第3話 魔獣
風光明媚な小国オルガノ・ヴィスターチェは30年余りの間、オルガノ・ヴァン・ベルセイス王の庇護の元にあった。
街を横断する大河にも、町並みの一つ一つや花壇に植えられた花にまでベルセイスの愛は行き届いていた。
しかし、王は人々に孤独王ベルセイスと揶揄された。
王は血族を全て失っていたのだ。
王の両親。先代の王と王妃は悪政の末に、謀反を働いた士官に毒殺された。この時クーデターは完遂されず、王政派に士官は殺された。
残された王の兄妹は権力を求めて殺し合い、三人の兄と一人の妹は全員互いに放った斥候によって死んだ。
王、当時のヴァリシスは16歳という若さで名を継ぎ、玉座に着いたが二年後に迎えた王妃は一年後病死。胎の中にいた幼子も助からなかった。
その後三人の王妃を迎えるがどの王妃も命を長らえることは無く早世。
王は王妃を迎えることをやめ、内政に尽力した。
人々は噂した。王は黒魔術で玉座を手に入れたために血を残す術を奪われたのだと。
しかしベルセイス王の治世は見事な物で国は富み、栄えた。
やがて孤独に一人国を育む王は孤独王ではなく「孤高王」として人々にたたえられるようになったのだった。
しかし、王は50歳になるその日豹変した。
王が乱心したと叫んだ兵士はその姿のまま壁の染みになった。
外門は近隣の内戦に備えて厳重に閉められていた。
城から沸き出でた魔物は街を焼き、人を喰らい小さなオルガノ・ヴィスターチェを焦土と化した。
少女はそんな地に一人やってきた。
美しかったのだろう庭園の植物は萎れるか焼かれているかの二種類しかない。
幾何学を描いた石畳も、遠くの国で取れる石材を使ったアーチの残骸も数日前までそれが完全に完成された物だったとは考えられぬほどに破壊されていた。
リヴェリアは眉根を寄せる。勿体ない。美しかっただろうに。
遠い城を思い少しだけ目を細め、少女は振り向きざまに火蜥蜴を両断する。
両手には細身の剣。儀礼剣を小ぶりにした剣を構えている。
それにしても火蜥蜴ばかりだ。話では他の魔物の姿も報告されていたが。
城の一角のステンドグラスが大破しているのを見つけ、リヴェリアはふわりとステップを踏んで城内に侵入した。
「ヴァン・ベルセイス」
リヴェリアは王を呼ぶ。
返事はない。
気づけば一切の音がなくなっていた。
カチャカチャガラス片を踏みつけ進む。
おかしい。
城下の喧噪に遠い城内には、時間にふさわしい薄青い夜の静寂が降りている。
先程腐るほど切り捨ててきた。火蜥蜴はおろか何もいない。死体すら落ちていない。
ホールを通り、小部屋を覗いていく。
誰もいない。
火蜥蜴は屍肉を喰らうがここまで綺麗に一切喰らいきる手合いではない。
すると、ここにいた人間を食べた、もしくは焼いたなにかがいるはずである。
薄焦げた室内を見渡しても人間がいた痕跡すらない。
次の瞬間リヴェリアの身体は宙に放り出されていた。足首に熱。
リヴェリアは躊躇泣く儀礼剣を投げつける。
液体が飛び散る音と短い悲鳴が聞こえた。
「……そっちね」
部屋の外に引いて行く黒い鞭のような触手をリヴェリアは追いかける。
途中手の中に引き出すように両手剣が現れた。
刃は手を刺し貫いた物と同様、黄金の光を帯びた派手派手しいこしらえである。
長い回廊を抜け螺旋階段を駆け、リヴェリアは開けた部屋にたどり着いた。
ここに来るまでも人間はおろか蜘蛛の姿すら見てない。
ここはダンスホールだったのだろうか。美しく磨かれた床の上にも、もう踊る人間はいない。
そして円形の広間の中心にそれは座していた。
「ベルセイス……?……じゃないわね」
それは巨大な、丸みを帯びた肉のかたまりのように思われた。
黒々とした皮膚は規則正しく呼吸するようにうごめいている。
その様は、蠕動運動を繰り返す臓器のようで
「お前が、喰ったのね」
リヴェリアが犬歯を剝く。
少女は剣を構えると腰を落とし重心を下げた。
片足を軽く引き、構えた剣を肩口まで持ち上げる。
悪魔、それはリヴェリアが統治する国に住まう魔族とは起源を異とする異形。
遙か昔。初代魔王によって一度滅ぼされた種族は時折発見され、世の中を混乱へと陥れる火種となっていた。
代々魔王は選定石によって選ばれる。そして辞退も後継の任命も許されない。王ではあるが彼女達の役目は悪魔を殺すことである。
魔王というシステムは悪魔を殺すために、悪魔を殺せる個体を維持するために作られている。
それ以外は些事。個人の感情も、生きる目的も、全て役目には優先されない。
人にとって善き魔王も悪しき魔王もいたが全て本質は同じである。
音もなくリヴェリアの姿がかき消えた。
次の瞬間、先程まで彼女が立っていた地点に黒い触手が突き刺さっている。
巻き上げられた瓦礫がばらばらと音を立てて散らばる。
リヴェリアは青と金の颶風となった。
瓦礫の落下する広場を、何本もの触手を切り飛ばし、肉のかたまりに肉迫する。
かたまりの上に跳び一度着地し、酒樽五個分はありそうな巨体に構えた剣を表面に突き刺すと、表皮を走りながら一気に下へと斬り下ろす。
赤い液体が飛び散り、音にならない程高い悲鳴が広場に響き渡った。
同時に爆発的に塊の質量が膨張する。
「ッ…」
リヴェリアは軽く息を飲んで後ずさった。
肉のようなそれは肉では無かったのだ。
黒い皮が展開され数え切れないほどの触手が四方八方に伸ばされた。
まるで蜘蛛の巣のようにめちゃめちゃに床を壁を柱を蹂躙する。
その中心には深紅の核と真っ白な花弁。
リヴェリアの小さな身体は撥ね飛ばされ、柱の一本を破壊して床に落ちた。
「グ……」
悪魔の従属種魔獣、生き物は名前をゲルニ・ヘルニという。古い書物にその姿を残すのみとなった古代種。
「植物の魔獣だったのね。少し、驚いたわ」
切り込みを入れたと思ったが外壁の触手を少しそいだ程度。
リヴェリアの口元から血液が垂れる。内臓が幾らか損傷している。
「もったいない」
指先でぬぐいひとりごちる。
「でも古代種に会えるなんて思わなかった」
ゲルニ・ヘルニは触手の先端を針のようにとがらせるとリヴェリアへと放つ。
古い言葉が少女の唇を滑り、リヴェリアの瞳と手に握られた刃が燃え上がる。
「アイアン・フラーメ!!災禍の祝祭器よ!!勅裁に仇なす全てに葬送歌を奏でよ!」
広間が黄金に塗りつぶされた。
ぱちぱちと音を立てて半壊したゲルニ・ヘルニが燃えている。
リヴェリアは軽く肩で息をして膝をついた。
古代種の魔獣など滅多に出会わない、存在していることがレア中のレアケースだ。
ベルセイスはこの城で何をしたというのだろうか。
ゲルニ・ヘルニの花弁が崩れ、下にあった物がむき出しになった。
おびただしい消化しきれていない骨と、おそらく小さな魔獣の残骸。
「哀れな子達」
力なく燃える魔獣に歩み寄る。瞬く間に炭になったそれは軽い音を立てて割れた。
「本当に、悪趣味……」
リヴェリアは天井を睨み、燃えかすの燻るダンスホールを後にした。
笑い声。
笑い声が聞こえる。
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