第5話 邂逅
リヴェリアは通路を抜け尖塔を登る。玉座を目指して。
嗚呼、また。笑い声が聞こえる。
「何がおかしいの」
扉はリヴェリアが開けるまでもなく破壊されていた。
床にはおびただしい血痕が着いているが怪我をした人の姿はない。
奥の玉座には王が座っていた。
オルガノ・ヴァン・ベルセイス
金の刺繍が散らされたマントをかけ、王冠を戴く壮年の男はにやにやと卑俗な笑みを顔面に貼り付けている。青に近い灰の髪を長く伸ばし三つ編みにし同じ色の口ひげを蓄え、青い瞳を持ったこの国の王。
傍らには騎士が立っている。華奢なシルエット、真っ白な鎧の美しい女騎士。騎士はただ王だけを見つめている。
「魔王か」
「ありがとう。初見でそう言ってくれたのは貴方が初めてよ」
リヴェリアは肩をすくめる。
「私を殺すのか」
「ええ」
「何故?」
「聞くまでもないでしょう、アレを返しなさい」
「返す?使えもしないお前たちにか?」
リヴェリアの眉根に皺が寄る。
かつて禁忌の箱と呼ばれる道具があった。制作者は当時稀代の天才と謳われた鍛冶屋アーガイル。
それは昔々の戦争で使われた遺産だった。
禁忌の箱は記憶を納めた箱だ。
もっとも、ゲルニ・ヘルニの種が入っていたようだし物理的にも何か入っているのだろうが。
禁忌の箱には様々な記憶が納められている。低級悪魔の呼び出し方、使役の仕方。今はもういない魔獣についての知識。失われた大魔法。昔の歴史。そして、
禁忌の箱は昔封印されたはずで、もうそれが使われることなど二度と無いはずだった。
この知識は本来魔王にのみ受け継がれるもので、他言などされるはずはなく何故王が箱を知り。渡した者がどうやって箱を手に入れたのかは分からない。
「遊びで使うようなものではないわ。こんなことをして、自分の国を破壊してどうしようって言うの」
「お人好しは変わらぬままか」
「変わらない?」
「ふふ…識っている。否、識った。私は総てを識った。お前は矛盾した生き物なのだな。魔王。嗚呼、気分が良い。スヴェンもカルキノスも喜んでいることだろう」
ベルセイスはくつくつと喉の奥で笑った。発言が要領を得なくなってきている。対話は無駄そうだ。
リヴェリアは手の中に新たな剣を生み出し、その切っ先をベルセイスに向けた。
「こちら側の知識に手を出すことは許されないことよ。貴方を殺すわ。オルガノ・ヴァン・ベルセイス」
「ふふ。出来るものならやるがいい。ローレライ、殺せ」
王が片手を上げた。
「!?」
一瞬で間合いを詰められ、思わずリヴェリアは息を飲んだ。
女騎士の真白い髪が鼻先を撫でた。
リヴェリアはすぐ飛び退き眼前を剣が横切った。
次の一歩に剣を突き出され黄金の剣で弾く。
甲高い金属の悲鳴が鼓膜に残る。
次の一歩で下向きに剣を振られ足の肉が抉れる。
「う」
リヴェリアは足に激痛が走るが痛いのは慣れている。歯を食いしばり骨を軸に体を捌き距離を取る。先程の戦闘のダメージも蓄積しているのが少し辛い。
リヴェリアは動きを早くするため更に細い両手剣を生成、握っていた剣は破裂するように光の粒に変わった。
騎士にかかった光の粒は、騎士に何の影響も与えない。
踊るように金と銀の剣が舞う。糸の上を綱渡りするように繊細に、一撃必殺の切れ味をもって。
騎士は強い。いや、強いどころではない。
何だ、この女は本当に人間なのか。
動きも剣の威力も人間離れしているように思えた。
リヴェリアはこの国に来て一番の焦燥感に駆られていた。
そして、踏み外した。
どすっ
戦衣を喰い破り、リヴェリアの腹に銀の剣が深々と突き立てられた。
「あ……」
剣を横に振り抜かれて内臓が零れる。
床に血が飛び散る。
リヴェリアは目を見開いたまま声もなく倒れる。
これで、ここで、もう私は
血の軌跡を引いて銀の剣が頭上に掲げられ
死ねるのだろうか。
振り下ろされる。
しかし終わりの時はやってこなかった。
「ほう」
ベルセイスが楽しそうに笑う。
リヴェリアの前に勇者が立っていた。
赤い髪、ぼろぼろの服。鋼の剣。真っ赤な片腕。
先程命を与えた人間だ。手に掲げている剣で女騎士の剣を受け止めている。
リヴェリアの腹の傷が勝手にふさがっていく。
だが、もう動けない。血が足りない。少し無理をし過ぎた。
「にげ、なさ」
勝てない。お前には勝てないのに。何をしに来た馬鹿。
リヴェリアの荒れ狂う胸中とは裏腹にアルヴァーンは白い歯を剝いて笑う。
「お嬢ちゃん。こういうときはな」
男の、アルヴァーンの剣が女騎士の剣を弾く。甲高い金属の悲鳴が室内に反響する。
「ありがとう!って言うもんだぜ!!」
下方から大きく振り抜き、女騎士がそれを受け止める。しかしヒビの入っていた男の剣がそのまま砕け破片が騎士の顔に突き刺さる。
「ー…っ!!」
女騎士がたたらを踏んだ。
アルヴァーンは予期していたのだろう。それを確認する事もなくリヴェリアの身体を小麦の袋を持つように抱え上げ、一目散に王の眼前から離脱した。
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