第6話 接吻

「何故、助けたの」

 驚く程追撃は無かった。

王の間から離れるとアルヴァーンはリヴェリアを前に抱え直し、抱き上げたまま武器庫を探した。

回廊にアルヴァーンの走る音だけが響いている。

アルヴァーンは自警団員ではあったが、幸い王城に入ったのは初めてではない。

「勇者は困ってる人を助けるもんだ」

「はん…私は人じゃないのにご立派ね…」

アルヴァーンは間も無く地下階の武器庫にたどり着いた。異常な体力だ。

アルヴァーンはパレード用の旗を外し床に敷くと、その上にリヴェリアを下ろし、棚を物色する。

武器庫中には応急装備もある筈と黒い鞄を一つ掴みとる。

中身を確認する。治療道具。

アルヴァーンはリヴェリアの腹を見た。

「あれ、傷…」

裂けた服の下には剥き出しの白い肌。

「馬鹿ね。ヴァンパイアはこれくらいじゃ死ねないわ」

リヴェリアはよろけながらと上体を起こす。

「死なない。じゃないのか?」

「どっちでも同じことよ」

「ふらふらだぞ。お前」

「お前とか気安く呼ばないでちょうだい。中身はまだ修復中なのよ」

リヴェリアは蒼白な顔で笑う。

「…吸血種ってことは血を吸えば元気になるのか?」

「あなた失礼だとは思っていたけど筋金入りね。殺すわよ」

「よく言われる」

アルヴァーンは腕を差し出す。

「何?」

「飲んで良いぞ」

「は?」

「俺の血」

「何言ってるのよ」

「べルセイスは強い。お前を守れる自信が無いんだ」

「はぁ?」

リヴェリアの眉間に皺が寄る。

「ふらふらで動けないなら俺の血を飲んで逃げてくれ」

「馬鹿にしないで、死体もどきの手助けなんていらない」

壁に手をついて立ち上がる。

「こんなの、少し待てば回復する」

「その時間も惜しい」

リヴェリアはその時ようやく気づいた。

重く、低い音が頭上から降り注いでいる。

「音が…なに…これ…」

「上で大規模な儀式をやってるみたいだ。止めないと。何が起こるかわからない」

アルヴァーンは腕を突き出す。

「飲め」

「嫌よ!血なんか!!」

「え」

「嫌いなのよ!人間の血なんか!」

「吸血鬼って人間の血を吸うもんだろ?」

 アルヴァーンもそれくらいは知っていた。食人鬼なんかもそうだが人間の血を飲めば回復が早まる筈だ。

「兄さまや姉様達はそうだけど私は嫌いなの!」

そりゃ吸血鬼にも好みくらいはあるだろうとは思っていたが人間の血を嫌う吸血鬼など聞いたことも無い。

「じゃあお前どうやって飯くってんだよ?獣の血ならいいのか?でも動物は死んじまってるんだ。今回だけ我慢してくれ」

「暗闇でじっとしていれば勝手に回復するわよ」

時間はかかるけど。とリヴェリアは続ける。

「だからその時間がないんだ。さっさと飲め」

「嫌って!!」

アルヴァーンはリヴェリアの襟首を掴み顔を寄せ。

「っ!?」

キスをした。


「ーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 リヴェリアの口腔一杯に血の味が広がる。鉄臭い。

 アルヴァーンは自身の舌を噛み破ったのだ。

「んっ……ふ……む…」

血がどんどん流れ込む。アルヴァーンの瞳が、近い。

「ん゙んっ……ん……」

アルヴァーンの心臓の音がリヴェリアに伝わる。

 ごくりと喉を鳴らしリヴェリアが血を飲み干すまで、アルヴァーンは決して彼女を離さなかった。


 言い訳などではなく本当に今までリヴェリアは血を美味いと思えたことが無かった。

それは自身が人間だったころの名残なのかは定かではないが種としての本能からは破綻していた。

なのに、今

こんな時に、こんな所で、芳醇な味が、香りが、リヴェリアの頭を狂わせる。

リヴェリアは震える手で男の首に腕を回し、自身は気づかないままに恍惚の表情を浮かべ、アルヴァーンの舌の傷が塞がるまで初めての情動に身を任せていた。


「おー、ひたの治りまで早くなってるのはあひがたひな」

 アルヴァーンの横で小さい背丈の、更に小さくなった魔王様は真っ赤な顔で床にのの字を書いていた。幸いにも血液は効いたのか腹の傷口は完全に塞がった様だ。

「ばか…ばか…」

「わるかっはとはおもふが、ひかたなひだろ…ひかんがなひのひ、のまなひお前がわるひ」

「だからって普通舌を食いちぎったりしないわよ…ばかじゃないの…ばか…」

乙女な行動をとるリヴェリアにアルヴァーンは首を傾げる。

「……ひょっろして初めてだったのか?接吻」

「しね」

「悪かっはひょ」

「しんでしまえ……むしろ殺してやる」

「悪かった。後でいくらでも殴ってくれ」

 威勢の良くなった魔王の姿に、アルヴァーンはもう治ったぞと舌を見せながら快活に笑った。


 地の底から響くような、一際大きな鐘の音が聞こえた。

「いよいよまずいか……」

アルヴァーンは壁にかかっている剣の中から数本を手に取り、鞘ごとボロボロのベルトに縛り付けると武器庫の扉に手を掛けた。

「いいか。嬢ちゃ…じゃなくて魔王。俺はべルセイスを倒すから。お前は動けるようになったらさっさとここから逃げろ」

「なに言ってるのよ」

「倒してもこの分じゃこの城の方が保ちそうにない。最悪相打ちになるかもしれない」

ぱらぱらと天井から塵が落ちて来ている。

「お前の方が逃げなさい。邪魔よ」

 眼光には少しだけ鋭さが戻っている。アルヴァーンはリヴェリアを見て目を細めた。

「嫌だね。お姫様に助けられたとあっちゃ勇者になったときの名折れだ」

「姫じゃないわよ……。自称勇者見習い、本当にちょっと剣の腕に覚えがある程度でどうにかなる相手じゃないのよ。それにおそらくもう、ベルセイスは人間じゃ……」

 真摯なリヴェリアを見てアルヴァーンは思う。

 この少女は魔王ではあるのだろうが、自分を心から心配している。

「ありがとうな、魔王」

 女の子に心配されながら死線に挑むなんて、物語なら勇者として最大の栄誉じゃないか。と、アルヴァーンは晴れやかな気持ちで武器庫を飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る