第3章 ふたつの思いの狭間で
3時限目の授業が終わり、休み時間に入ると、総次、千歳、倭の三人は次の授業で使う辞典を職員室に取りに行き、教室へ向かっていた。
「辞典って結構重いんだな」
倭は、両手で抱えている辞典を眺めながらつぶやいた。
「こんなにいい体格をしているのに、何弱気なこと言ってるのよ。か弱い私だって持っているんだから、もっとしっかりしなさいよね」
その左隣にいた千歳が横目で倭を一瞥する。
「誰がか弱い・・・があっ!」
突然、倭の歩みが止まる。千歳に足を思いっきり踏まれたからである。
「か弱い私に何か言うことがあるんじゃないかなー」
「す、すみません、千歳さん」
「よろしい」
千歳は大きくうなずいて、倭の左足を解放した。
目の前で起こったいつもの光景に、総次は小さく笑った。
どうやら、倭はどんなことがあっても、千歳には敵わないようになっているらしい。
小さい頃のふたりも、こんな感じだったのだろうなと総次は思った。
「分かったら、きびきび歩く。次の授業は犬童先生だから、もし遅れたりしたら、変な課題を与えられてしまうわよ」
「そいつは勘弁だ」
倭は心底嫌そうな顔をして答えた。
三人は少し歩くペースは速め、2階へ続く階段を上り始めた。
「ちょっと、何でそんなことを言うの!」
ちょうど1階と2階の真ん中にある踊り場に着いたとき、女の子の大声が耳に入り、総次たちは立ち止まった。
---あの声って確か・・・
その声に総次は聞き覚えがあった。
それを確認するために、積み重ねた本の右から顔を出す。
すると、そこで見たものに総次は驚いた。
2階から3階へ続く踊り場にいたのは、泣いている小鳥をかばうように立って、ふたりの女生徒を睨みつける青葉がいた。
女生徒については、まったく面識がなかったが、外見や雰囲気からして、恐らく青葉と同じ学年の生徒だろう。
いつも穏やかな表情を浮かべている彼女だが、今はまったく異なった顔をしていた。怒りという感情をあらわにし、鋭い眼光を放っていた。
一瞬、別人ではないかと錯覚する。しかし、あの長い髪と繊細な顔立ちは間違いなく水無月青葉のものだった。
---いったい、何があったんだ?
怒りの感情をあらわにしている青葉と泣いている小鳥を見る限り、ただごとではないのは理解できた。
「なんでって、私たちは事実を言ったまでよ。ねえ」
「そうそう。この娘は裏口入学でもしないと、ここに入れなかったはずよ。だって、そうでもしないと、こんな馬鹿っぽい世間知らずなお嬢様がここに入れるはずないじゃない」
ふたりの女生徒は嫌味っぽい笑みを浮かべ、小鳥を睨んだ。
「小鳥、そんなことしてないもん!ちゃんと試験受けて合格したんだもん!」
小鳥がしゃくりながら反論する。しかし、女生徒はそんな彼女に対し、冷ややかな視線を送った。
「フン、そんなこと信じられるわけないでしょ。だいたい、あんたみたいなお嬢様がこの学校にいること自体がおかしいのよ。どうせ、名門の学校に入る実力がなかったから、お金の力を使って入学したに決まっているわ」
「違うもん!小鳥はそんなことしてないもん・・・絶対にしていないもん・・・!」
小鳥の目から涙が溢れ出し、そのしずくが床に数滴こぼれ落ちた。
「小鳥、今すぐ職員室に行って、このひとたちのやったことを先生に言いましょ」
青葉は振り返って小鳥の手を握ると、その場から離れようとした。
「ちょっと待ちなさいよ!そんなことしたら、あとでどうなるか分かってるでしょうね!?」
女生徒の発言に青葉の歩みが止まった。
「あなたたち・・・」
険しい表情で女生徒たちを睨みつける。
事の一部始終を知った総次は、憤りで体を小刻みに震わせた。
小鳥が裏口入学などするはずがない。どういう経緯でそんな話が出たか分からないが、それは断言できる。
どう考えても、これはあの意地悪そうな女生徒たちが小鳥をいじめているようにしか見えなかった。
そう思ったとたん、たちまち、総次の胸のうちで眠っていた怒りの火山が大噴火の様相を呈し始める。
---あの女ども、絶対に許さん!
鬼の形相を浮かべ、総次は階段を上ろうとした。
そのときだった。
「総次君、悪いけど、これ持ってて」
それよりも早く、千歳が自分の持っていた辞典を総次の辞典の上に重ねた。
「お、おい、千歳・・・おっとっと」
いきなり倍の数の辞典を持つはめになった総次は、その重さのせいで思わず後ろによろめいた。
そのあいだに千歳が先に階段を上りきった。
「それはこっちの台詞よ。あなたたちこそ、私の可愛い後輩をいじめて、無事でいられると思っているのかしら?」
千歳は指を鳴らしながら、低い声で語りかけた。
思わぬ第三者の登場に、女生徒たちの顔がたちまち青ざめる。
「さあ、覚悟はいいわね?」
「ひっ、す、すみませんでした!」
千歳から発せられる怒気に気圧されたのか、女生徒たちは一目散に逃げ出した。
「もう大丈夫よ」
千歳は表情と声色をいつもどおりに戻して、青葉と小鳥に話し掛けた。
「あ、ありがとうございます。おかげで助かりました。私は1年A組の水無月青葉といいます。あの、よかったら、先輩のお名前を教えて頂けませんか?」
青葉が丁寧なお辞儀をしてお礼を述べる。
「私は半場千歳っていうの。あら、水無月さんってひょっとして、総次君が下宿している家に住んでいる子じゃないの?」
「え、総次さんを知っているんですか?」
口もとに手を当て驚く青葉。
「うん、私は総次君と同じクラスメートなの」
「そうだったんですか」
「へえ、その娘があの水無月青葉ちゃんか」
千歳と青葉が会話している最中に、倭がやって来た。
「こら、初対面の相手に馴れ馴れしいわよ」
「あ、そうだったな。えっと、はじめまして。俺は総次の友人で、嵐山倭っていうんだ。よろしく」
「あ、こ、こちらこそよろしくお願いします」
やや緊張した面持ちで頭を下げる。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。俺ってこう見えても優しいと評判だから」
倭は、青葉の不安を取り除こうとして、笑顔を浮かべた。
「誰が優しいのかしら。そんなこと言っても、倭君の体から狂暴な狼の本性がにじみ出ているから、説得力がないわよ」
「おいおい、なんてこと言うんだ。俺はこれでも、そのなんだ、えっとファシズムで通っているんだぞ」
「倭君・・・それを言うならフェミニストじゃないの。ファシズムだったら、それこそ誰も近づかなくなるわよ」
千歳が呆れたように肩をすくめる。
「うっ・・・」
己の無知をさらけ出した倭は、完全に言葉を失った。
「おーい、千歳。いつまでも話していないで、早く辞典を持ってくれ。いくらなんでも多すぎるぞ」
「あ、その声は総次さん?」
下から声に青葉が反応する。
「いっけない。すっかり総次君のことを忘れていたわ」
千歳は急いで階段を降りると、総次の持っていた辞典の半分を持った。
身軽になった総次は一気に階段を駆け上り、青葉たちのもとに向かった。
「青葉ちゃん、小鳥ちゃん、大丈夫か?」
総次は交互にふたりを見ながら尋ねた。
「私は大丈夫ですが、小鳥が・・・」
青葉は心配そうに小鳥を見た。
「ぐすっ、小鳥も大丈夫です・・・」
小鳥も自分のハンカチで涙を拭きながら答えた。
「ところであのバカ女どもはどこ行ったんだ。今から徹底的にボコボコにしてやる」
と息巻く。
そんな総次を倭と千歳がなだめた。
「おいおい、気持ちは分かるが、ここで暴力事件を起こすと、停学になってしまうぞ。それにいくら相手が悪くても、年下の女の子に暴力はいかんだろ」
「そうそう。女の子相手に暴力は駄目よ」
「だが、このまま黙って見過ごすとまた小鳥ちゃんがいじめられるだろ」
総次は不満の声を漏らした。
確かにふたりの言い分はもっともなのだが、どうしても納得できなかった。
ああいう手合いには、やはり強硬手段が一番ではないかと思っているからである。
短絡的といえば、そうかもしれないが、かといってこのまま放っておいても、状況がよくなるとは考えられない。
それじゃあ、どうすればいいのだろうか。
その場で考えてはみたが、結局、答えは出なかった。
「総次さん、心配してくれてありがとうございます。小鳥の件はとりあえず担任の先生に言って、相談に乗ってもらうことにします」
そんな総次の心境を悟ったかのように、青葉が声を掛けた。
「そうね、それが今のところ一番の良策ね」
千歳がそう言った瞬間、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「やばい、もう休み時間が終わってしまったぞ」
倭は焦りの色を浮かべながら千歳と総次を見た。
「ほんとだ。急がないと、本当に徹夜で課題作業をするはめになるわ。えっと、もし何か困ったことがあったら、遠慮しないで私のところに来てね。それじゃあね」
千歳はそれだけ言うと、疾風のごとく駆け出した。
「あ、ひとりだけ助かろうなんてずるいぞ、千歳」
慌てて倭がそのあとに続く。
「あ、ちょっと待てよ。ったく、薄情な奴らだ。それじゃあ、青葉ちゃん、小鳥ちゃん、またあとでゆっくり話そう」
総次も大急ぎで階段を上った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます