ギリシア人の植民活動と海軍の創設

 この辺は納得できないこともあるし、地中海の覇権はフェニキア人との関係もどうなのだろう? と思います。

 調べてみて、「ペルシア戦争もギリシア人とフェニキア人の対立という一面がある」という記述を見つけました。

 でも、このエッセイは「世界史資料」という本を読んだことに基づいているので本の中から、トゥーキュディデース著の『戦史』とその解説を引用します。



 こうして長年ののち、ようやくギリシアは永続性のある平和をとりもどした。そしてもはや住民の駆逐がおこなわれなくなってから、植民活動を開始した。アテーナイ人はイオーニアとエーゲ海の大部分の島嶼に植民を送り、ペロポネソス人はイタリア、とりわけシケリア島の多くの地方に植民地をひらき、またその他のギリシア諸地のいくつかにも植民した。これら植民地はいずれもみな、トロイア戦争後の建設になるものであった。

 ギリシア人の勢力が増大し、そして以前よりもさらに物資の獲得につとめるようになると、諸ポリスではいっせいに独裁者が台頭し、収益はさらに増大した(それまでは世襲の王がある一定の権限を与えられて統治をおこなっていた)。そこでギリシア各地には海軍が組織され、ギリシア人はますます海にむかって勢力をひろげていった。船の構造を、ほとんど現在のものに近く改築したのは、コリントス人が最初であり、またギリシアで最初の三重櫓船を建造したのも、コリントス人であった、と伝えられる。さらに、サモス人のために4艘の船を造ったのもコリントスの造船家アメイノクレースであったらしい。アメイノクレースがサモスに赴いたのは、今次大戦の終わった年から遡って、せいぜい300年くらい昔であったろうか。最古の海戦として知られているのは、コリントス人とケルキューラ人との戦であって、右と同じ算定によると、古くとも、これは250年以前の出来事であった。コリントス人は陸峡地帯にポリスを営み、きわめて古くから通商の中心を占めていた。



 私には理解できない意味不明な資料です。解説を読むと


 トゥーキュディデース(B.C.460頃~B.C.400年頃)の『戦史』から採録した。ギリシアの植民活動と海軍の発達について記したものである。

ギリシア人の植民活動は、B.C.750年頃から活発化し、約200年間にわたって、地中海各地に植民市を建設した。

植民市には農業植民を目的としたもの、商業活動の拠点として植民したものに大別できる。コリント人による三段櫓船の発明が、軍船の威力を強めたことと、当時の地中海世界に強力な競争相手が存在しなかったことが、ギリシア人の植民活動を容易にしたものと考えられている。

ギリシアの植民活動は母市ごとに行われたから、ローマのような政治的統一という方向をとらなかった。母市と植民市は、制度上・宗教上つながるものがあったことはもちろんであるが、独立したポリスを形成するのが普通である。こうした植民活動を通じて、ギリシアは商業活動がさかんとなり、その後の歴史展開に影響を与えた。



 何となくはわかるのですが、資料の前後関係もわからないし、私には全体像がわかりません。

 この本のギリシアの部分はこんな感じの資料が多くて、私には難しいです。

 私のエッセイには、あまり載せないほうが良さそうな資料のようにも思えますが、資料を読むという主旨のエッセイでもあるので、難しくても引用したほうがいいのか悩みます。






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