ロムルスとレムス

 『プルターク英雄伝』よりの引用です。旧仮名遣いなのを直しています。



 さて2人の子供が捨ててあるところへ牝狼が来て乳を飲ませ、啄木鳥もそれを助けて食物を運び番をしたと伝えている。これらの動物はマルス(軍神)のお使いと考えられているが、ラティウムの人びとは特に啄木鳥を畏れ敬っている。そこで2人の子供はマルスの子だと言ったその母親の言葉も素直に信じられた。(中略)さて2人の子供をアムーリウスの豚飼ファエストゥルスが拾って育てたことは誰も気付かずにいた。もっともある人の言うように、ヌミトルは知っていて養い親にそっと養育費を補助していたとする方が本当らしく思われる。2人の子供はガビイー(町の名)に遣られて、身分のある子供に必要な読み書きその他を習ったと言われる。2人は獣の乳を吸っているところを見られたので乳房(ルーマ)という言葉からロムルス及びレムスと名づけられた。さて身に具わる貴い血筋は幼いうちからたちまち体力にも容姿にも本性を表し、成長するに及んで2人とも勇ましく雄々しくなり、明かな危険に対しても気概を失はず、全く怯むことのない胆力を持っていた。ロムルスの方が思慮に富み政治の才能を具え、牧畜や狩猟について近隣の人々と交渉する場合も、生れつき服従よりは支配に向いていることをはっきりと認めさせたようである。そこで2人は同じ身分の仲間にも目下の者供にも親切にしたが、王の代官や目付役や家畜の指図役を勇気にかけて一向自分たちより優れていないとして軽蔑し、それらの人の威嚇も立腹も心に懸けなかった。自由な人間にふさわしい生活と仕事を営み、閑暇や遊惰でなく体操や狩猟や競走や山賊と闘うことや盗賊をつかまえることや苛められている人々を暴力から救うことを自由な人間の仕事と考えていた。正にこれらの事のために2人の名はあたりに聞こえていた。



 解説です。


 カピトリーノの狼として知られるエトルリア期のブロンズ立像がある。この狼の乳を吸っているロムルスとレムスの兄弟は、後世のルネサンス期に加えられたものであるが、狼は、B.C.5世紀前半の頃のものと推定される。リヴィウスのローマ史にも出てくるこの双子の兄弟の伝説は、ローマ建国伝説のひとつであり、ローマ文化が東方起源の文化、たとえば、エトルリアやギリシア文化の影響を受けたことを示している。

 ローマに先行して高度な都市文明を形成したエトルリア人については疑問点も多いが、ローマが、エトルリアから多くのものを学んだことはローマの伝承より明らかである。


 ローマ建国にまつわる資料でした。



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