第39話二つ目の炎

それから数年の後、魔女として生まれ変わったミチェリは、もはや病弱な人間だった頃よりも長い時間を生きるようになっていた。


愛しい姉には長い間、会うことが出来ていない。


彼女は今頃、どこで何をしているのだろうか。

あの優しい笑顔を今、誰に向けているのか。考えるだけでミチェリの心は暗く沈んでいく。


ミチェリにとってサスーリカは全てであり、サスーリカはミチェリの世界そのものであった。


「サスーリカ……」


サスーリカはたまに自分の元へとふらりと現れては、すぐにどこかへ去っていく。

最後の別れからどれだけ月日が経っていようが、彼女は自分に時間を感じさせない笑顔を向けてくれる。


それどころかサスーリカの表情や態度は出会った時から少しも変わらない。


ミチェリが怒っていても悲しんでいてもすねていても、サスーリカはまるで変わらない。いつもと変わらない笑顔でミチェリと接し、そして愛してくれる。


ミチェリにはそれがとても苦しかった。


(私はあなたの妹なのに)


ミチェリがどれだけ賢くとも、ミチェリがどれだけ美しくとも、

サスーリカはミチェリだけを見ることはしない。それがサスーリカという存在なのだ。


どんな存在にも平等に愛を注ぐ彼女にとって、

ミチェリだけが特別であるはずがない。


サスーリカがミチェリに見せてくれたもの、サスーリカがミチェリに与えてくれたもので他の者たちと比べて特別なものなど何もない。


サスーリカにとってミチェリは他の魔女たちや小鳥や獣、虫けらや魔物となんの違いもないのだ。


サスーリカにとってミチェリの美しさなど、よたよたと歩き始めた子供の熊が見せる愛らしさよりも価値がない。

サスーリカにとってミチェリの聡明さなど、小さな鳥が羽ばたきを覚えるようなありふれたものに過ぎない。


サスーリカにとってミチェリの存在など、冬の風を前に今にも凍えてしまいそうな哀れな花でしかない。


優しき森の魔女サスーリカにとっては全てのものが等しく愛する対象なのだ。


(……寂しい。寂しい寂しい寂しい寂しい)


以前、雑草の茂った地面を這う蟻の行列をサスーリカが楽し気に眺めていたことがあった。


何度呼び掛けてもこちらを見てくれないサスーリカがとても恐ろしかった。

自分は虫けらよりも価値が無いのかと思うと背筋が震え、心臓が止まってしまいそうだった。その後、サスーリカは謝罪してミチェリを抱き締めてくれたものの、その手は温かくもなく、ただそこにあるだけのもののように感じた。


「……サスーリカ……」


自分がサスーリカのことをこんなに想っているのに、サスーリカは自分のことなどこれっぽっちも考えてくれていないのではないか。


いつしか、ミチェリは満たされない気持ちを埋めるかのように様々な場所を訪れ、血の儀式を行うようになっていた。


人間をいたぶるのは楽しかったが、すぐに虚しくなる。


どれだけ残虐に殺しても、どれほどの恐怖を与えようと、彼女の寂しさが埋まることはなかった。


愛する者の名を最期の言葉に散って行く犠牲者たちの姿はミチェリをさらに苛立たせる。もはやミチェリにとって血の儀式は苦痛でしかなかった。


それでも止めるわけにはいかない。

自分にはサスーリカと交わした約束があるからだ。


血の儀式が終わりさえすれば、誰もが『氷の女王(お母さま)』の庇護の下、この世界で平等に幸せになれる、そして永遠を手に入れることが出来るはずなのだ。


……。


この血と泥に塗れた地獄のようなこの場所で、サスーリカが側にいてくれないこの世界で、虫けらや獣たちと肩を並べて、永遠に。


……だから。


(だから、もう、私は……)


ミチェリは空を見上げる。


丹念に織り込まれたベルベッドのような美しい夜空に、手を伸ばせば掴めそうなほどの大きな星々が輝いている。

だが、ミチェリにはその美しさを楽しむことはもう出来なかった。


「……私のことを見ててよ……」


サスーリカのことを考えると胸の奥底から溢れてくるこの苦しみから解放される方法がミチェリにはわからない。


ただ、この苦しみはいつまでも続くのだということは知っていた。


そんなある日、彼女は寂れた村を略奪している最中に一人の老人を見た。

この辺りでは珍しい黒い瞳を持った、汚らしく醜い男だ。


怯えているのか、頭がおかしいのか、藁をまとったその老人は犬のように這いまわり、自分の目から少しでも逃れようとしている。


ミチェリは思う。


暇つぶしに虐め殺してやろうと。


少しくらい話をしてやって、希望を持たせてから絶望の底へ叩き落としてやるのもいいだろう。


そして、ミチェリは老人の元に静かに舞い降りる。

それが彼女の最期を決める出会いとなるとも知らずに。


異世界からの来訪者だと語るその老人の言葉は、どれもこれも無茶苦茶なものだった。

ミチェリは興味深げに話を聞く一方、どうやって無理難題を押し付けて、殺してやろうかと考えていた。



「……私も……応援してもらえるかなぁ?」

「ええ、ええ、約束します。どんなことがあっても必ず、私はあなたのことを一番に応援し続けます!」

「……」

「……うひょあぁあぁああ!!ファンレターも書いちゃいますぅうう!!」



だが、やがてミチェリは老人の口から飛び出すおかしな言葉の数々に夢中になっていた。

それはまるで、サスーリカ以外の誰かに初めて出会ったかのような感覚だった。



「……仲間ではなく……友達なんだ!私はこの子と友達になったんだ!」



老人は何度も嘘をついたが、それでもミチェリのことだけは裏切ろうとはしなかった。

どれだけ殴られようと、血を流そうと、彼はミチェリの味方であり続けようと必死になっていた。



「……わ、私はもう嘘はつかないぞ!私は!正直者の正ちゃんなんだ!この子に……生きていて欲しいんだ!それが出来たら死んだって構わない!」



彼はミチェリの姿がどれだけ恐ろしいものへと変わろうと、ずっとミチェリを見守ってくれた。

ミチェリがどれだけ酷い仕打ちをしようと、どれだけ酷い言葉を吐こうと、どれだけ酷い行いをしようと、それでも彼はミチェリのことを見捨てなかった。



「……私はこの子に死んで欲しくない。理由はわからない。でも、この子には幸せになってほしい。この世界でそれが難しいというのなら、私は、この子を別の世界に連れて行ってでも、幸せにしてやりたいんです!」



ミチェリはこの人でいいと思った。


愛する人が側にいてくれないなら、女王がもたらすという平等になんの意味があるというのか?

永遠の生命になんの価値があるというのだろうか?

そんな世界で生きることがどうして幸せだというのか?


ミチェリにとってサスーリカが全てであるように、サスーリカにとってもミチェリがそうであればよかったのに。


ミチェリは老人と出会いの中で、サスーリカの下を離れることを決意した。

自分は彼と行くのだ、いま初恋のあの人に別れを告げる時が来たのだ。


しかし、その覚悟はミチェリの死によって脆くも崩れ去ることになる。


薄れゆく意識の中で、ミチェリは魔女の魂にかけられたという呪いの話を思い出すのだった。



──……魔女の愛、それはただ一度きり。二度目の愛は魔女を殺す。

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