クレイステネスの改革

  軽く読みたい方には向かない内容です。


 アテナイは従前も強大であったが、当時僭主の圧制を脱して以来一層強大になった。そこに2人の人物が権力をふるっていたが、それはアルクメオニダイ家の一人で、ともかくあのピュティアをろうらくしたとうわさされるクレイステネスと、私にはその素性を言明する事ができないが、名門に属するティサンドロスの子イサゴラスとであった。もっとも、彼の一族はカリア・ゼゥスにいけにえをささげている。これらの人間が二派に対立して勢力を争うに至ったのであるが、クレイステネスは劣勢であったから民衆を味方にした。そして、その後彼は4部族であったアテナイ人を10部族とし、ゲレオン、アイギコレゥス、アルガデス、ホプレスというイオンの子供達の名を廃して、アイアスは例外とし、別な土着の神人達の名を見つけ出した。このアイアスは異邦民ではあったが、隣人で盟友であったというので付け加えたものである。

 クレイステネスの改革のうちもっとも重要なものは、「部族」の改変であった。従来、アテネ共同体に所属する全人民は4部族に分かれ、各部族は3胞族より成り、各胞族は30氏族より成っていたと伝えられる。この古い部族は、貴族勢力の地盤として作用していたので、これに代る部族制度をつくるのが改革の目標であった。

 そこで彼は、アッティカ全域を都市部、内陸部、海岸部の3部に分け、各部をさらに

10の小部分(『3分の1』と呼ばれる)に分け、都市、内陸、海岸の各部よりひとつずつ「3分の1」を組み合わせて1部族とし、合計10部族をつくった。そして各部族には、数個の区がおかれた。しかし、胞族や氏族は従来のままとされた。この新しい部族は、従来の4部族が「血縁部族」と呼ばれるのに対し「地縁部族」と呼ばれる。

 この部族を基礎にして、各部族から50人の評議員を選出し、ここに「五百人会」と呼ばれる評議会が発足した。また各部族から1人選出された合計10人の「将軍」ができた。僭主になってやろうという野心がありそうだと民衆から疑われる人を、投票によって10年間の国外追放に処する「陶片追放の制」がはじめられたのもこの改革の時であった。アリストテレスまたはその弟子の作とされる『アテネ人の国制』は、「これらの改革の結果、国制はソロンのそれよりはるかに民主的となった」と評価している。



 解説は部族制の改変が重要だったと書かれています。

 血縁から地縁になると民主政が進む? ということでしょうか?



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