第6章 家族の肖像
青葉は衰えを知らない息苦しさを抱えていた。
その理由は同級生からの告白にあった。そのときに自分のした行動が間違いだとは思っていない。しかし、罪悪感を覚えずにはいられなかった。形はどうであれ、同級生を傷つけたことに変わりはないのだから。
ここで問題なのがこれからのことだった。少なくとも、今までどおりというわけにはいかないだろう。かといって、ずっと避け続けるというのは、同じクラスである以上、不可能だ。正直、青葉はどう対処すればいいのか困っていた。
───小鳥に相談してみようかな。
ふと脳裏に親友の顔が浮かび上がった。
「青葉ちゃん」
そのとき、タイミングよく小鳥がやって来た。
「あ、小鳥」
「青葉ちゃん、ちょっと話があるから、ついて来て」
珍しく小鳥が真剣な顔をしていたので、青葉は少し驚いた。
「どうしたの、急に?」
「いいからついて来て!」
小鳥は質問の答えを返す代わりに青葉の手をつかむと、強引に外へ連れ出した。
彼女が向かった先は屋上だった。中に入ったとたん、青葉は一瞬忘れていた息苦しさをふたたび覚えた。
「小鳥、いったいどうしたっていうの?いつもの小鳥らしくないわよ」
困惑気味に尋ねる。確かに今日の小鳥はいつもの小鳥ではなかった。
小鳥は叱責するようなまなざしで青葉を見つめながら、いつもとは違う口調で話しかけた。
「小鳥ね、このあいだの日曜日にね、総次先輩と腕を組んで歩いている青葉ちゃんを偶然見かけたの。なんで総次先輩と腕を組んで歩いていたの・・・?」
「え・・・」
青葉は言葉を失った。一気に血の気が引いていくのが自分でも分かる。まさかあのときの行動が、一番知られてはいけない相手に知られてしまうとは予想だにしなかった。運命の神様はなんて残酷で無情な仕打ちをするのだろう。
「あのときの総次先輩と青葉ちゃんは、まるで恋人同士のようだった。ねえ、どうしてあんなふうに総次先輩と歩いていたの?青葉ちゃんは総次先輩とはただの同居人だって言っていたのは嘘だったの?今までずっと小鳥のことをだましていたの?」
声を震わせながら矢継ぎ早に尋ねる。
「小鳥!ち、違うの!それは・・・」
「何が違うっていうの!ただの同居人だったら、絶対にあんなふうに歩いたりしないよ!」
小鳥は嵐のような悲憤を青葉にぶつけた。友達となってから初めて見た小鳥の表情に、青葉は視線を逸らすのがやっとだった。否定もできないが、肯定もできない。ただ沈黙するしかなかった。
対峙するふたりのあいだに静寂が訪れる。しかし、そこには聴覚では感じられない音が存在していた。友情という壁にひび入る音が。壊れるはずはないと信じて疑わなかった鉄の壁が今まさに崩壊しようとしている。なんて悲しいことだろうか。
今、目の前にいるポニーテールの少女は、本来の温かさや無邪気さを失っていた。よく知っているはずの少女なのだが、別人のように思える。しかし、彼女は間違いなく青葉の一番の親友だった。
こんな小鳥なんて見たくなく。青葉はその場から逃げ出したい衝動にかられたが、肝心の足がすくんで動かなかった。蛇に睨まれた蛙だった。
「青葉ちゃんは総次先輩のことをどう思っているの?」
一転して冷たく静かな口調で尋ねる小鳥。これが事実上の最後通告だった。
青葉はその問いかけに対しても口を閉ざすことしかできなかった。死刑の執行を待つ死刑囚のような感じで。胸が針のむしろにくるまれ、ただこうして待つことすら苦痛だった。いっそのこと刑を執行されたほうがはるかにましだと思えた。
「もういい!」
ふたたび激情の嵐が吹き荒れ始める。
「総次先輩はどんなことをしてでも小鳥がもらうからいいもん!パパやママにお願いして、すぐ結婚式をあげてもらえるようにするからいいもん!小鳥は青葉ちゃんみたいに可愛くないけど、これでも国府宮財閥のお嬢様だから、その気になれば力ずくで総次先輩をお婿さんにできるんだから!小鳥、早退してパパとママにお願いしに行く!」
小鳥はきびすを返して歩き出した。
その瞬時、青葉の金縛りが解けた。
「待って、小鳥!」
悲鳴にも似た声が飛び出す。その声が鎖となり、去り行く親友の動きを止めた。
「・・・私は・・・私は総次さんが好き・・・だから、たとえ小鳥でもこのことだけは譲れない・・・」
青葉は震える体を両腕で抱きしめながら、小さな背中に語りかけた。
いつかこうなることは予測できていた。知っていて、少し先の現実から目を背けていた。小鳥を傷つけないようにと思い、親友として彼女の恋を応援する立場を取った。自らの気持ちを深い海に沈めて。しかし、その気持ちを押しとどめることはできず、今の状況を生み出してしまった。自業自得以外のなにものでもなかった。
友情の壁が大きく揺れている。激しい振動と瓦礫の崩落の音を伴いながら。青葉にはその音がはっきりと聞こえていた。恐らく、崩壊するのは時間の問題だろう。青葉は激しく後悔した。もっと早く自分の気持ちを彼女に明かしていればと。そうすれば、たとえ友情が壊れてしまっても、小鳥の傷はもっと浅かったに違いないからだ。だが、遅く明かされた真実は優しさという偽りの衣を破って鋭利な刃をのぞかせると、大切な親友の心をズタズタにしてしまった。
ここに至ってはもう取り繕うことはできない。正面に向かい合って激突するしかない。それが同居人への淡い思いに気付いたときに決まった運命だったのだから。そう、もはや心の迷路の中心に潜んだ思いを守るためには、親友と争うという選択肢しか残されていないのだ。
青葉は目に涙が浮かべて小鳥の背中を見つめた。
「そっか・・・やっぱりそうだったんだね・・・」
小鳥はそうつぶやきながら振り返った。
その顔を見た青葉は息を飲んだ。彼女の顔から笑みがこぼれていたからである。
「いいよ。青葉ちゃんがそこまで総次先輩のことを思っているなら、譲ってあげる。だって、青葉ちゃんは小鳥の一番好きな親友だから。それに、総次先輩も小鳥よりも青葉ちゃんを選ぶに決まっていると思うし、相手が青葉ちゃんなら小鳥も安心してまかせられるから」
「小鳥・・・」
青葉は予想外の出来事にただただ驚くばかりだった。絶交すら覚悟していたのだから無理もない。誰がこのような展開になると予想できようか。
「これからは恋のキューピッドになって、青葉ちゃんと総次先輩のことを応援するね」
と言って、いつもの無邪気な笑みを見せる。そのとき、不意に彼女の瞳から大粒の涙が一滴こぼれ落ちた。
「あれっ、どうして涙が出ちゃうのかな。小鳥は笑顔で青葉ちゃんたちのことを応援するって決めたのに・・・あれっ、止まらない・・・」
手で涙を拭う小鳥。しかし、涙は堰を切ったように次々と溢れ出した。
「なんで小鳥、泣いちゃうんだろ・・・笑うつもりいるのにどうして泣いちゃうのかな・・・泣き虫な小鳥でごめんね、青葉ちゃん・・・」
小鳥は右腕で目を隠すと、脱兎のごとく駆け出した。
「小鳥!」
今度の青葉の呼びかけは届かず、小鳥は屋上から姿を消した。
ひとり残された青葉は、沈痛な面持ちで親友が立っていた場所を見つめた。
小鳥との友情は残った。秘めていた総次への思いを公然とできるようになった。青葉にとっては、まさに願ったり叶ったりの結果だった。そして、そうなったことに安堵している自分がいる。親友がひどく傷ついていることを知っていてながら安堵している自分がいる。そんな自分自身に青葉は憎悪に近い嫌悪感を抱いた。ここまで自らの存在が嫌になったのは初めてだった。
罪の意識という茨が青葉の心に巻きついて激しく締め上げる。胸の痛みと苦しさはやがて深い悲哀へと変わっていった。
───どうして人を好きになっただけで、こんなに苦しい思いをしないといけないの?どうしてこんなに悲しい思いをしなくてはならないの?
浮かび上がった疑問がさらなる痛苦をもたらす。もう何もかもが嫌になった。このまま消えてしまいたい。そんなことすら本気で思ってしまった。
「ごめんね、小鳥・・・」
青葉は両手で顔を覆いながら嗚咽した。
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