クレオパトラの実像

 クレオパトラについては、映画になったりテレビで特集されたりマンガになったりで、有名なのではないでしょうか? 私はマンガで読んだのでそのイメージがあります。

 では、この資料集ではどうでしょう? 引用します。



 次の日アントニウスは、返礼の饗宴を催し華麗と調和を以てそれをしのごうと勢い込んだが、そのいずれにも敗れて相手に圧倒され、真先に自分の設備の無趣味と粗野を嘲った。その嘲りの言葉を聞いて、クレオパトラはアントニウスが全くの兵隊で下賤なことを見抜き、この人に対して既に容赦なく露骨にそういう態度を取った。現に、人々の言うところでは、クレオパトラの美もそれだけでは一向比較を絶するものではなく見る人を驚かす程のものでもなかったが、交際振りに相手を逃さない魅力があり、その容姿が会話の説得力と一座の人々にいつの間にか浸み渡る性格とを兼ね備え、針のように心を打った。口を開けば声音に歓楽が漂い、絃の多い楽器のような舌を話す事柄に如何にもうまく合わせて揮い、非ギリシャ人に会う時も通訳を待つことは殆どなくて、エチオピア人にもトローグロデュタイ族(「洞窟の住民」の意。紅海北部西岸の種族。)にもヘブライ人にもアラビア人にもシリア人にもペルシャ人にもパルティア人にも自分で返事をした。その他いろいろの民族の言葉を覚えていたと言われたが、この人よりも前の諸王はエジプト語さえ習いおおせず、中にはマケドニア語さえ忘れたものもいたのである。



 解説です。



 クレオパトラ7世(在位B.C.51~B.C.30年)は、プトレマイオス12世の娘、生粋のギリシア人の血統を受け継いだ。この資料は、プルタルコスの英雄伝、アントニウスの項からの引用。アントニウスはカエサルの部将、第2回三頭政治でオクタヴィアヌスと並ぶ実力者であった。エジプトへ到着した彼を、カエサル亡き後のエジプトのパトロンにと目論むクレオパトラが饗宴を催した。この資料は、その返礼にアントニウスが彼女を招待した箇所である。短い部分であるが、クレオパトラの実像が見事に伝えられている。

 クレオパトラは数か国語を操り、エジプトの民衆の言葉を解した唯一人のプトレマイオス朝のファラオであった。太陽神の娘であると本気で信じていた彼女は、エジプトの命運を自身に賭けていた。民衆に人気があり、ローマに対する策謀はローマの許すところでなく、彼女の死によってプトレマイオス王朝は滅亡したが、ヘレニズム世界の洗練された文化は、ローマには驚異であった。



 頭の良い才女で、魅力的な雰囲気美人といったところかな?



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