『マヌ法典』 その2

  ネット情報ですけど、世界中のヒンドゥー教徒の人口は仏教徒の人口を上回ると書いてありました。前回ではカースト制度の差別的な規定を書きましたが、どうしてヒンドゥー教はインドに根付いたのか謎ですが、仏教にはない魅力があるのではないかと思うのです。

 今回、渡瀬信之先生の『マヌ法典 ヒンドゥー教世界の原型』という本を読みました。その中で興味深いことが書いてあったので引用します。



 マヌ法典の中の

「以前の失敗のために自分自身を軽蔑してはならない。死ぬまで幸せを追い求めるべし。それを得がたいと思ってはならない。(4・137)」

について


『マヌ法典』の語り口には、インドに関して一般に思われているような諦観は認められない。インド人の諦観は「業」の思想と結びつけられるが、確かに、善因善果悪因悪果の鉄則は一種の運命論ないしは宿命論の色彩を強めたことは事実である。……(中略)……しかしこの断定は、その人生観に運命論を持ち込むことを意味しない。…………人生に対峙する姿勢はきわめて前向きであり、健全である。幸せを得がたいと思ってはならない。失敗しても自己嫌悪するべきではない、死ぬまで幸せを追い求めるべし。これが人生であると『マヌ法典』は言う。



 この本は非仏教系のなかなか面白い本です。私が脱線したかったのは、この部分でこれでヒンドゥー教の人気の秘密がわかるわけではありませんが、仏教よりわかりやすい面があるとは思いました。


 資料集に掲載されているマヌ法典は前回、引用したところとかなり被っているので、資料集の解説のところだけ引用します。



 インドのヒンドゥー法に関する根本資料は、総称して、ダルマ=シャーストラと呼ばれ、『マヌ法典』はそうした数多くのインド法典中、最も重要な位置を占めるものである。これは、天啓文献に対して、聖伝(スムリティ)と呼ばれている賢人の著述に属するもので、人間の始祖マヌによって宣述されたものと伝えられ、元来は、マーナヴァ派と称するヴェーダ学派の所産であると考えられているにもかかわらず、一般に、マヌ=スムリティ『マヌ法典』と呼ばれているのである。ここで「法」とは、今日の法律のみではなく、宗教・道徳・習慣をも意味し、『マヌ法典』も全体としてみれば、一宗教聖典である。その成立年代は、正確にはわからないが、B.C.200年からA.D.200年までの間に、現在ある形を整えたものとみられる。



 私の個人的な感想ですが、仏教系でないインドの話の方がインドらしいと感じてしまいます。


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