カーラヴェーラ王、チョーラ朝など

 すみません。この辺の資料は私には難しくて何が書いてあるのかよくわからないけどとりあえず、書き写しておきます。



カーラヴェーラ王


 カーラヴェーラ王は端麗なる黄褐色の身体をもち、児戯を戯れた。次に書・貨銭・算数・法律・宗教的規定に熟達し、一切の学問に修練を積んだかれは、9年間、皇太子としての地位を占めた。以上の24年間を経過してから、次いでかれは、次第に成長するにつれて青春の残余を征服に過ごしつつ、次いで第3のカリンガ王朝の連綿たる正統系譜をうけて大王としての即位灌頂を行うに至った。


 而してカーラヴェーラ王が王位に即くや否や、その第1年に、楼門と城壁と住宅とが風にそこなわれていたカリンガ都市なるキビーラを修復した。かれは清冷なる貯水池の堤防を築造し。また350万金を以て一切の遊園の修理をなさしめて、人民を喜ばしめた。



 解説を引用します。


 マウリヤ帝国崩壊後からA.D.1、2世紀頃までのインドの情勢はいまだ不明な点が多い。南インドにおいては、マウリヤ朝の衰微とともに、アンドラ朝(サータヴァーハナ朝)が急激に勢力を増し、B.C.200年頃からA.D.3世紀頃まで存続し、一時、その勢力はデカン高原全体にひろがり、インド洋、アラビア海にわたって支配した。またほぼ同時代に、カリンガにチェーチ王朝が盛んになった。カリンガは、アショーカが征服戦争をしたことで有名であるが、マウリヤ朝末期に独立し、B.C.1世紀に、第3代カーラヴェーラ王のとき隆盛になった。その支配は、ほぼ現在のオリッサの大部分とマドラスの北部から、ヴィンディヤ山脈以南の南インド一帯(アンドラ朝支配の西部を除いて)に及び、アンドラ朝と一戦を交えたらしい。また、カーラヴェーラはガンジス河沿岸にも進出し、マガダ地方を征服した。カーラヴェーラ王については、アショーカとの対比において、文化史的に注目すべき特徴がある。まず、かれがジャイナ教を保護したと記されている最古の王であること、また碑文では「聖帝」(転輪聖王)とよばれ、たくましい武人、英雄として記されていることである。



 この辺のことは書き写していて私にはわかりません。次にチョーラ朝について書かれた解説を書き写します。すみませんが、私にはよくわからないので、どなたかわかる方がいればいいなと思います。



 チョーラ朝とは、9世紀から13世紀にかけて、南インドのタミル地方を支配した王朝であり、ラージャラージャ1世及び息子のラージェーンドラ1世のとき最盛期(10世紀末~11世紀)を迎えた。このころセイロンへの遠征が行われ、北方は、カリンガ(オリッサ州)、ガンジス河畔まで軍を進めた。またラージェーンドラ1世のとき、スマトラを中心に大勢力をもっていたシュリーヴィジャヤ王国に遠征隊を送って、海上貿易の利を得ていた。

 当時の村落はバラモンに施与されたブラフマデーヤ村落と一般村落とがあり、社会の基本的生産を担ったのは一般村落の農村であった。チョーラ朝が伝統的ブラフマニズムをその社会秩序の基として、王権とバラモンとの結びつきが強かったことから、ブラフマデーヤ村落は、一般村落を統合し、地方における統治秩序を維持していく役割を負わされていたものと考えられている。



 資料集でわからないところは沢山省略し、書き写しただけだったところも多いですが、ここまでで、古代インドを終わりにします。


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