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悪も善もない、魂などない、あの世などない、そういう考え方も理解できるし、事実としてありえるでしょうね。
誰かが認識したり思わななれば、そのもの自体がない、というのも。
自分の頭脳の牢獄からは、所詮でられないんですから、脳牢獄の格子の間から見る景色だけで、外のことをあれこれ想像するしかないんですよねー。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
>自分の頭脳の牢獄からは、所詮でられないんですから、脳牢獄の格子の間から見る景色だけで、外のことをあれこれ想像するしかないんですよねー。
とても哲学的! よくわからないけど認識の問題になってくるのでしょうか? つきつめると「我思うゆえに我あり」とか自分の存在すら疑うことになりそうですね。
編集済
道徳否定論は中々凄い話ですが、反抗期の中高生の「道徳なんか守っても仕方ねーんだよ!」というのを更にこじらせたらこういうところに行くのかも、という気もします(^^;)
孟子や荀子に代表される「人間とは……である。だからこうしよう」と社会まで話を広げる中国に対して、「人間はこうだ! 世界はこうだ」で終わるインドやギリシアの比較も面白そうですね。
全部調べるとどれだけ時間があっても足りなさそうですが(^_^;)
作者からの返信
コメントありがとうございます!
道徳否定論は詭弁的なもので言葉の上でのことかと思っていたのですが、心から道徳の否定に行き着くこともありうるのですね。
ギリシアは難しく感じることが多く、哲学・思想は詳しく調べずに行き過ぎてしまいました。インドはブームだったことがあるので少し親しみやすいです。中国思想はこれからどうなることか?
>孟子や荀子に代表される「人間とは……である。だからこうしよう」と社会まで話を広げる中国に対して、「人間はこうだ! 世界はこうだ」で終わるインドやギリシアの比較も面白そうですね。
そうなのですか!! 特に期限もないので出来る範囲で調べてみたいです。
古代中国、春秋時代~戦国時代の諸子百家もそうですが、活発に議論が交わされ、様々な思想が勃興してくる時代というのはワクワクしますね。
しかし六師外道か……。響きが中二心を刺激してくれて好き(はぁと)
ここでいう「外道」は、「異端の教え」という意味なんでしょうけども。釣り用語の外道も「釣りに来た目的じゃない魚」ですし。
プーラナの道徳否定論とパクダの七要素説は、悪役のモデルにしてみたいですね(笑)
作者からの返信
コメントありがとうございます!
古代中国の諸子百家も様々な思想が勃興してくるワクワクする時代ですね。このエッセイで取り上げる時、少し詳しく調べると思うので楽しみにしております。
六師外道って言われてみると響きが格好良いですね(^^♪
プーラナやパクダの思想は悪人が心の拠り所にしていそうです(笑
そして仏陀のような人に説教されて改心したりして……。
善悪つけるのは本当に難しい……。だからこそ、「モラル」という文化があるのでしょうね。
仏教にもさまざま定義はありますが、一つの善悪の分かれ目としては戒律がわかりやすいかな。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
考えるだけなら善悪に対してどう考えてもいいとは思いますが、社会生活ではモラルを守ってもらえないと落ち着いて生活できないですね。
次に取り上げる項目が「原始仏教」なので、今涙目で解説書読んでいます(笑)。形而上学的な哲学論争にはかかわらないで、実生活を戒律で整えようとしているのかな? というかよくわかりません(泣)。