新しい同居人

かいばつれい

新しい同居人

 三毛猫のサブローが死んで一年が過ぎた。

 唯一の同居人を失った私は、胸の奥にぼっかりと穴が空いたような感覚で日々を生きていた。

 上京してきたばかりの十年前、降りしきる雨の中、段ボール内で救いを求めるかのように鳴いていた雄の三毛猫を見つけた私は、その子にサブローと名付けて一緒に暮らすことにした。

 当時、存命だった実家の祖母からイクゾーかサブローのどっちかにしてと言われて、私は迷わずサブローを選んだ。

 サブローはとにかく利口な子だった。

 トイレは躾けられており、壁を引っ掻くこともなく、いたずらもしない。私が仕事から帰ってくると、まるで従順な忠犬のように駆け寄ってきて私のそばから離れようとしなかった。

 ──こんないい子をどうして捨てたのだろう。

 

 サブローがいてくれたから、私は地元から遠く離れた東京でも孤独を感じずに生きてこられたのだ。

 十年間、様々な人との出会いと別れがあったが、私にとって一番の恋人であり、親友であった存在はサブローだけだ。

 サブローはそれくらい大切な家族だった。

 しかし、今はもうサブローはいない。

 その事実を未だに受け入れられない私は、サブローが使っていたバスケットや餌入れなどの道具を片付けることができず、彼が死んだ日の朝のまま、ずっと放置していた。

 サブローの道具を処分してしまうと、私の中の言い表すことのできない、大切な何かを失くしてしまう気がしてどうしても片付けられなかった。

 

 私は街中で、猫を連れて歩く人を直視することすらできなくなっていた。

 そんな失意の日々が続き、さらに半年が過ぎた。

 

 梅雨明けが発表されたばかりの七月の半ば、私は土砂降りの雨の中を走っていた。

 持ち歩いていたビニール傘を、駅で雨宿りしていた老婆に譲ってしまったため、私はハンドバッグを頭に乗せてマンション目指し、必死で走った。

 パンツスーツは上から下までびしょびしょになり、ローヒールパンプスの中には水が入り込んでいたが、私はもろともせず、ひたすら駆けた。

 マンション前の橋を渡りきる直前、か細い猫の鳴き声が聞こえた。一年半前まで猫と暮らしていた私でなければ、この土砂降りでの中では聞き取れなかっただろう。声は橋の下から聞こえていた。

 それを無視して立ち去ることができなかった私は、進行方向を変え、橋の下へ向かった。

 「ミィミィ・・・」

 声のする方へ行くと、真新しい段ボールの中で、アメリカンショートヘアの親子が弱り切った声で鳴いていた。段ボールには何も書かれておらず、バスタオルが一枚敷かれているだけだ。

 このままでは、この親子は衰弱してしまうのは明らかだった。

 私は咄嗟にそのバスタオルで親子をくるみ、抱きかかえてマンションへ走った。

 部屋に入ると、私は自分が濡れていることも忘れて、サブローのバスケットに親子を入れ、捨てずにとっておいた猫用の粉ミルクを溶かして飲ませ、無我夢中で親子を介抱した。

 その甲斐あってか、二人は何とか助かった。

 安心したらしい母猫は、バスケットの中で子猫の毛繕いをしている。その様子を見て私はやっと我に返り、自分が取った行動を思い返して笑った。

 笑うのは久しぶりだった。

 「ははは。私、何やってんだろ。でもいいや」

 とにかくこの親子を救えて良かった。私は二匹を優しく見守った。

 私の視線に気づいたのか、母猫は毛繕いをやめ、私の方をじっと見つめる。

 「ん?どうしたの」

 母猫の顔を見て、目元がサブローに似ているなと思った。でも、サブローは雄で、この子は雌だ。種類も違うし、きっと気のせいだろう。そう思った瞬間、私の中である決心がついた。

 私は二匹をバスケットから出して、そっと抱きしめた。

 「ねぇ。お二人さん、うちの子になる?」

 久々に抱いて感じる猫のぬくもり──。

 その温かさは、失意で冷え切っていた私の心を芯まで温めてくれた。

 腕の中の親子はゴロゴロと音を発して私の問いに答えた。新しい同居人ができた。

 「私が幸せにしてあげるからね」

 いつの間にか土砂降りは止み、部屋の窓に差し込んだ夕日が、私たちを穏やかに照らしていた。

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新しい同居人 かいばつれい @ayumu240

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