第21話 春の庭
リヴェリアの隣でヴァニエが寝息を立てている。
床の質感はもうただの土に変わっていた。
転がった二人は天井に開いた穴を見上げている。
「アル……生きている?」
「生きてるよ」
「…………良かっ、た」
「死にそうにしんどい所だが、さっさと帰らないとな」
アルヴァーンは痛む身体を起こしリヴェリアを見る。
赤い瞳には限界まで涙が溜まっていた。
「良かっ……う、う」
「り、リヴェリア?おい、大丈夫か?いや、大丈夫じゃないよな。治らないケガがあるのか??」
「ばか……あなたも、みんな、ばかよ……」
駆け寄って背を起こしたアルヴァーンの胸を、リヴェリアがぽんぽんと力なく叩く。溢れた涙が頬を濡らす。
「どうして、みんなもっと自分を大切にしてくれないの……私は……、誰にも死んでほしくなかったのに」
自分を大事にしないのはリヴェリアが最たるものだが、アルヴァーンは小さな魔王様を抱きしめる。
「お前がそう思うように、俺も、他の奴らも、お前が好きだからだよ」
「す」
「好きな奴には元気でいて欲しい、長生きして欲しい。単純な話だ」
「……からかわないでよ……ばか」
「からかっていない、だがそうだな」
アルヴァーンはリヴェリアを放すと涙を指で拭い、小さな左手の薬指に髪留めのリボンを結んだ。
「俺はきっと……きみを置いていってしまうが、それでもきみが好きなんだ。リヴェリア、俺はきみを愛している」
リヴェリアの瞳が見開かれ、涙が止まる。
「なに、言ってるの……」
「告白しているんだが、分かりづらかっただろうか?」
「…………わ、私はあなたよりずっとずっとおばあちゃんなのよ」
「知っている」
「それに、この身体は成長しないの……男性の……その、欲求も満足に満たしてあげられないわ。子供も作れない」
「構わない」
「あ、あなた、変態なの?」
「リヴェリア以外に興味はないが、別にいいよ。なんて呼ばれても」
「それに、私、あなたを…………美味しそうって……殺しかけて」
「いくらでも吸ってくれ、俺も頑張って鍛える」
「…………」
「俺はリヴェリアも、同じ気持ちだと思っている」
傲慢だ。リヴェリアはパクパクと口を開くが言葉にならない。
「愛している」
アルヴァーンが細い体を再び抱きしめると白い頬は仄赤く火照り、力が抜けていく。
「ばか…………」
「あるくーん!陛下ー!救援が来ましたよー!」
天井から響くウィピルの声にリヴェリアは小さく飛び上がり、慌ててアルヴァーンの腕の中から逃れた。
+++
上に戻ると日は既に落ち、白の月が覗いていた。
城の麓にはウォーロックやカデンツァ達の他に100名近くの魔族が集まっていた。アモンの性質を考えると下手に間に合わなくて良かったと複雑な安堵が浮かぶ。
このままとんぼ返りとはいかず、彼らは死んだ仲間の遺体の回収と念の為魔獣の調査、地下の埋め戻しと遺骨の埋葬に当たるらしい。
「陛下、アリア様は……」
「下には居なかったわ。一度だけ気配を感じたのだけ……ど……」
「……?リヴェリア?」
固まったリヴェリアは崩れた城から覗く小さな建物を見つめている。
「アリア……」
アルヴァーンにアリアの気配は分からないが、リヴェリアの表情は強張っている。
「……行こう、リヴェリア」
手をとって歩きだすとウォーロックが他の魔族に何か言付けてついてきた。ボロボロのふたりだけよりはずっと心強い。
建物は地下に入る前に話していたアリアとリヴェリアが勉強に使っていた離れだった。
特定の魔力を登録した鍵がかかっていたらしくリヴェリアが扉に触れると花の模様が浮かび扉が開いた。
部屋の中には沢山の花が壁に描かれ、小鳥の声が響いている。部屋の奥、壁にもたれしゃがみこんだアリアはどこか浮世離れした雰囲気を纏っていた。
「アリア……!」
リヴェリアはアルヴァーンから渡された聖水を持ってアリアに駆け寄る。ウォーロックは扉の外を警戒、アルヴァーンは扉前で部屋全体に気を向ける。
「アリア、念のためにこれを飲んで頂戴」
アリアは言われるまま小瓶の聖水を飲み干した。
魔獣と戦ったのか、その指先は青い血で汚れている。
瓶が床に落ち砕ける。
「気分は、どう?」
「ありがとうございます……なんだか……晴れやかです」
リヴェリアはアリアが聖水を飲み下すのを待つ。
「春の庭……リヴェリア様は、覚えていらっしゃいますか」
アリアがリヴェリアに微笑む。
「忘れる筈ないじゃない」
リヴェリアがアリアの手を取り、立ち上がらせた。
「帰りましょう、アリア。もう全部終わったの」
アリアがふらつき、リヴェリアは彼女を抱きとめた。
そして
ぶぢゅ
アルヴァーンは眼球が潰れる音を聞いた。
「な、で……どう、して」
「陛下!アリア…………」
リヴェリアは右目を抑えへたり込んだ。
慌てて鎧から降りたウォーロックがリヴェリアに駆け寄りアリアから引き剥がす。治療魔法の輝きが部屋を照らす。
アルヴァーンはアリアとリヴェリアの間に立ち剣を構える。
「自分でもわかりません、でも、こうしなければいけない気がして」
アリアは微笑んでいる。
片手を魔獣、もう片手をリヴェリアの血に染めて。
「わたくしも、聞きたいのです」
「アリ、ア」
「どうしてあなたからその男の臭いがするんですか、どうして」
「アリア」
「どうしてその男を、愛してしまわれたのですか」
「おい、どうしたんだアリア、もう悪魔はいな……い……」
アリアが首を傾げる。
「でも良いのです。アモン様はもう、ここにいらっしゃいます。わたくしはもう一人じゃないのです」
アリアが慈しむように、満面の笑みで自分の腹を撫でる。
形がわかるほどに大きく膨らんだ腹は、いつからそうなっていたのだろう。
アルヴァーンは自分達に術がかけられていたことを理解した。
手遅れなことも、すぐ、理解した。
人数が少なすぎる行軍。明らかに未熟な術士や通信士の選任。
才能があっても、幾ら何でもおかしい人選。
オレガノに、リヴェリアの討伐の補助にたった二人で向かったのは何故。
怪しいことは今までいくらでもあった。
魅了の能力まであるのに、人望の乏しい魔王。
リヴェリアの不信任を唱える派閥を、アリアは粛清していない。リヴェリアが止めていたのは想像に硬いが、違和感は抱いていた。
「アルヴァーン、お願い。外に出て……耳を塞いでいて」
リヴェリアは今まで使わなかった銀の剣を抜いた。
アルヴァーンにはそれがリヴェリアの性質とは異なる魔剣の類だと分かる。
黄金の剣では魔族を殺せない。
「私が、やるから」
アリアは、魔法を使わなかった。
青空の天井に小鳥の声が歌う。
美しい春の庭が血に濡れている。
春の花々に囲まれ、血塗れのアリアが部屋の隅に眠るように座っている。
中身を失い萎んだ腹には黄金の楔が突き立てられていた。
リヴェリアは血塗れの銀の剣を拭い、鞘に納めた。
「リヴェリア」
アルヴァーンには、何もできなかった。
+++
本当に一番最悪な、ウォーロックや他の配下までも苗床になっていることはなかった。
アリアはオルガノで種子に寄生されたわけではない。
アリアを解剖した老医師は、信じられないことを言った。
「恐らく、この方の種子は産まれた時から植え付けられておいでです」
アリアの父が種子に寄生され、娘のアリアも産まれてすぐ、或いは子宮にいる時から……と老医師は言葉尻を濁らせた。
アリアの母親を探させると記録が改竄されており、当人はアリアが生まれる少し前に亡くなっていた。
アリアの私室から見つかった日記にリヴェリアは目を通す。
暴力衝動を、アリアはリヴェリアに出会ってから必死に抑え込んでいた。
少しずつ増える記憶の空白、怯えと懺悔の記録。
アモンが顕現するまで、そして顕現しても、アリアは耐えていた。
狂い、壊れてしまうまで。
大悪魔である伯爵を倒し犠牲はほんの数名。
報告会でリヴェリアは反対派閥を含む議会員に讃えられたが、その顔が晴れることはなかった。
つづく。
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