第38話魔女の愛、それはただ一度きりの炎

「ミチェリ、人を愛してはいけませんよ」

「……愛?」


雪深い森の中、青く美しい花々が咲き誇る庭園の隅のベンチに腰掛けていたミチェリはサスーリカの奇妙な言葉に首を傾げた。

辺りの空気は冷え切っており、周囲には雪が舞っている。常人なら数分と耐えられそうにない寒さだが、今のミチェリにはそれが心地よかった。


「お姉ちゃん、それは人は醜くて汚らしい生き物で愛する価値もないとかそういう意味?」

「ふふっ、いいえ……」


「じゃあ、何かに執着することで心に隙を生んでしまうからとかそういう類の話?」

「ふふふっ、それも違いますね」


「わかった。誰かを愛するっていうのは自分以外の何かのために生きることになるからダメってことでしょ?」

「ふふっ、惜しいっ、はずれ!」


「ならわからないわ……」


ミチェリはお手上げとばかりにサスーリカの横顔を見つめる。


熱心に花壇に手入れを続けるサスーリカの周囲にはいつの間にか、ふわふわとした綿毛に包まれた小鳥たちが集まってきており、彼女の周りに小さな春を作り出しているようだった。


そんな光景に見惚れているとサスーリカは作業の手を止め、ミチェリと向き合い優しく微笑んでみせた。


「もっと単純なことです。私たちの魔女の魂には呪いがかけられており、生涯に一度しか恋をすることができないのです」

「……呪い」


サスーリカがゆっくりと立ち上がると金と緑が入り混じった不思議な色の髪が風に揺れる。

まるでサスーリカの髪を手入れするかのように、風が意志を持ち、髪を揺らしているかのように見えた。


「はあ……いい汗かいちゃった」


肩や手元に留まった鳥たちが親愛の情を示すように甘えた囀りを上げていたが、当のサスーリカは特に気にする様子もなくテーブルのボトルを手に取る。


「お姉ちゃん、いきなりそんなこと言われても困るんだけど」

「あら、どうして?たまには体を動かして汗をかくのもいいことですよ」

「そうじゃなくて!愛がどうとかっていう話!」

「あら、もしかして今、気になる相手がいるのですか?」

「別にいないけどさ……」

「ふふ、よかった。では、問題ありませんね」


サスーリカはワイングラスに赤い液体を注ぐと、それを一気に飲み干していく。腰に手を当てながらごくごくと喉を鳴らし、グラスの中の血を飲むサスーリカの姿はどこか微笑ましく、愛らしく見えた。


「ふぅ……喉越しスッキリ」


「……」

「……」


「……って、お姉ちゃん。そうじゃなくて……愛するなって言われてもさ、愛する気持ちって勝手に湧き上がって来るものでしょう?」

「そうですね」


ミチェリは小鳥の頭を指で撫でながら事も無げに答える。


「そうですねって……」

「だから、もしもあなたが誰かを愛することがあったなら、なんとしてでも成就させるようにしてください。私たち魔女にとってはたった一度きりの愛なのですから」

「……」


唇についた血を舌先で舐め取るサスーリカの姿が妙に艶めかしく見えて、恥ずかしさのあまりミチェリは思わず視線を逸らしてしまう。


そんなミチェリにサスーリカは告げる。


魔女の寿命は気が遠くなるほど長い。ずっと変わらず美しいままで若さは衰えず、見た目も変わることはない。


にもかかわらず魔女の生涯において愛は一度きり。

二度目の愛は死を招くことになる。だから魔女にとって恋愛とは生命そのものなのだと……。


「……ねえ、どうして魔女は呪われているの?もしそれがなかったら、もっと楽しく生きられると思うんだけど……」


「……さあ、なぜでしょうね。大いなる意思の導きかもしれませんし、あるいは邪悪な精霊によるただの暇潰しなのか、それともお母さまがドラゴンたちを支配者の座から引きずり下ろし、地上から一掃した際に掛けられた古代の呪いなのかもしれません……でも……人の生き血を糧として生きる我々が人と結ばれることは、この呪いが無くともとても難しいことなのかもしれませんね」


「……お姉ちゃん、それなら心配なんていらない。私はお姉ちゃんのことしか好きじゃないから」

「ありがとうございます。私もあなたが好きです。ふふっ、これで両想いですね、ミチェリ」


サスーリカはそう言うと、小鳥たちを空へと放す。小鳥たちの姿は真っ白い雪景色の中に混ざり合い、やがて見えなくなった。

ミチェリはサスーリカの言葉にどきりとする。彼女の顔が近づいてくると自然と目がその唇に釘付けとなり、胸が高鳴ってしまう。


「うっ……」


ミチェリは顔を赤らめて、慌てて目を閉じた。


「ミチェリ、あなたは本当に可愛い子です。私の大切な妹……」


サスーリカはそっとミチェリの頬に触れると、そのまま自分の方へと引き寄せて、優しくミチェリを抱き締める。

ミチェリの心臓の鼓動が激しく高鳴り、体中を巡る血液の温度が上昇する。胸の奥底に甘い痛みを感じながらもミチェリはされるがままにじっとしていた。


「……ミチェリ、よく覚えていて。あなたはとても強くて賢い子です。もし私がいなくなったとしても他の姉妹たちの言うことをよく聞いて……」

「嫌だ!!サスーリカ、どこにも行かないで!!一緒にいてくれるって言ったのに!嘘つき!!」


ミチェリはサスーリカにしがみつく。


「ミチェリ、落ち着いてください。大丈夫です。またすぐに会えますよ」

「……本当?」

「ええ、もちろんです。だって、私はあなたのお姉ちゃんなんですから。それに、私はあなたのことが大好きなんですから。あなたは?」

「好きに決まってるでしょ……」


「ふふっ、嬉しい。では、約束します。私たちはずっと一緒ですよ。例えどんなに離れてしまっても心は常に寄り添っているのですから……」


サスーリカはミチェリの耳元で囁くと落ち着きを取り戻し、ゆっくりとサスーリカから離れた。


その後のサスーリカの話はあまり耳に入らなかった、しかし、魔女になってから何度も聞かされた話だ。


優しき森の魔女サスーリカはこの世界を飛び回り、魔女となり得る素質を持つ人々を探し出す必要がある。

そして、ミチェリはこの地に潜む怪物たちをまとめ上げ、お母さまのために血の儀式を遂行しなければならない。それさえ終われば、誰もがお母さまの庇護の下で幸せに暮らせる日が来るのだと。


この話が終わればまた離れ離れになってしまう。そんな不安感に駆られ、つい聞き流してしまう。

ミチェリの目尻に涙が浮かぶとそれはすぐさま凍りつき、冷たい風に吹かれてさらさらと消えていく。


「……サスーリカ」


「どうしましたか?ミチェリ」

「私、お姉ちゃんのためなら何でもするから……」

「……ミチェリ、私の可愛い妹。どうかこれからもよろしくお願いします」


サスーリカは慈しみに満ちた表情を浮かべると、ミチェリの頭を優しく撫でた。それだけで、ミチェリはまるで母親に抱かれているような心地良さを感じることが出来た。


「うん、頑張るからさ……」

「ふふっ、いい子ですね」


サスーリカは満足そうに微笑みながら立ち上がると、庭園を後にする。

サスーリカの姿が見えなくなるまで見送ると、ミチェリは雪の庭を見つめながら一人呟いた。


「嘘つき……」

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