カラカラ帝の市民権付与の勅法

 ローマ帝国内の全自由民にローマ市民権を付与した法なのですが、本文は威厳のある文章にするためか、まわりくどい言い回しなので後にして、解説から



 カラカラ帝(211~217年)によるこの勅法は、アントニヌスの勅法と呼ばれるものである。後世、ユスティニアヌス帝によって評価されたこの勅法は、同時代人に酷評された。ひとつには、カラカラ帝への悪評が原因である。幼少より残忍なことで知られ、共同統治した弟ゲタ帝を宮中で殺害したことが有名である。

 この法は「ローマ帝国内の全自由民にローマ市民権を付与した」ものであるが、当時は、財政難に対処するためであるといわれた。事実、相続財産の20分の1税が課せられるのである。

 しかし、この法の歴史的意義は大きい。これまでさまざまな形で存在したローマの都市(征服の過程で生じていたもの)の区別は消滅し、諸都市に与えられていた特権の違いによる市民の身分の違いもなくなり、都市は平均化し、市民権も平均化した。いわゆる初期帝政から専制君主制への移行をこの法は示している。



 それでは、勅法の本文をご覧になってください。長くはないです。



 皇帝カエサル=マルクス=アウレリウス=セウエルス=アントニヌス=アウグストゥス宣示す。朕は愁訴と請願とを除去せんことを欲するものにして、たまたまかの勝利に対する感謝を表すべき機会が到来せるにより、朕が今永劫不滅のローマ諸神に対していかにして感恩の意を表すべきかを求むるを可とせん。されば外人が帰服して朕の臣民となることあるごとに、これをわが国諸神の礼拝に導入すとせば、もって諸神の神意に副いうることまことに大にして敬虔たりうべきことを信ずるなり。ゆえに朕はローマ帝国におけるすべての外人に対してローマ市民権を付与す、降服者は例外として与えず、ただし国家の各種の制度は在来のままに存置して変更を加えず。朕が市民権を付与するは、わが国民は不幸についてのみならず実に勝利についても共に与かるべきものなればなり。この勅法はローマ国民の尊貴を増すならん。



 どうでしょう? 私はカラカラ帝のはずが、最初の長い名前は何かと思いました。


追記:古代ローマ関係の本を読んでいたら、カラカラはあだ名だと書いてありました。彼が好んで身に着けた、カラカラと呼ばれたガリア風マントにちなんでいます。



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