第4章 激突!大運動会
パン食い競争を終えた総次は、躑躅咲の応援席の一角でプログラムを広げ、次に参加する
競技を確認していた。
そのとき、倭がこちらにやって来た。
「おーい、総次。次は何に参加するんだ?」
「ああ、次は二人三脚に参加することになっているんだ」
「そうか。俺はそいつには参加しないから、しっかり応援してやるぜ。それで、おまえの
パートナーって誰なんだ?やっぱり青葉ちゃんか?」
「いや、青葉ちゃんの妹の紅葉ちゃんだよ。一緒に参加してくれって頼まれたんだ」
「へえー、青葉ちゃんって妹がいるのか。ひょっとして、おまえってものすごくうらやま
しい家に下宿しているんじゃないのか?」
倭は少しひがみ気味に言った。
「まあ、確かに生活環境はいいかな」
それに対し、余裕の笑みで応える総次。
「おい、せっかくだから、その紅葉ちゃんを紹介しろよ」
「うーん、どうしようかなあ・・・」
わざとらしくもったいぶってみせる。
「お兄ちゃーん」
ちょうどそのとき、紅葉が小走りで駆け寄って来た。噂をすればなんとやらというやつで
ある。
「お兄ちゃん?」
倭が目を丸くしながら総次を見る。
総次は血のつながりのない妹に向かって話しかけた。
「紅葉ちゃん、もしかしてもう二人三脚が始まるのかな?」
「うん、そうだよ。だから、お兄ちゃんを呼びに来たの」
紅葉はにっこり笑って答えた。
「そうか。わざわざ呼びに来てくれてありがとう」
総次はそう言うと、倭のほうに向き直った。
「それじゃあ、紹介するよ。この娘がさっき話した紅葉ちゃんだ。紅葉ちゃん、こいつは
俺の親友で嵐山倭っていうんだ」
「どうもはじめまして。ご紹介に預かりました嵐山倭です。よろしく、紅葉ちゃん」
倭は待っていましたと言わんばかりに、愛嬌のある笑みを浮かべ、やや演技がかった挨拶
をした。
「はじめまして。水無月紅葉といいます。こちらこそよろしくお願いします」
紅葉も屈託のない笑みを浮かべながら、元気よくお辞儀を返した。
「おい、総次」
倭は笑顔のまま、総次のわき腹に軽く肘鉄を食らわした。
「なんだよ」
「おまえがまさか今、ちまたで流行っている「妹属性」だったとは思わなかったぜ」
「おい、おまえ、何か勘違いしていないか?」
総次が横目で睨む。
妹属性とは、血の繋がっていない年下の女の子に「お兄ちゃん」と呼ばれて、慕われたい
と思う人間のことである。近年、ゲームやアニメなどがきっかけとなり、大ブームを巻き
起こし、かなりの男性がその現象に陥っているらしい。
もちろん、総次は妹属性ではないのだが、実際、血のつながっていない年下の女の子に「お
兄ちゃん」と呼ばれているので、倭がいうように妹属性と思われても仕方がない。本当の
妹属性の男が彼の置かれている状況を知ったら、きっと泣いてうらやましがることだろう。
血のつながりのない年下の女の子と同じ屋根の下で暮らすなど、そうそうあるはなしでは
ないのだから。
そう考えると、第三者から見た俺はやっぱり妹属性になるのかな、と総次は複雑な気持ち
にかられた。
「別に隠すことはないだろ。俺とおまえの仲じゃないか。それに、おまえの気持ちはよく
分かるぜ。あんな愛くるしい年下の女の子に「お兄ちゃん」と呼んでもらいたいと思うの
は当然のことだ。くうー、俺も紅葉ちゃんみたいな女の子に「お兄ちゃん」と呼ばれてみ
たいぜ」
倭は羨望と嫉妬の感情をあらわにしながら地団駄を踏んだ。
おまえのほうが「妹属性」じゃないのか、と総次は心の中でつぶやいて、冷ややかな視線
を送った。
「そんなに呼んでもらいたいなら、私が呼んであげようか。倭お兄ちゃん」
そのとき、倭の背後から千歳が悪戯っぽい笑みを浮かべながらやって来た。
「頼むからそいつだけは勘弁してくれ。今、おまえに「お兄ちゃん」って呼ばれただけで、
めまいがして、鳥肌が立ってきたぞ」
倭が疲れ果てたような顔をしてそう言った瞬間、千歳の鉄拳が彼のみぞおちに直撃した。
「ぐわっ」
もはや定番と化した悲鳴をあげてその場にうずくまる。
「うわっ、痛そう」
紅葉は口もとに手を当て、つぶらな瞳を大きく見開いた。ふたりのやりとりを見て、相当
な衝撃を受けているようだった。総次自身も初めてこのやりとりを見たとき、思わず引い
てしまったので、彼女がそうなるのも無理はない。
「ふんだ、どうせ私は愛らしくないわよっ」
千歳もお決まりのごとく、鼻を鳴らして拗ねた仕草を見せた。
「お兄ちゃん、あのひと、大丈夫かな?」
紅葉は不安一杯の表情をしながら小声で尋ねた。
「ああ、いつものことだから、大丈夫だよ」
総次は、そんな彼女の心配を取り除くかのように笑顔で答えた。
総次と紅葉が参加する二人三脚は、200メートルのトラックを半周して、次の走者にた
すきを渡すというリレー形式で行われた。そして、レースは序盤から最下位争いという厳
しい展開で始まった。
出番を待つ総次は、自分の所属しているチームの苦戦に頭を痛めていた。このままでは、
こちらがどんなに頑張っても賞品はもらえない。なんとか挽回してほしいと切に願いなが
ら、総次は戦況を眺めていた。しかし、そんな願いも虚しく、状況は一向によくなること
なく、8チーム中7位という場面で総次と紅葉の出番がやってきた。
総次は紅葉と一緒にスタートラインに立つと、自分の右足首と彼女の左足首を紐で結んだ。
「お兄ちゃん、頑張ろうね」
紅葉はにっこりと微笑んだ。
純真さあふれる笑顔を見せられ、総次は内心困ってしまった。素直に笑える状況ではなか
ったからである。
「ああ、頑張ろう」
総次は、とりあえず作り笑いを浮かべて答えた。紅葉には悪いと思ったが、そうすること
しかできなかったのだ。
他のチームの走者が、次々とバトン代わりのたすきを渡されてスタートしていくのに対し、
総次たちは未だ動けずにいた。相手を見送るたびに、総次の心の中で苛立ちともどかしさ
が募っていく。ここにいる自分は、まるで檻の中で自由を渇望する虎のようだった。
「頑張れー」
紅葉はこちらに向かっている走者にエールを送った。
「もう少しだ、頑張れ」
総次もつられるように激励する。
絶望的な状況であったが、ここであきらめてはいけない。たとえ限りなくゼロに近い数値
であったとしても、あきらめなければ、逆転できる可能性はまだ残る。蜘蛛の糸のような
希望であっても、今はそれにすがるしかなかった。
亀のような歩みで同じチームの走者がこちらに近づく。その距離が縮まるにつれ、気持ち
だけが先走る。総次は大旱の雲霓を望む心境で、たすきの到来を待った。そして、走者か
ら待望のたすきが渡された瞬間、野に放たれた虎のごとく飛び出した。
その刹那───
「きゃっ」
紅葉が小さな悲鳴を上げ、バランスを大きく崩した。
そのため、総次は危うく転倒しそうになり、その場で立ち止まった。
「ご、ごめん、紅葉ちゃん」
総次は自分が急に動き出したことが原因だと気づき、謝った。つい先に進むことだけしか
考えず、パートナーの存在をすっかり忘れてしまったことを深く反省する。
「ううん、気にしないで。とりあえず紅葉が声をかけるから、お兄ちゃんは1で右足を出
して」
「分かった」
「それじゃあ、いくよ。1、2・・・」
紅葉の愛らしい掛け声を合図に、ふたたび前進し始める。
ここからは、まるで本当の兄妹であるかのような一糸乱れぬ連携を見せ、テンポよく進ん
だ。しかし、残念ながら相手との差を詰めるところまではいかなかった。結局、総次たち
はひとりも抜くことができずに次の走者にたすきを渡した。
───万事休すか。
総次は険しい表情で戦況を見つめた。
結果は8チーム中の7位で終わり、総次は目的を果たすことができなかった。
「ごめん、紅葉ちゃん。賞品を手に入れられなくて」
競技が終わった直後、総次は謝罪の言葉を口にした。総次のせいではないのだが、どうし
ても責任を感じずにはいられなかった。経緯はどうであれ、結果として紅葉の期待に応え
られなかったからである。
「ううん、お兄ちゃんが謝ることなんてないよ。だって、お兄ちゃんは紅葉のために一生
懸命やってくれたもん。それに紅葉が二人三脚に誘ったのは、賞品が欲しいからじゃなく
て、お兄ちゃんと一緒に走りたかっただけだから気にしないで。こっちこそ、紅葉のわが
ままに付き合ってくれてありがとう、お兄ちゃん。おかげでお兄ちゃんと一緒に走れるこ
とができて、紅葉はすごく嬉しかったよ」
屈託のない笑みを浮かべる紅葉。
総次はその笑顔を見て、胸が詰まるような気持ちにかられた。紅葉の言葉がただただ嬉し
かった。
「ありがとう、紅葉ちゃん。そう言ってくれると、俺もすごく嬉しいよ。あ、でも今度の
障害物競走のほうは、賞品が欲しいんだよね?」
「あ、うん。わがままばかり言ってごめんね」
紅葉はそう言って、心底申し訳なさそうな顔をした。
「そんなこと別に気にしなくていいよ。俺は紅葉ちゃんのお兄ちゃんなんだから、遠慮せ
ず好きなだけ頼ればいいよ。そのほうが俺も嬉しいしね。よし、今度は絶対勝ってみせる
から、応援をよろしく頼むよ」
総次は鋼鉄の決意を全身に宿した。
「うん!紅葉、精一杯応援するね!」
紅葉は総次の言葉に対し、とびっきりの笑みで答えた。
200mのトラックの半周にあまたの障害物が並べられ、障害物競走の準備が整った。
先頭のランナーとなっている総次は、スタートラインで軽く屈伸したあと、行く手を阻む
障害を見渡した。ここは絶対に負けられない。総次の闘志と気力は、先ほどの二人三脚以
上に充実していた。
「位置について・・・」
スターターから号令がかかり、各選手がいっせいに身構える。総次も同じように前傾姿勢
をとって身構えた。
しばしの沈黙のあと、乾いたピストル音が鳴り、それと同時に総次は勢いよく飛び出した。
スタートした時点で、彼はトップに躍り出ていた。渾身のロケットスタートを決めた総次
は、その勢いに乗って最初の障害であるハードルを次々とクリアしていった。
とく速く、とく前に。総次はただそれだけを考えていた。すべては妹みたいな少女の願い
を叶えるために。その強い思いがあくなき勝利への執念を生み、実力以上のものを発揮さ
せていた。
ハードルを越え、網をかいくぐり、平均台を渡り、跳び箱を飛び、タイヤを引っ張る。総
次は走るスピードを削ぐことなく、それらの障害を乗り越え、後続を大きく引き離してゴ
ールした。圧倒的にして完璧な勝利だった。
総次は選手が集合している場所に戻ると、じっと戦況を見つめた。
できるものなら、他の走者に代わって走りたいと思うのだが、無論そんなことはできない。
どうすることもできないもどかしさが苛立ちを募らせる。
───神様、俺たちのチームを勝たせてくれ・・・
心の中で切に願う。普段は神様などあてにはしないのだが、今回ばかりはすがりたいと思
わずにはいられなかった。
やがて全選手が走り終わり、結果発表へと移った。
総次は固唾を飲んで、耳を澄ませた。
「それでは障害物競走の結果を発表します。1位は躑躅咲・・・そして、最優秀選手は伊
倉総次さんに決まりました」
「よしっ!」
総次は派手なガッツポーズをしたあと、町長が立っているお立ち台へ向かい、賞品の自転
車を受け取った。そして、意気揚々と躑躅咲の応援席へ戻った。
「お兄ちゃん!」
勝利の凱旋を果たした総次を真っ先に出迎えたのは紅葉だった。そのあとには、青葉、倭、
千歳の姿もあった。
「お兄ちゃんはやっぱりすごいね!あんなに大きく差をつけて勝っちゃうんだから、本当
にすごいよ!」
嬉々としながらはしゃぐ紅葉を見て、総次の顔から自然と笑みがこぼれた。
「これも紅葉ちゃんが応援してくれたおかげだよ。はい、これはそんな紅葉ちゃんへのご
褒美だよ」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
紅葉は総次から自転車を受け取ると、心底嬉しそうな顔をした。それを見て、総次は本当
に勝ててよかったと思った。
「あ、そうだ。お兄ちゃん、少し屈んで」
「ん、これぐらいかな」
総次は紅葉の言葉に従い、体を小さく屈めた。
「お兄ちゃん、大好き!」
紅葉は総次のそばに寄ってそう言うと、つま先立って頬にキスをした。
「え、え?」
突然の出来事に総次は狼狽しながら紅葉を見た。後ろにいた青葉、倭、千歳も驚きの表情
を浮かべている。
───い、今、紅葉ちゃん、俺にキスしたのか・・・?
夢心地の気分になる。
先ほどの出来事を思い浮かべると、自然と頬に伝わった柔らかい感触が呼び起こされ、総
次の顔が真っ赤になった。それは間違いなく紅葉のキスが現実のものだという確かな証拠
であった。
「あのね、お友達の奈々ちゃんが、もしお兄ちゃんが勝ったときに、こうするとお兄ちゃ
んが喜んでくれるって教えてくれたの。どう、お兄ちゃん?」
「あ、えっと、その、うん、嬉しいんだけど・・・」
総次はしどろもどろになりながら言葉を濁した。嬉しくないことはないのだが、それ以上
に恥ずかしいという気持ちが強かった。
「エヘへ、よかった。お兄ちゃんが喜んでくれて」
一方、紅葉は何事もなかったかのように、屈託のない笑みを浮かべていた。
「ち、ちょっと、紅葉!いきなりそんなことしたら、駄目でしょ!」
ようやく我に返った青葉が、慌てて紅葉のそばに駆け寄った。
「ほえ、どうして?」
きょとんとしながら尋ねる。
「ど、どうしてって・・・と、とにかくこういうことは、いきなり人前でやったら駄目な
の。分かった?」
青葉は言葉に窮しながらも、強引に納得させようとした。
「よく分からないけど、分かった」
紅葉は首を傾げながらも姉の言葉にうなずいた。
「よ、可愛い妹からの祝福を受けた感想はどうだ?色男」
呆然と立ち尽くす総次に向かって、倭が声をかけた。
「い、色男だなんて嫌だな、倭君。まあ、感想はビバ奈々ちゃんって感じかな。ハハハハ・・・」
総次は乾いた笑い声を上げながら、空を見上げた。
「もう、完全に頭に血がのぼって、舞い上がっているわね」
千歳はそうつぶやくと、深いため息をついた。
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