第3章 ふたつの思いの狭間で

夕食を済ませた総次は、自室で本を読みながらくつろいでいた。

その本は、競艇選手だった父親を失った少年が天使の少女と出会い、恋に陥るという物語だった。

───なんかむちゃくちゃな話だな。

総次は思わず苦笑を浮かべた。

そのとき、部屋のドアをノックする音がした。

「総次さん、青葉ですけど、入ってもいいですか?」

「ああ、いいよ」

「失礼します」

ゆっくりドアが開き、青葉が部屋に入ってきた。

「総次さん、今日は小鳥の件でいろいろお世話になりました」

深く頭を下げる。

「いや、俺は特に何もしていないから、そんな気を使わなくてもいいよ。それより、あれから小鳥ちゃんや青葉ちゃんは、あのバカ女どもから仕返しなどされなかったかい?」

「はい、それは大丈夫です。あのあと、あの子たちは先生からきつく怒られましたし、それから半場先輩が休み時間のたびに小鳥のところへ顔を出してくれたので、すっかり大人しくなりました」

「ああ、なるほど。だから、千歳の奴、休み時間のあいだ、教室にいなかったんだ」

「そのとき、半場先輩とお話ししたのですが、とてもいいひとですね」

「千歳は面倒見がいいからな。でも、あいつがそこまでしてくれたなら、もう安心かな。でも、また何かされたらそのときは遠慮せずに言ってくれよ」

「ありがとうございます、総次さん」

青葉は嬉しそうに再度、頭を下げた。

───やっぱり青葉ちゃんって可愛いよな・・・

愛くるしい笑顔が胸を高鳴らせる。

「あの、総次さん。総次さんにひとつ聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

「え、な、何かな?」

見惚れていたところで話しかけられ、総次は少し動揺した。

「総次さんは小鳥のことどう思っていますか?」

「え、小鳥ちゃん?どうして、急にそんなこと聞くんだい?」

意表をつく質問に、総次は思わず面食らった表情を浮かべた。

「え、えっと、そのなんて言えばいいんでしょうか・・・」

青葉も予想外の問いかけが返ってきたことに困惑する。

「そうですね・・・その、総次さんが小鳥のことをどんなふうに見ているのか知りたかったのですが、やっぱりこんな質問は変ですよね。すみません、急に変なこと聞いてしまって」

申し訳なさそうに謝る。

「あ、謝ることなんてないよ。えっと、それって俺が小鳥ちゃんに対してどんな印象を持っているかっていうことが分かればいいかな?」

「あ、はい。それで十分です」

「そうだな・・・小鳥ちゃんは少し子供っぽくて一方的なところもあるけど、明るくて純粋で優しい、とてもいい娘だと思うよ」

総次は少し考えたあと、思っていることを率直に話した。

「そうですか。よかったあ、それを聞いて安心しました」

その答えを聞いた青葉はほっと胸を撫で下ろした。

安堵しきった表情から、青葉の友達思いの強さがうかがえた。

「総次さん、これからも小鳥と仲良くしてあげてください。小鳥は総次さんのことが本当に好きみたいですから」

「あ、ああ・・・」

いきなり告げられた言葉に、総次はただ曖昧な返事を返すことしかできなかった。

青葉の言葉は、波紋となって総次の心を大きく乱した。

───それって、小鳥ちゃんと付き合ってくれという意味なのか?

これが真っ先に浮かんだ疑問だった。

確かに小鳥が総次に対して好意を抱いているのは、火を見るより明らかだった。

ただし、その好意がどういうもので、どこまでのものなのかはまったく分からなかった。

何しろ、出会ってまだ日も浅く、お互いのこともよく知らないのだから、理解するほうが無理だといえる。

また、青葉の言う「仲良く」も小鳥の好意と同様に、どこまでの範囲のものなのか定かではなかったので、それが心の混迷に拍車をかける結果となった。

総次は漠然と相槌を打ったあと、なんて答えていいのか分からず、途方に暮れた。

どういう意味か確認すれば一番てっとり早いのだが、無論、そんなことを直接聞けるはずがない。聞けば、もう後戻りできなくなってしまう可能性が十分考えられるからだ。

「総次さん、突然お邪魔してすみませんでした。それでは失礼します」

「あ、うん・・・」

そうこう考えているうちに勝手に話が終わってしまい、総次はまたもや歯切れの悪い返事を返した。

そんな総次の心境も知らずに青葉は一礼して、部屋から出て行った。

総次はしばらく青葉が去ったドアを見つめたあと、椅子から立ち上がってベッドの上に寝転がった。

「仲良くか・・・」

天井の一点を見据えながらぽつりとつぶやく。

勿論、小鳥と仲良くなることに依存はない。しかし、それはあくまで友達という範囲での話である。

もし、「好き」という言葉だけを使うのなら総次は、青葉も小鳥も「好き」と言える。

ただし、その言葉の根幹にある意味はまったく異なっていた。

具体的に言えば、小鳥に対しては友達として、青葉に対してはひとりの女性としてとなる。

これだけははっきりと断言できた。

───もし、小鳥ちゃんが俺のことをひとりの異性として好きだとしたら・・・

そう考えたとたん、いろんな結末が想定された。しかし、どれも悪い方向に向かう結末ばかりで、総次はめまいを覚えた。

───もし、そうだとしたら、俺は小鳥ちゃんを突き放せるだろうか?そして、そんな俺を青葉ちゃんはどう思うのだろうか?

ふたつの思いの狭間で、総次の心は大きく揺れ動いていた。

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