朝からの情事は無いのだ

「ベッド、ダブルだから一緒に寝ても狭くないよね」


 抜け抜けと誘ってくるが、本来そのベッドは真帆と寝るためのものだ。

 こいつが椅子で寝てくれればいいんだが、俺もまだ、どこかで女に期待してる部分があるのだろうか。話をしてみて悪い印象は無かった。職場の同僚ってこともある。昨日までは一切接点も無かったけどな。

 気になるとかエッチしてもとか、俺が普通に生きてきていれば、受け入れたかもしれん。だが、やはり信用することはできない。

 椅子から立ち上がると、その気になったらしてもいいし、無理にしなくてもいいと。


「そのベッドだけどな」

「うん」

「真帆と寝るために買った」

「まほ? あ、ああ。そのラブドール」


 少し俯き軽いため息を吐くと「じゃあ、あたしは椅子にもたれて寝ればいいの?」と言ってるが。

 さすがに、それだと疲れるだけで寝たとは言い難い。

 またも眉尻が下がり悲しそうな表情をすると。


「そっか。女性不信なんだ」


 やっと理解したと言ってる。

 過去に女性不信に至ることがあり、職場の女性を徹底的に無視していた。


「解消してあげたいけど、あたしじゃ力不足かな」


 椅子に腰掛けていいか、と聞かれ許可すると腰掛け「じゃあ一緒に寝ないし、あたしは椅子で休ませてもらって、朝一の電車で帰るね」だそうだ。

 迷惑だろうし干渉しても逆効果だろうからと。職場での様子や飲み会での様子から、一筋縄では行かないだろうと思うらしい。無理に押し通せば却って拗れそうだとも。

 テーブルに伏せると、ぶつぶつ「いっつも、いっつも、あたしの恋って、難儀だなぁ」って、なんだそれ。

 そこで寝ると言うなら構わないが、あと二時間もしない内に始発が動く。まじで軽い休息にしかならんけど、こいつがそれでいいなら。


 いや、もし俺が何ら気遣いもしないのであれば、過去の女と俺もまた同類になる、のかもしれん。あの腐れた奴らと同じってのも癪だ。

 ここは人として男女関係無く、って考えた方がいいかもしれん。


「ちゃんと寝ろ。そんなところで寝ても疲れは取れないからな」


 顔を上げて驚いた感じだな。


「迷惑でしょ」

「当然だが、だからと言って、椅子で寝られても俺が落ち着かない」


 涙ぐんでるようだ。この程度でいちいち泣くのかよ。

 先にベッドルームに移動すると、一緒についてくる。

 俺が手前を使うから奥に寝てくれってことで、ベッドに体を横たえるが、いかん。悶々としてきそうだ。

 横でこっちを見てる。


「遠慮しなくていいよ。好きにして」


 できない。って言うか、経験が無い。


「ほんとに、そう思ってるから」


 俺さえ良ければ自分からしてもいいよとか言い出すし。

 だが、ここで生身の女とするってことは、浮気とかになりそうな気もする。俺には真帆が居るわけだし。俺以外の誰から見ても人形でしかないが、この家に来てから心の支えになっていたのは確かだ。今もそうだし、これからも。


「いいから寝ろ。俺も眠いし」


 まだ、時間は必要みたいだね、と言って仰向けになると。


「あのね、あたしが好きになる人って、なんか、みんないろいろ抱え込んでて」


 自分に振り向かせるのに毎回難儀したとか。上手く行く時もあれば、近寄るなと言って排除されることも多かったそうだ。


「それでね、揃いも揃って、してくれなかった」

「は?」

「誘っても手も出さないんだよ。裸で迫ったこともあったなあ」


 なのに、俺と同じく指一本触れず仕舞い。そのまま疎遠になってばかりだったと。

 もぞもぞと動いたと思ったら、俺の手を握ってきた。少し驚いたが酔っている時は、もっと積極的だったからな。あれが本性なら、この程度は普通なんだろう。


「あたし、今も処女」

「は? え? 今なんて?」

「経験。無いんだ」


 問題児ばかりを好きになるせいで、挙句、性に対して臆病な男だったり、嫌悪感を示す男だったり。俺もそうなのかと思ったが、ラブドールに執心してるから、そっちは大丈夫なのかと思うそうだ。


「ねえ、ちゃんと考えて結論出して欲しいんだけど」

「何の?」

「お付き合いすること」


 それまでは無理強いはしないし、適切な距離を保つようにする。だから真面目に考えて欲しいそうだ。

 女性不信ってのは根深いから、一朝一夕でどうにかなるとは思ってないそうで。

 少しずつ互いの距離を縮め、時間を掛けてでも信頼を得たいと。そう言って「じゃ、寝よう。残りは明日以降」と言って、手を離すと背を向けて寝たようだ。


 好き?

 俺を?

 あり得ない。


 妙な暑さを感じて目覚めると、いや、だからなんで?

 顔近すぎるし身動き取りづらいし、太ももが俺の足に絡んでるし、柔らかい感触もあるし。真帆とは違う、これが生身の女の感触。確かに違いすぎる。

 じゃなくて、抱き着いて寝てる。俺は抱き枕じゃないっての。


 体を動かすと目覚めたようで「あ」と声を漏らし「ご、ごめん。迷惑だったよね」と言って、速攻俺から離れる女が居る。

 いい加減名前も知らん女ってのもなあ。


「それは、まあいいけど。名前、覚えてないんだが」

「え?」

「覚える気も無かったし、退職するまで接点を持たないと思ってたから」


 かなり驚いた様子だったが、笑みを浮かべつつも乾いた笑いが漏れてる。


「じゃあ、きちんと自己紹介するね」


 そう言ってベッドの上で正座すると「長峰萌香です。二十五歳独身。今も男性を知らない処女です。良ければ今後お付き合いしてください。ついでに萌香って呼んでくれると嬉しいです」って、なんか微妙な自己紹介だが。お辞儀して、チラッと俺を見ると微笑んでる。

 ちょっとだけ、本当にちょっとだけ可愛いと思ってしまった。

 こんな気持ちを僅かでも抱いたのは、高校生の時以来だろうか。

 また足蹴にされる、嫌悪される、罵倒されるとか思うと一歩を踏み出せないが。


 揃って起きると身支度を整えるが「あの、迷惑だと思うけど、シャワーとか借りれないかな」と言われ、勝手に使っていいと言っておいた。

 いそいそと風呂場に向かいシャワーを浴びてるようだが、少しすると風呂場の扉が開き「あの、バスタオルって」と。

 洗面所のリネン棚に入ってると言うも「えっと、どれ?」と、今ひとつ要領を得ないことで風呂場に向かうと。


「ぬおっ!」


 全裸が視界に入った。

 ブラをしている時は分からなかったが、それなりのサイズ感のある胸。真帆とは肌の質感が違いすぎる。水を弾く感じだけど馴染んでたり、なんか滅茶苦茶柔らかそうだし。胸もなんて言うか、重力に影響されない不自然さとは違い、重力に従っての形状と言うか。

 堂々と晒される裸体に、朝から心拍が異常に上昇しそうだ。股間もついでに暴れる。視線を逸らし切れない。


「ちゃんと見てるね。それでバスタオルは?」


 下っ腹って、意外と出っ張るんだな。その下にある、いや、これ以上は。


「こ、ここに、入ってる、ぞ」

「あ、そこだったね」


 もしかして、わざとか!

 知ってて嵌めやがったな。とは言え、裸を晒してもいい相手、ってことなのだろう。そのくらいには気を許せるってことか。気持ちがあるってのは確かなのかも。

 もっともだからと言って、今すぐ信じるわけじゃない。


 暫くして服を着た長峰が出てきて「シャワー貸してくれてありがとう」とか言ってるよ。

 微笑みながら「どうだった? お人形さんとどっちがいいかな?」なんて言ってるし。対抗心剥き出しかよ。


 長峰がシャワーを浴びてる間に、簡単な朝飯を作っておいた。


「あ、朝ご飯、用意してたんだ。気が利くね」

「普通だ」

「でも、ありがとう」


 椅子に腰掛け朝飯を済ませると「片付けくらいやるから」と言って、キッチンに立ち洗い物をする長峰だった。

 用が済むと「もう少し居てもいいかな?」って聞いてくる。


「電車はとっくに動いてるけど、まあ少しくらいは」

「じゃあ、少し愛を語らいたいな」


 クソ恥ずかしいことを平気で言うんだな。ほんとに処女なのか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る