インカ皇帝アタウアルパとの会見(エステーテ)

 「コルテスの語るアステカ文明」は長い上にそれほど面白いとも思えなかったので、省略します。インカ皇帝アタウアルパとの会見(エステーテ)もかなり長いですが、引用します。



「われわれは、橋のかけられた小さな掘割りを渡って、その谷の中の、憩いの館に着いた。そこには、そのアタバリカ(アタウアルパ)の温泉がいくつかあって、すばらしい眺めだった。橋を渡ると、インディオの軍隊が、いくつも、武器を手にしてたむろしていた。それとは別に摩擦もおこさずに、そこを通り抜け、大領主(アタウアルパ)のいる場所を教えてもらって進んでゆくと、その館の前の庭に出た。その庭をうずめた多くのインディオのまんなかに、あんなにもうわさや報告を聞かされた大領主アタバリカが、顔をおおいかくすほど長い房のついた王冠をつけて坐っているのが見えた。それは王のしるしだったのだ。彼は床からほんの少しの高さしかない小さな床机にトルコ人かモロ人(イスラム教徒)のような坐り方で坐っていた。その威厳と立派さは比類なかった。600人以上のその国の貴族が彼を取囲んでいた。エルナンド=ピサロが口をきって、われわれの到着を報告するとともに、自分たちが偉大な王の廷臣で、この国を知り発見するため、またわれらの神イエス=キリストの信仰を説き、彼と彼の臣下を教え、改宗させるために派遣されたものであること、友好と平和のためにつくしたいこと、などを述べた。アタバリパは、これを聞き、われわれがどこから来て、なにを望んでいるのか尋ねたく思い、またわれわれの人物や馬を見たく思っていたにもかかわらず、顔つきは平静そのもので、態度もいたって厳然としており、自分に語りかけられた言葉にも答えようとせず、ただかたわらにはべる貴族たちのひとりが、『なるほど』と相槌をうっただけだった。エルナンド=ピサロは、彼が口をきかずに、その第三者が答えたのを見て、みずから口を開いて、好きなことを答えてもらいたい、と懇請した。すると彼は、エルナンドの方に顔をむけてじっと見つめ、微笑しながらこう言った。『お前たちをここに派遣した部将に伝えてくれ。私はいま断食中で、あすの朝それを終えるから、なにか口にしてから、部下の貴族たちを何人か連れて、彼に会いに出かけよう。だからそれまで、広場の家に泊っていてくれ。それは公共用だから。だが、私が行くまでは、ほかの建物に足を踏み入れてはならない。その他の守るべきことについても、私が追って命令を出す』このように答えて、その王は、われわれに馬から降りて食事していくように言ったが、できるだけ口実を設けてことわった。すると彼は言った。『食事がいやなら、お前たちがいまいるこの国の酒を飲んでいけ』これはことわるわけにいかなかった。すると、なん人かの女が、黄金の容器を手にしてあらわれ、女たちの近くにいた者たちに飲ませた。こうしている間、彼(アタウアルパ)は、馬に大きな注目を払っており、明らかに気に入ったらしかった。そこで、エルナンド=デ=ソトという一カピタンが、後足で立つ駄馬を連れてきて、その内庭を走ってみていいか、と聞き、承諾を得たので、喜んですこしあばれてみせた。馬は元気よく、口から大いに泡を吹いた。そして、彼(アタウアルパ)は、馬が向きを変える速さに驚いたが、臣下たちの驚きはもっと大きく、大きなつぶやき声がおこった。そして一団の人たちが、馬がまむかいに走ってくるのに驚いて、あとずさりしたが、彼らはその晩、自分たちの命をもってその代償を支払わなければならなかった。というのは、アタバリカは彼らが恐怖を示したことをなじって、死刑に処すよう命じたからである。このことが終わり、驚くべき軍隊と幕舎をよく偵察しつくしたので、われわれはカピタン(フランシスコ=ピサロ)の待っているところに帰りはじめたが、目にしてきたことに、すっかりおびえていた。われわれは、ほんの少数でこの国の奥深くに投げ出され、救援を求めようにも、サン=ミゲル(ピサロが海岸地方に作った根拠地)からは80レグア以上も離れていたので、一同ひとしく恐怖にとりつかれ、どのような行動を取ったらよいかについて、多くの意見や判断が出た。そして総督(ピサロ)のもとに帰ると、いっさいの報告をなし、その晩は彼の宿舎に全部の者が集まって、翌日の行動を相談しあった。そこで、その晩エスパニャ人たちは、大いに興奮してほとんど眠らず、広場で警戒にあたったが、そこからインディオ軍の明かりが見えた。それは驚くべき光景だった。山の斜面の大部分に、それらの火は互いにくっつきあって光を放ち、星の多く見える晩の夜空のようであったからである」



 この資料は、インカ帝国の皇帝アタウアルパ(1500~1533年)とスペイン人が会見した時の様子を記したものである。フランシスコ=ピサロの部下エステーテは、ピサロの弟であるエルナンド=ピサロらと共に、皇帝と会った。



 何というか、この皇帝も捕らえられて殺されて、簡単にインカ帝国が滅んでしまい、巨額の富が略奪されるのです。

 黄金郷熱の高まるヨーロッパ人にとっては夢のような冒険譚でしたね。

 インカ帝国側の言い分は資料として何か残っているのでしょうか?




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