第37話魔女ミチェリ

それから数え切れない月日が過ぎた後、魔女となったミチェリは魔女としての巨大な力を完全に制御出来るようになっていた。


「……あの頃は本当に楽しかったなぁ」


ミチェリはそう言いながら、懐かしそうに目を細める。


今となってはあの時の記憶も曖昧だが、確かに自分とサスーリカは親友であり、師弟関係でもあった。そして……まだ幼かったとはいえミチェリにとってサスーリカは初恋の相手でもあった。


「…………」


ミチェリは雲をくぐり抜け、山を越え、小さな丘の上からとある村を見下ろしていた。ここはかつて自分を捨てた両親の住んでいる場所だ。


つまり忌まわしき故郷だ。


「ああ……」


思わず声が漏れる。懐かしさからではない。

ただ、醜悪なものを見た時に出るため息のようなものだ。村は彼女が知っている頃とまるで変わらなかった。


建物はボロ小屋か廃屋のようなものばかり。畑は荒れ果て、家畜は痩せこけている。人々は皆、まるで幽鬼のような表情を浮かべ、虚ろな目をして働いている。両親の姿は見えなかったが、もはや大して興味もなかった。


「変わらないな……」


あの頃のままだった。


「ははっ……なにこれ……」


ミチェリは少しだけ気怠げに空を見上げる。


空は雲一つなく晴れ渡っているというのに、太陽は燦々と輝いているというのに、この村の景色はまるで泥沼だ。


「ふっ……」


笑い声がこみ上げてくる。なんて馬鹿げていて滑稽なんだろう。


嘘を吐き、子供を置き去りにして、それか。

私の命を奪ってまで続けたかった生活が、それなのか。


花々が咲き乱れているというのに、小鳥たちは楽しそうに歌っているというのに、この場所だけはまるで地獄のようだ。


ミチェリは笑うしかなかった。


「なーんだ……結局、何も変わってないじゃん……」


こんなもののために自分は捨てられたのか。そう思うと自然と顔がほころんだ。

これを地上から消し去ってしまったして何がいけないというのだろうか、誰が私を責めるのというのか。


ミチェリはサスーリカの真似をして魔力を込めた指先をくるくると回す。

すると、風が吹き始め、やがてそれは嵐となり、荒れ狂う数万の氷の刃が天空を覆うように広がっていった。


「さよなら……」


ミチェリが軽く指を下ろすと、一つの村が消えた。人々は突然の天変地異に驚き、叫び、神に許しを請い、天に祈りを捧げる。


だが、無駄なことだ。

お前たちが許しを請わねばならないのは神でも天でもなく私なのに。


「ふふっ、あっはっは!ふふふっ!」


氷の刃が空気を切り裂きながら落ちていくと、あらゆるものが貫かれ、両断され、粉々に切り刻まれていく。


楽しい。愉快で仕方がない。


「あははははっ!ざまあみろ!あはっ!あははははっ!」


私は自由になったのだ。この忌々しい村から呪縛から。

これから私は絶望の闇を切り裂いていくのだ、この力は世界に希望の朝陽を呼び込む光となるのだ。



『優しき森の魔女よ。どうか私たちの願いを聞いてください』



脊髄を貫かれた家畜が苦悶の鳴き声を上げながらのたうち回り、助け起こそうとした牛飼いの首が転がる。



『私たち夫婦は流行りの病に冒され、先は長くありません。このまま一緒にいれば、いずれこの子も命を落とすこととなるでしょう』



石と木で作られたボロ小屋が紙のように切り刻まれる。

逃げ惑う人々の首筋や足や腕が切断され、あちこちで悲鳴と血飛沫が上がる。



『生まれつき病気がちで体の弱い子です。私たちが死んでしまえば、この子の面倒を見るものはおらず、生きていくこともままならないでしょう。だから、優しき森の魔女よ。お願いします。私たちの最後の頼みをお聞き届けください』



腕の千切れた泣き叫ぶ子供を血塗れの農婦が抱き締めている。農夫は血の混じった泥に頭を擦りつけて、必死に天に許しを乞うている。



『この子が生きていけるようにどうか私たちの代わりに育ててあげてください。この子は賢い子です。必ずやあなたのお役に立つことでしょう。だからどうか、この子を助けてやって下さい。お願いします』



倒壊した家から這い出た老婆は腸を引きずりながら地面を転がり、何度も血を吐いた後、動かなくなった。



『私たちは今から森の獣たちにこの身を捧げます。だからどうか、優しき森の魔女よ。私たちの愛しい娘を守ってあげてください』



母親の死体を見て泣いていた子供たちの体が縦に引き裂かれる。

その光景を見ても父親は悲鳴を上げることもせず、両腕を失ったままぼんやりとした立ちすくんでいた。


ミチェリは笑みを浮かべたまま、次々と村人たちの命を奪っていく。



『私たちの娘の名はミチェリです、清らかな心を持った優しい子です』



「はぁっ……はぁ……はぁ……はぁっ……!」


ミチェリはそっと自分の胸に手を当てる。

鼓動が早い。息が苦しい。呼吸を整えようと深呼吸をする。疲れてもいないのに息が荒くなっている。


悲しくもなんともないのに涙が止まらない。心臓が高鳴り、胸が張り裂けそうだった。


「……」


ミチェリは目を閉じ、心を鎮める。

そして、ゆっくりと目を開くとそこにはいつもの見慣れた風景が広がっている。


青々と茂る木々に、色とりどりの花々。

小鳥たちのさえずりと川のせせらぎが聞こえてくる。


……そうだ。この美しい世界に生きられないなら死んだ方がマシなのだ。



『優しき森の魔女サスーリカよ。私たちはどうなっても構いません。どうか、娘のことを助けてやってください……』



「……」


魔女はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて小さくため息をつくと、ふわりと浮かび上がり何処ともなく去っていった。

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