バガウダエの反乱など

 省略しようと思っていた幾つかの項目に簡単に触れます。


・バガウダエの反乱


 バガウダエ(ケルト語で戦士を意味する)の反乱が、2世紀から5世紀にかけてガリアを中心に起こったそうです。

 蛮族の侵入が帝国内の民衆の支持を受けたり、逆に蛮族がバガウダエの反乱の鎮圧に利用される例もあったそうです。

 少しだけ引用します。



 かくするうちに、貧しきものは無一物とされ、寡婦は嘆き、孤児は足蹴りにされる。ついには、彼らのうちの多くのものたち、しかも卑しい生まれから成り上がったものでなく自由人としてよき教養をつけたものたちが、国家的迫害の下に死ぬことのないようにと敵のもとへ逃れるほどである。いうまでもなく彼らはローマ人のもとで蛮族的な非人間性をたえることができないので、蛮族のもとにローマ的な人間性を求めるのである。



 以下、バガウダエについて語られています。帝国の財政的危機のしわ寄せが、下層階級の者に押し付けられ、ガリアだけでなく、トラキア・エジプトなどでも、反乱や農民の逃亡があったそうです。



・ローマ水道


 解説の一部を引用します。



 ローマ水道の遺跡はかなり残っている。ローマ水道で忘れてはならない人物は、道路建設で有名なアッピウス=クラウディウスで、ローマ南方10マイルの丘の水源から、ローマへ水を供給する工事を行った。

 ローマの発展にともない属州各地にも水道が建設されて、ハドリアヌス帝の時代には、水源から80マイルもの長い水道を建設した(カルタゴ市)。



・ローマの植民市


 解説から一部引用します。



 ローマは、都市国家として出発して、広大な地中海帝国を形成したが、その属州支配の拠点が植民市であった。ローマ市民権をもつ植民市(コロニア)を建設する場合と既成の都市を自治市(ムニキピウム)としてローマ市民を住まわせる場合とがあったが、いずれにしてもローマ支配の拠点となった。

 都市はローマ化を推進していくためにローマ文化、ローマの生活様式を持ち込まれたから、ミニローマともいうべき都市が各地に誕生した。アフリカの都市化がもっとも著しく、数百の都市が建設された。



 北アフリカは結構、開発されていたのですね。知りませんでした。




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