第4章 激突!大運動会

はるか頭上に広がる青一色の空間───

年に一度の町内運動会は、雲ひとつない快晴のもとで行われることとなった。

この運動会は皐月町の8つの地区───北皐月、南皐月、月宮(つきみや)、竹前(ちくぜん)、蛍火(ほたるび)、躑躅咲(つつじさき)、春日山(かすがやま)、御坂(みさか)

がそれぞれの威信をかけて競い合い、毎年熱戦を繰り広げている。

特筆すべき点はなんといっても賞品の豪華さで、それが小さな子供からお年寄りまでという幅広い年齢層の参加者を多く集め、運動会を名実ともに皐月町の最大のイベントに押し上げる原動力となっていた。

水無月家がある躑躅咲の選手として参加することになった総次は、軽いストレッチをしながら、決戦の時が来るのを待っていた。

とにかく負けられない!自分が水無月家の女性陣の期待を一身に担っている以上、負けるわけにはいかない!強い責任感が総次の心を奮い立たせる。

勝負に絶対という言葉はない。たとえどんなに実力差があっても、必ず何らかしらの敗北の可能性が含まれている。総次はそのあり得ない絶対の勝利を心底欲していた。自分のためではなく、ここまで優しく接してくれた若葉、青葉、紅葉のために。

そう思えば思うほど、自然と気持ちが高ぶり、武者震いを禁じ得なかった。

「これより開会式を始めますので、各地区の選手の方々はグラウンドの中央にお集まりください」

不意に選手集合のアナウンスが流れる。

───よし、いくぞ!

総次は手のひらで一度、自分の頬を軽く叩いて気合をつけると、集合場所となっているグラウンドに向かった。

開会式は町長の挨拶と激励から始まり、来賓の挨拶、選手宣誓、準備運動という流れで進み、最後に大会の運営委員から第1種目が10分後に行われることが伝えられ、解散となった。

「おーい、総次」

総次が躑躅咲の応援席へ向かおうとしたそのとき、背後から倭が声をかけてきた。彼も総次と同じ躑躅咲の選手で、同じ色のはちまきを頭に巻いていた。

「総次は最初、何に出る予定なんだ?」

「俺は確かパン食い競争だったな」

総次はそう言って、短パンのポケットからプログラムを取り出して再度確認をした。

その結果、総次が最初に出る競技が5番目に行われるパン食い競争だということが判明した。

「お、そうか。それじゃあ、俺と同じ競技に出るんだな」

「そうなのか。それなら、力を合わせて1位を目指そうぜ」

総次は心強い援軍が加わっていることを素直に喜んだ。

「ああ。もちろんだとも。だが、これで俺とおまえは味方でもあり、ライバルでもあるという関係になったな」

倭は意味ありげな笑みを浮かべた。

「それって、どういう意味だ?」

親友の言葉の真意を計りかね、怪訝そうに問いただす。

「ここの運動会っていうのはちょっと変わっていてな。同じチームにいても、ライバル関係になるようになっているんだ。ひとつ尋ねるが、総次の目当てはパン食い競争のパンではなく、賞品の電子レンジが目当てだろ?」

「そんなの当たり前だろ。俺は電子レンジを若葉さんにプレゼントするため、この競技に出るんだから」

「なるほど、おまえも別のひとに頼まれて参加しているんだな。実は俺も姉貴に電子レンジを取って来いと言われて、参加するようになったんだ。だが、肝心の電子レンジはひとつしかないんだ」

「え、そうなのか。1位になったチームの参加者全員にくれるんじゃないのか」

「そんなことしていたら、予算がいくつあっても足りんだろ。いくら皐月町最大のイベントといえど、さすがにそこまでは無理に決まっている」

「うーん、確かにそれもそうだな」

よく考えると、まったく倭の言うとおりだった。

総次が先ほどまで思っていたような考え方では、すぐに町の財政は破綻してしまうだろう。

「それじゃあ、その電子レンジは1位になったチームのメンバーでくじ引きでもして、当たりを引いた奴が手はいるようにでもなっているのか?」

「いや、1位になったチームの中でさらに優秀な選手がもらえるようになっているんだ。つまり、俺たちが出るパン食い競争の場合、一番速くゴールした人間がもらえるってことさ」

「なるほど、そういうシステムになっているのか。うまく考えたものだな」

総次はようやく倭の言葉の意味を理解することができた。

「まったくだ。ちなみに各競技での賞品はそれ以外に出ないから心しておけよ」

倭もうなずいて同意を示した。

「そいつはまた厳しいな」

「なんでも歴代の町長から代々受け継がれている『真の勝者はひとりのみ』という格言によって、そういうルールが定められているらしい。これは俺たちが生まれる前からそうなっているみたいだぜ」

「そういえば、さっきの町長も確かそんな言葉を熱く語っていたな」

総次は、開会式で熱弁を振るっていた町長のことを思い出した。

「まあ、一応参加賞と全体で上位に入った地区の選手に対する賞品は出るから、最悪の場合、地区全体の賞品だけでも持って帰りたいな」

「俺はそんなものより、みんなのために個人の賞品を手に入れたい」

「そのためには、まず俺たちの地区が1位にならないと元も子もないから、とにかく頑張ろうぜ」

「ああ、そうだな」

総次は力強くうなずくと、倭と一緒に躑躅咲の応援席へ向かって歩き出した。

それからまもなく第1競技が始まり、運動会の会場は大きな歓声と声援がいたるところで響き渡り、熱気と活気に包まれた。

───これが皐月町の大運動会なのか・・・

新参者の町人である総次は、想像をはるかに超えた周囲の熱い空気に圧倒された。

競技は淡々と進み、気が付けば総次が最初に参加するパン食い競争が始まろうとしていた。

「パン食い競争に参加する選手の方はグラウンドに集合願います」

アナウンスにうながされ、総次はグラウンドへ向かった。

選手が全員集合したのと同時に、運営委員からパン食い競争の簡単なルールと注意事項が説明される。

「ハハハ・・・なんなんだ、この競技は・・・」

それを聞き終えた瞬間、総次は力ない笑い声を上げながら走るコースを見渡した。

パン食い競争は200mトラック1周によって行われ、ジャムパン、アンパン、フランスパンを食べながらゴールを目指すという内容だった。

ただし、この食べるというのが曲者で、全部食べないと先に進めないというルールになっており、足の速さ以外にも食べる速さも必要となっていた。

総次は足の速さに自信はあっても、食べる速さには自信はない。

かといって、ここで引き下がるわけにはいかない。もはや今となっては、とにかくやるしかないのだ。

総次は自分自身に喝を入れ、萎えていく気力を支えた。

「おい、どうした。そんなに険しい顔をして」

そのとき、倭が総次に声をかけてきた。

「いや、なんでもない」

総次は努めて何事もないように装った。

同じチームの仲間であっても、ライバルでもある相手に弱気なところは見せられない。

「そうか、それなら別にいいが、さっきも言ったとおり、とにかくチームの勝利が最優先だからしっかり頼むぞ」

「分かってる」

総次は感情の乱れを悟られないよう冷淡な口調で答えた。

こうして、不安が交錯するなかでパン食い競争が始まった。

係員の指示のもと、各地区の第1走者がスタートラインに立つ。

「位置について・・・ヨーイ・・・」

スタートの合図をする係の人間が右手に持つピストルを高く掲げる。

しばしの間の沈黙のあと───

パン!

乾いた空砲の音が鳴り響き、8地区の選手が走り出した。

それから、次々と選手が走り出し、ついに総次の出番がやって来た。

スタートラインに立った総次は、一度大きく深呼吸をしたあと、左足を前に出し身構えた。

「位置について。ヨーイ・・・」

総次は目を閉じ、精神を集中させた。

時間にすれば、4、5秒の間であろうか。その直後、パンという音が鳴り、ほぼ同時に総次は目を開き、猛然と駆け出した。

走り出した総次の前と左右には誰もいない。まさに完璧なスタートダッシュだった。

スタートで主導権を握った総次は、持ち前の脚力で一気に後続を引き離し、ジャムパンが吊り下げられている関門に着いた。

競技前のルール説明で、手を使わずパンを取らなくてはならないと言われていたので、総次は口を大きく開け、パンを取ろうとした。

ところが、気持ちが先走っているせいか、なかなかパンを取ることができない。そうこうしているうちに、南皐月と御坂の選手が追いつき、総次の焦りに拍車をかけた。

───落ち着け、落ち着くんだ!

自らにそう言い聞かせ、焦りの歯車を止めようと試みる。すると、うまくジャムパンを取ることに成功した。

総次は急いでジャムパンを手に持つと、一気に食べ始めた。これを完全に食べ終わらなければ先に進めない。総次は必死にジャムパンを口に押し込むと、次の関門を目指して走り出した。

今のところ総次が先頭ではあったが、その差は先のタイムロスのせいで格段に縮まっていた。

今度はロスなくクリアしなければならない、と思いながらアンパンの吊り下げられたエリアに入った。

ここでは一回でアンパンを取ることに成功した総次は、ふたたび差を広げるべく、アンパンを食べ始めた。

───さすがにアンパンはきついな。

ジャムパンよりも喉ごしが悪いため、何度も詰まりそうになる。

苦労しながらもなんとか食べ終えることができた総次は、同じように苦戦している他の選手を尻目に最終関門へ向かった。

そこまでの道中を全力で走り抜け、フランスパンが置かれているテーブルにたどり着いた総次は、思わず深いため息をもらした。

───いくらなんでもフランスパンはないだろ・・・

皿の上に盛りつけられているフランスパンを恨めしそうに見る。

そのフランスパンは、長さこそたいしたものではなかったが、そのぶん固そうな雰囲気を漂わせていた。

救済措置としてコップ一杯の牛乳が隣に置かれていたが、それでも食べるのに苦労するだろうと総次は思った。

とにかくゴールを目指すためには、一刻も早くこれを食べ終えなければならないので、総次は手でフランスパンを千切りながら食べ始めた。

フランスパンは予想どおり固かった。だが、こんなことでへこたれてはいけない。総次は牛乳を飲みながらフランスパンを押し流すように食べた。

そのあいだに、4人の選手に追いついてフランスパンを食べ始めたが、最初に総次が食べ終え、そのままトップでゴールを目指した。

もう自分1位は確定したようなものだが、少しでも早くゴールしなければお目当ての賞品が手に入らなくなる可能性があるので、総次は最後の力を振り絞って懸命に走った。

緩やかなカーブを曲がって最後の直線に入った直後、待望のゴールが視界に映る。

総次は心の中で雄叫びを上げながら、猛然とゴールに飛び込んだ。

この瞬間、総次は賞品獲得への希望をつなぐことに成功した。

しかし、競技の勝負方法が各選手の順位によってポイントを加算し、その合計を争うというルールになっているため、賞品が手に入るかどうかは競技が終わってからでないと分からなかった。

総次は乱れた呼吸を整えると、スタート地点に目をやった。

そこには最終走者を務める倭が立っており、スタート合図を待っていた。

総次にとって、倭が一番気になる選手だった。

同じチームの仲間であるのと同時にライバルでもある存在。賞品の行方の鍵はこの倭が握っているといってもおかしくない。それ故、彼の走りに興味が向くのは当然のことだといえよう。

総次が見守る中、倭が走り出した。

倭は総次の予想していたとおり、とにかく食べる速さがずば抜けていた。

そんな彼を見て、総次は複雑な心境にかられた。

賞品を手にするためには、まずチームで1位にならないと駄目なので、倭には頑張ってもらいたい。

しかし、頑張りすぎて総次の走破タイムよりもいい結果を出されてもらっては困る。

矛盾した気持ちがどうしようもないくらいもどかしい。総次は、素直に応援できないジレンマを痛感しながら親友の走る姿を追った。

結局、倭は平凡な足の速さを食べる速さで補って1位となった。

その瞬間、嬉しさと不安が入り混じった感情が総次の心に渦巻く。

「よお、なんとか1位になったぜ」

走り終えた倭が安堵の笑みを浮かべ、こちらにやって来た。

「これで俺たちの地区が優勝できるといいな」

総次は不安を押し殺しながら言った。

「ああ、そうだな。ここまで頑張ったんだから、なんとしても1位になりたいな。ついでに、最優秀選手に俺が選ばれれば、文句はないんだがな」

倭がそう言って、不敵な笑みを見せる。

総次はその言葉に対して、何も答えることができず、沈黙するしかなかった。自分が倭よりも早くゴールした自信がなかったからである。

「それでは、選手のみなさんはグラウンドの中央に整列してください」

そばにいた係りの人間の指示を受け、総次たちはグラウンド中央に整列した。

整列が完了すると、競技の結果を告げるアナウンスが流れ出した。

「それでは結果を発表します。パン食い競争の第1位は・・・躑躅咲・・・」

その瞬間、会場が歓声と拍手に包まれ、総次たちのチームの選手から喜びの声が上がった。

「よしっ!」

総次も小さなガッツポーズを作った。しかし、すぐに気を取り直して真顔に戻った。

「2位は春日山、3位は月宮・・・」

2位以降の成績が発表されるが、もはや総次の耳には届いていなかった。

早く最優秀選手が誰なのか知りたい。総次はただそれだけを願っていた。

「8位は南皐月、以上がパン食い競争の結果となりました。続きまして、最優秀選手を発表します。パン食い競争の最優秀選手は・・・」

総次は固唾を飲んでアナウンスに耳を傾けた。

「伊倉総次さんに決まりました。伊倉総次さんは至急、前に出てください」

「よっしゃあ!」

総次は派手に右腕を上に突き上げた。競技前の不安が大きかったぶん、その喜びはひとしおだった。

「おめでとう、総次」

後ろにいた倭が総次の左肩を軽く叩いた。

「ありがとう」

総次は喜びの感情をあらわにして振り返った。

「さあ、念願の電子レンジがお待ちかねだ。早く行って来いよ」

「ああ」

総次は小走りで、町長が立っているお立ち台へ向かった。

そして、町長からお祝いの言葉と一緒に電子レンジが入った箱を受け取った。

ずしりとした重みが両腕に伝わる。その重みはまるでこの勝利の価値を表しているようだった。

総次は、若葉の願いを叶えることができた喜びと安堵感を噛み締めながら、改めて自らの勝利を実感した。

───残りの競技も絶対に勝ってみせる!

歓喜の渦の中で、総次の心にふたたび強い決意を宿した。

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