五賢帝期の繁栄
『ローマ帝国衰亡史』より
シーザーがはじめて大量に鋳造させた「アウレウス」金貨(8.19グラム)は、急速に帝国で最も重要な貨幣となり、さらに世界中貨幣経済の行われる所ではどこでも高く評価されるようになった。帝政時代初期のアウレウス金貨はスカンディナヴィア・シベリア・インド・セイロン・東南アフリカ、さらに中国のような遠隔な地方においてまで出土し、この時期を通じて商業がいかに大規模に行われたかを雄弁に物語っている。
この繁栄にあずかった度合いは、属州によってかなりまちまちであった。帝国の心臓部ともいうべきイタリアは最も経済的に進んだ地方で、一時は全地中海地域の焦点でもあり、新しく開けた北方・西方の諸州とはとくに盛んな通商を行なった。魚・肉・果物・チーズ・木材・石材・鉄などイタリアの豊富な物資は半島内でひろく交換された。さらに重要なのは、奴隷労働を使用し、資本主義的な線に沿って経営される輸出用ブドウ酒・オリーブ油の生産組織で、その生産物はとくにドナウ河に沿う国境の北部と西部にある諸州、すなわちゲルマニア、ガリア、スペイン、およびアフリカに送られた。これと並んで、カンパニアおよび南イタリアの精巧な技術をもつ繊維産業、カンパニアの青銅製品とガラス製品、またアレティウムの窯で大量生産される赤塗の陶器も重要な輸出品であった。これらの商品の大きな部分はアクィレイア市を通過したため、同市は土着の琥珀産業による繁栄に加えて、この仲介貿易によっても栄えた。この仲介貿易を営んだのは、バルビウス家やスタテイウス家のような有名な商人家族であったが、彼等はイタリアの商品や海外の商品をドナウ河地方やイストリアに送り、それと交換に奴隷、家畜、毛皮、蜜蠟、チーズ、蜂蜜、その他の農産物、およびノリクムの鉄と羊毛を輸入した。さらに南方においても、イタリアの輸出商業がいかに盛んであったかは、ポンペイ市やアクィレイア市の商人が豊かで数奇を凝らした家に住んでいた事にも反映されている。そして、これらと交換にイタリアは、帝国内外の到るところから奢侈品を輸入した。
東方の諸州に対して、「アウグストゥスの平和」は戦争からの平和をもたらし、その繁栄を再開せしめた。ローマの穀倉ともいうべきエジプトは、首都ローマ市の住民に1年のうち4か月分の食糧を供給した。この州に産する上質の大理石は船で海外に運ばれ、砂漠の砂すらローマ市に運ばれて剣闘士養成所の床にまかれた。穀物に次ぐエジプトの主要産業はパピルスであったが、パピルスは古代世界においては実際上唯一の紙の原料であった。
有名な商人の家族がいたのですね。解説です。
五賢帝期のローマはその領域も最大となった。「アウグストゥスの平和」は、帝国を繁栄に導いたのであるが、属州支配はイタリア半島をうるおしただけではなく属州をも活気づけたようである。共和政末期の属州搾取による疲弊の姿と一変している。属州に駐屯するローマ軍団は、属州の生産活動に刺激を与えた。けれどもそれはイタリア半島にとっては市場の減少という意味をもった。事実、半島内部では奴隷制から小作制へと切りかわりつつあったし、五賢帝末期から軍人皇帝時代にはイタリア半島は衰退しはじめる。帝国の構造も変質し、皇帝と官僚・軍人による専制的支配へ移行していく。
アウレウス金貨、ずいぶん遠くまで流通していたのですね。
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