スラの独裁――共和政の変質――
無産市民の志願兵を採用して軍隊を作ったり、従来の兵制が崩壊してきたみたいですね。資料は史家サルスティウスの『カティリナ戦記』より
しかしルキウス=スラが武力によって国家を掌握し、よき始めから悪しき結果を導いてよりのち、すべてのものは奪い、掠め、あるいは家をあるいは土地を欲し、限度も慎みもこの勝利者らになく、市民の間に恐るべき残酷な行為が繰りひろげられた。しかのみならず、スラはアシアで築いていた軍隊を、自己に忠誠ならしむため、父祖の遺風に反して贅沢に、かつ寛大至極に扱った。快き逸楽の地は閑暇のうちに果敢な兵士の心を容易に柔げ、ここに初めてローマ人の軍は恋と酒とに馴染み、彫刻、絵画、浮彫の器に対する驚きを知り、それらを公私の手管を尽くして奪い去り、寺院をも掠奪し、聖俗のすべてを潰した。それゆえその兵士らは、勝利を獲得したのち被征服者には一物の余すところもなかった。事実繁栄は賢者の心を苦しめる――習俗頽廃せる彼らが勝利を正当に行使するか、と。
(中略)
しかしローマ市の民衆は多くの理由から自暴自棄となっていた。なによりも第一に、いずこにあっても無恥と厚顔において人に勝るもの、卑劣によって財産を失ったもの、さては恥ずべき行為や犯罪によって故郷を追われたものたちが、すべて水の低きにつくがごとくローマ市に流れ込んだから。次に、スラの勝利を記憶する多くのものは、ただの一兵卒からあるものは元老院議員となり、またあるものは金持になって王侯の生活で年月を送っているのを見たので、武器を執れば勝利によってかかるものを望み得ると考えたからである。またさらに、田舎において手仕事の報酬で貧困を耐えていた若者たちは、公私の贈与に惹かれて、不愉快な仕事よりも都会の閑暇を選んだからである。これらおよび他のすべてのものは国家の不幸に養われた。それゆえに、貧しく、性悪しく、最大の望みを持ったものが国家を自分自身と結び付けて考えたのは、いっこうに驚くにあたらない。さらにまた、スラの勝利によって両親が追放され、財産を奪われ、自由権を減少されたものは、まったくもっともな気持ちを抱いて戦いの結果を見守っていた。加うるに、元老院側ならざる諸党派に属していたものたちは皆、自己の力の振るわぬことより国家の混乱することを選んだ。さらにその悪状態は何年ものちになって国家の上にふりかかってきたのである。
私には言い回しが分かりづらい所があります。解説です。
この引用した部分は、スラの登場とその頃の世相に対する批判がこめられている。軍隊が、このように私兵化して、個人に忠誠を誓うようになるのは、マリウスの兵制改革からで、こうした軍隊を背景にローマの政局を左右する政治家が続出して混乱を極めた。しかし、スラの独裁官就任は、共和政再建という意味があり、彼は、行政面でのさまざまな改革に着手する。スラは元老院と組んで反動化したとの評は、必ずしもあてはまらない。彼は閥族派・元老院とも対立している。この資料にもふれられているが、一兵卒が元老院議員になるように変化してくるのは、スラの改革によってである。スラ改革が、まさに独裁によって行われたということは、スラ改革は、カエサルを経てアウグストゥスの帝政につながる一直線上の改革であったともいえる。
スラは引き際が良かったため穏やかな晩年を過ごせたみたいです。
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