得ない。
居なくてもいい存在でしか無いのだから。実に鬱陶しい。俺の精神をかき乱しやがって。人の心に土足で踏み入ろうとするからだ。
出社して普段通り男の社員には挨拶しておく。
勿論、女はガン無視だ。いや、ガン無視されてるんだった。まだ昨日のことを少し引き摺っているのか。気持ちを切り替えないとな。
視界に女が入らないよう、デスクに向かい椅子に腰掛ける。
さて、今日の業務をしっかり熟さないとな。
社内に男女の声が入り交じり、電話の着信音や打鍵音が響き渡る。
「高野さん」
体がびくっと反応した。
この声は紛れもなく長峰だ。仕事に関する用事は社内メールでやれ。それ以外は一切話し掛けるな。
見ない。絶対に見ない。
「高野さん。あの」
デスク上にあるノートパソコンの画面に「話し掛けるな。業務に関しては社内メールでやれ」と打ち込み、画面を長峰が居るであろう方向に向ける。
「ごめんなさい」
そう言うと離れて行ったようだ。
女なんて相手にするだけ無駄だ。仮に本当に好きだの惚れただの言っても、些細なことでも嫌気を差し、耐えられないとか言って離れるのがオチだ。
微塵も信用していい存在じゃない。頭のてっぺんから、足の爪先まで全てを疑えってことだからな。
まあいい。排除したから二度と関わらないだろう。
仕事に打ち込め、俺。
昼休みになり、昨日真帆に用意した食事を詰めた弁当をデスクに出す。
保冷剤を入れているから弁当は冷たいのだ。入れておかないと腐るからな。これを給湯室にある電子レンジで温める。
給湯室には女が屯していることがあり、居なくなったことを確認する必要がな。
まじクソ面倒臭い。女なんて雇うなっての。
様子を伺い誰も居ないのを確認すると、弁当を持って給湯室に入り、レンジでチンして自分のデスクへ。
弁当を食べ始めると、程なくして声が掛かった。
「高野、今日も節約弁当か」
根本だ。同僚の中では気心が知れた仲だな。
俺の隣の席に腰掛け、根本さあ、よくそんな粗末なもの食ってんな。毎回、サンドイッチとか総菜パンって、栄養バランス考えた方がいいぞ。
「先々のことを考えるとな、今の内からでも貯金は必須だ」
「結婚資金?」
「違う。老後のために、だ」
「いや今からって、まだ先の話だろ」
二十代なのに老後の話なんて、さすがに普通は考えないとか。
「早ければ早いほどいい。破綻寸前の年金なんて当てにならん」
「そうかもしれんけど、四十代くらいでも」
「先延ばしにすると困るのは自分自身だからな」
そうだな。真面目に貯金も考えておこう。一生ひとりで暮らすとなると、いざという時の支えは金以外にない。ろくに貯金もせずに老後を迎えたら、生活に行き詰まって路頭に迷うし。病気にでもなったら目も当てられない。蓄えがしっかりあれば、それで解決することが大半だし。
年金なんて俺が老人になる頃には、制度自体が破綻してるだろうよ。
そう言えばテレビで誰か言ってたな。年金制度の崩壊はイコール、日本の終わりだとか。お先真っ暗な未来しかないってことか。
ますます、女なんかに感けている余裕は無いってことだ。
「金曜日の飲み会のあとだけどさ」
「なんだ?」
「付き合いだした奴が居るって」
どうせすぐ別れるだろ。あんな飲み会で意気投合したつもりでも、何かあれば互いに罵り合って、すぐに別れるんだよ。長続きするわけがない。女が辛抱しないんだから。速攻不満を漏らして破局するだけのことだ。
アホくさ。
「根本も狙ってたのか?」
「いや別に。高野は、って、言うまでも無いか」
女性と話をしてるのを見たことがない。ってことで、女に興味無いんだよな、とか言ってる。
興味が無いんじゃない。体にはそれ相応に興味はあるが、付き合うのは不可能だってことで。言う気は無いけどな。
昼休みが終わり根本が自分の席に戻って行った。
俺は仕事モードに切り替え、今日すべきことをしっかり熟す。仕事で実績を示せば、給料にも反映されるからな。先々のことを考えると、稼ぎの良さは必須条件だ。
ただなあ。昇進、となると部下ができるわけで。そうなると女の部下とか、洒落にならない。面と向かって指導、なんてやってられるか。女に費やす時間は無いんだよ。
となると、昇進は無理か。
くそ。生涯平社員。それか独立して何かやるしかないな。
この日の業務を終えて帰り支度をする。
「あの」
手が止まった。
まただ。業務が終わってる以上は、社内メールで云々の手が使えない。
聞こえない振りをしよう。そうだ、それがいい。
さっさと帰り支度を済ませ、デスクから離れると後ろから「あの、高野さん」と呼んでる。
聞こえない。そこに女は存在しない。居ちゃいけないのが女。
関わるな。どうせ腹に据えかねる事態に陥る。いずれ罵詈雑言浴びせられ、俺が傷付いて終わりだ。
さっさと事務所を出ると、まだ付いて来るような。気のせいかと思うも、振り返って確認するってことは、意識してるってことになるし。
会社をあとにし駅に向かうが、やっぱり後ろに居そうな。
いや、意識し過ぎだな。もう居ないだろう。無視してるんだから。
駅ホームで電車待ちをしているが、すぐ近くに人の気配があるんだよ。
まじか、付いてくるはずが無い、そう思っていたのに。すぐ隣に並んでるようで、視線を持って行くのも嫌だ。それでも一応確認しておこうと思い、頭を動かさず目だけで視認すると。
頭痛い。
まじで居るよ。長峰。お前、ストーカーかよ。
間違いであって欲しいと思いつつ、もう一度確認しようと視線だけを向けると。
「高野さん、どうして?」
目が合った上に話し掛けてきやがった。
ずっと俺を見上げて見てたわけだ。しかも後付いてきて。
「少しは話もできると思ったのに」
今すぐ信用してと言っても、無理なのは理解していると。ただ、それでも無視しないでと懇願する目付きで訴えてるようだ。
もし、社内では無理だとしても、それ以外でなら先日同様に、少しは話もしたいと。多少でも距離が縮まった、そう思っていたのに、物凄く悲しいとかで。
「土曜日に帰る時も、ひとりで帰って、なんか悲しくて」
駅まで見送ってもらって、なんて少しは期待していたが、泣きながら帰ってしまったそうだ。
もっと近付きたい、傍に居たい、コミュニケーションを取りたい。触れ合いたい、もっと言えば抱いて欲しい。そんな想いが強くなる一方、俺の態度は以前と同じだった。
俺の隣に立ちシャツを抓んで「無視されると悲し過ぎるから」と、唇を噛み締め涙を流してる。
どうしたものか。
女なんてのは信用しちゃいけないんだよ。絶対裏切る。絶対だ。離婚を切り出すのは圧倒的に女で、別れ話を切り出すのも女。音信不通になるのも女。
男はそれに翻弄されるだけ。
女にとって利益が得られない男に存在価値は無い。見捨てる際の冷酷さは男の比じゃないんだよ。
「どうすれば信じてもらえるのかなあ」
相変わらずシャツを抓んで離さないし。ここで離すと二度と取り入ることができないとか、そう判断してるのか? まあ、実際そうなんだが。
電車が来て乗り込むと一緒に乗ってきた。
「方向、同じなのか?」
「途中まで」
途中までは仕方ないのか。今日はさっさと下車してくれることを願おう。
話し掛けたことで、体を寄せてくる長峰だ。絆されたわけじゃないんだがな。
「高野さん。あたしのこと、嫌いなんだよね」
好きも嫌いも無い。単純に要らないんだよ。
付き合って後悔するのは俺だからな。
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