リキニウス=セクスティウス法
法律が徐々に整備されていきますね。特に読みづらくもないので引用していきます。
借財の莫大さのため、改革の時が到来したように思われた。この不幸(借財)の軽減を、平民(プレブス)は仲間を最高の支配権に据えぬ限り望むことができなかったこのことは考えてゆかなければならなかった。平民は努力して活動することによって、すでにある地歩を得ているから、もう一歩努力すれば最高のものを獲得し、名誉においても美徳においても元老院議員に比肩することができるのであった。差し当っては護民官を選出し、この官職を通して平民自身のために他の官職への道を開くのがよい、と彼らは考えた。ガイウス=リキニウスとルキウス=セクスティウスが護民官に選ばれ、法案を公表したが、それはすでに貴族(パトリキ)の力に抗し、平民の利に資するものであった。すなわち、一つは借財に関する法――利息としてすでに支払われた額を元金から差引き、残額を3か年同額ずつの分割払いとすること。第2に所有地の制限に関する法――なんびとも500ユゲルム(125haの広さ)以上の土地を所有してはならぬこと。第3には執政武官の選挙を廃止し、以後コンスルの1名を必ず平民より選ぶこと、これら三つの法案はすべて並みはずれたもので、きわめて大きな闘争がなければ獲得しえぬものであった。
解説です。
リキニウス=セクスティウス法の成立には激しい身分闘争があったと伝えられている。身分闘争をひきおこした背景として、ガリア人の災厄(B.C.390年)、絶えざる戦争が平民に負担をかけたため、債務による窮乏化を強いていたというB.C.4世紀前半のローマの状況を理解しておく必要があろう。しかも、貴族はこの間に平民との富の格差を拡大しており、コンスルも十二表法成立当時の「王のような」権限はすでにもたず、官職はかなり数が増えて権限が分割されていた。
したがってそれほど、この法は改革的であるとはいえなかった。むしろ、この法の公有地の占有の制限というのも平民の有力者に土地占有の機会を与えることになってしまった。事実リキニウスはその後、公有地を占有し、みずから提案した法によって処罰された。平民の有力者と貴族が結びつきを強めるようになって新しい貴族(ノビレス)が成立し、以後のローマは少数のノビレスによって支配されるに至った。
ノビレスという階級が誕生するのですね。あれ? 法律悪用された?
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