地獄の激辛担々麺

010:営業開始、担々麺専門店『魔勇家』

 ここは〝最悪にして最強〟と人々に恐れられていた魔王の根城――担々麺専門店『魔勇家まゆうや』。

 魔王城だったとは思えないほどラーメン屋らしく改装されている。もはや魔王城だったのか疑ってしまうほどの改装っぷりだ。

 ちなみに改装やら開業届やら、その準備やらで約一年の年月を費やしている。世界大戦が終結したあの日――魔王マカロンと勇者ユークリフォンが手を取り合ったあの日から計算するとだ。


 外装は赤と黒と白の三色で塗られ、正面扉の上部には異世界の文字で店名の『魔勇家』と書かれている。

 その異世界文字も筆文字のようにラーメン屋らしいフォントが起用されていた。


 さらに外壁には担々麺の大きな写真が貼られている。

 この写真は光属性魔法によって作り出されたものである。


 地球人なら一目見ただけでラーメン屋だとわかる外観だろう。

 だが、この世界――異世界イーリスにいる地球人、正確には元地球人は今のところ魔王マカロンと勇者ユークリフォンスの二人しか判明していない。

 この世界――異世界イーリスでは、ラーメン屋らしい外観の意味をなさないのである。

 しかしこの世界――異世界イーリスの人たちにとって『魔勇家』は見慣れない建物であることには違いなく、与える第一印象やインパクトが強いのも確かだ。

 確かなのだが、客はまだ来ていない。

 どれだけ来ていないのかと言うと……


「今日で四日目か。不吉な数字だな」

「何を言っておる。四というのは幸せの〝し〟じゃろ。全然不吉ではない」

「それ死を司る魔王が言うセリフか?」

「魔王じゃなくて『まーちゃん』じゃろ?」

「そうだったよ。まーちゃん」

「うぬ。それでよろしいのじゃ」


 この一年間ですっかり偽名と称した愛称にも慣れた二人。

 客席に座りながら、客が一人も来ないことに対してため息を吐いていた。


 ここは担々麺専門店でありながら元魔王城だ。

 その肩書と人々の心に染み付いた恐怖心によって、近寄り難いものへとさせてしまっているのである。


「冒険者ギルドに宣伝用のチラシを貼ったんだけどな……こんなにも来ないものなのか。辺境の地ってほどじゃないのにな」

「オープン日の妾たちの浮かれようときたら……思い出すだけで、恥ずかしい。死にたくなるのぉ。妾はもう浮かれん! はしゃがんぞ!」

「「はぁ〜〜〜」」


 これが俗に言うクソデカため息である。

 ため息を吐くタイミングも、吐き終えるタイミングも全く同じ。

 長く行動を共にしているだけあって、双子かと疑うくらいシンクロ率は凄まじいのだ。


「それにしてもこの変装はどうかと思うぞ? 大丈夫なのか、これ?」


 勇者ユークリフォンスは自分たちの服装を見ながら怪訝けげんそうな態度で言った。


「ここは地球とは違う異世界じゃぞ。十分変装と呼べるじゃろ」


 魔王マカロンと勇者ユークリフォンスの格好は、ラーメン屋のスタッフらしい制服姿である。

 黒いバンダナタオルと黒のTシャツ。背中には『魔勇家』の文字がプリントされている。

 そして床にギリギリ付かないほど長い腰エプロンと真っ白の長靴。

 誰がどう見ても変装ではなくラーメン屋の制服だ。


 魔王マカロンに至っては悪魔族の特徴でもある角が、バンダナタオルから隠し切れずに飛び出している。


「魔王と勇者がこんな格好するとは誰も思わんよ」

「それは言えてるけど……」

「それに妾の変装魔法も付与しておる。二重の変装を見破る者などおらんじゃろ」

「まぁ、それも言えてるよな」


 変装について話している時――



 ――チャリンチャリンッ。



 店の扉が開き、銀鈴ぎんれいの心地よい音色が店内に響き渡った。


 客が来たのだ。四日目にして記念すべき一人目のお客様が来たのだ。


「いらっしゃいませー!!!」「いらっしゃいませーなのじゃ!」


 反射的に声を出した二人。何度も練習をしたのかと思うくらい声が揃っていた。

 実際のところこれが初めての『いらっしゃいませ』である。練習はしていない。

 前述した通り二人のシンクロ率は双子並――否、それ以上なのだ。


「こちらの席へどうぞなのじゃ!」


 魔王マカロンがすかさず客を席へ案内した。

 その隙に勇者ユークリフォンスは調理の準備をするために厨房へと向かう。


 厨房へと入った勇者ユークリフォンスは真っ先にゆで麺機を点火する。

 点火している最中の彼は、不安と絶望と恐怖がごちゃまぜに混ざり合ったような、そんな表情を浮かべていた。

 そしてゆで麺機に点火した火を見つめながら口を開く。


「ま、まさか……記念すべき最初の客が…………だとは……。こ、これはやばいことになったぞ。まーちゃんが戻ってきたら知らせないと。というか自然と厨房に入ってしまったが、が客なら俺が接客した方が良かった説も浮上してきたぞ。まーちゃんは大丈夫か?」


 勇者ユークリフォンスが不安と絶望と恐怖にを同時に感じている理由は、客が始めて来店したからではない。からだ。

 不安と絶望と恐怖に駆られる彼は厨房から魔王マカロンの様子を伺う。

 彼女は記念すべき最初の客に絶賛接客中だった。


「冒険者ギルドの掲示板の下のゴミ箱に入っていた貼ってあったチラシを見て来たのだけれど……」

「ご、ゴミ箱じゃと!? 誰が捨てたんじゃ?」

「ええ。捨ててあったわ。それで本当にタンタンメン? という料理一つでやっているのね。うふふっ。変わったお店なのね」


 妖艶に微笑みながら魔王マカロンに話しかけている客は、薄緑色の長い髪と尖った耳が特徴的なエルフの女性だ。

 勇者ユークリフォンスが不安と絶望と恐怖に駆られる理由が一つも見つからないほど、エルフは優しくて温厚そうな女性にしか見えない。

 彼女のことを知らない魔王マカロンは、彼女のことを優しくて温厚そうな客にしか見えていないであろう。だからこそ勇者ユークリフォンスとは違っての平常心での接客なのだ。


「うぬ。そうじゃ。担々麺一本でやっておる。じゃが、担々麺にも種類がたくさんあってのぉ。辛さや味の濃さ、麺の硬さ、具材の組み合わせなど変えるだけでも相当な種類になるぞ。言ってしまえば無限じゃな!」


 何一つ動じることなく笑顔で接客を続けている。

 言葉遣いはやや気になるが――否、ではなくかなり気になるが、接客態度自体はそこまで悪くない。


「うふふっ。無限に種類があるだなんてすごいわね。でも困ったわ。味を知らない私はどれを選んだらいいのか……。あっ、そうだわ! 可愛い店員さんのあなたが選んでくれるかしら?」

「妾がか。いいじゃろう。おぬしは見たところエルフ族じゃな? ハーフエルフでもダークエルフでもなく、純粋なエルフ。そうじゃろ?」

「その通りよ。私はエルフ族であなたが言った通り純粋なエルフよ。エルフだからと言って種族に合わせた選択をしなくていいわよ。今の私は山の幸に飽きてしまったの。だからここに来たのよ。うふふっ」

「そ、そうかのぉ。トマト担々麺とかバジリコ担々麺とかが合うと思ったんじゃが。ならカニ担々麺かイカスミ担々麺か……いや、真逆を選んだみたいでひねりがないのぉ。それこそゆーくんに安直だと言われてしまうなぁ……」


 魔王マカロンは手に顎を乗せて「う〜ん」とうなり声を上げながら悩み始めた。

 初めての接客ともあって、客が好みそうな味を見極めるのが難しいのだ。

 そして彼女自信に客が好みそうな味を見極める力がまだ備わっていないのである。

 それでも悩みに悩んだ末、一つの答えに辿り着く。


「じゃったら、なんてどうかのぉ?」


 この世界の文字で書かれたメニュー表のある一点を指差す魔王マカロン。

 それを深緑色の瞳に映したエルフは「うふふっ」と妖艶に微笑みながら口を開く。


「面白いわね。いいわ。このタンタンメンを作ってくださるかしら?」

「かしこまりましたなのじゃ! すぐに作ってくるのじゃ!」


 魔王マカロンは元気よく返事をした直後、鼻歌を口ずさみながら厨房へと向かった。

 初めての接客に手応えがあったのだろう。


「おい、ゆーくんよ! 初めての注文……って、どうしたんじゃ? そんなに不安そうな顔をして。今さらビビっておるのか? 勇者のおぬしがビビっておるのか?」


 勇者ユークリフォンスの顔は青ざめていた。十歳以上も老けて見えるほど酷い表情と顔色だ。

 その原因は前述した通り、客として来店したエルフの正体を知っているからだ。


「そ、そりゃビビるさ……だってあいつは、あのエルフは……」

「ん? エルフがどうしたんじゃ?」

「あのエルフは……で有名なエルフなんだぞ!! 名前は確かエルバーム。そう。店潰しの美食家エルバームだ」

「ミセツブシノビショクカ? 何じゃそれ?」


 魔王マカロンは小首を傾げた。どうやら彼女の耳には『店潰しの美食家エルバーム』というエルフの異名と名前は届いていないらしい。


「口に合わない料理を出した店は、客足が減り次々に潰れていくって噂があって、そこから店潰しの美食家って異名が付いたんだよ。どんな手を使っているかはわからないけど、それで潰れた料理屋を何軒も知ってる。俺のお気に入りだった料理屋もそれで潰れた。まさか最初の客が店潰しの美食家エルバームだとは……運が悪かったとしか言えないな……とほほ」

「とほほ、じゃないじゃろ。何をそんなに不安がってるんじゃ。妾たちの担々麺なら――〝究極の担々麺〟なら大丈夫じゃろ!」

「ああ、俺たちの担々麺なら確実に問題ない。だけど……」

「だけど? なんじゃ?」


 勇者ユークリフォンスが青ざめてしまっているもう一つの原因、それは――


「俺の見間違えでなければ……店潰しの美食家に勧めた担々麺ってじゃないだろうな?」

「そうじゃよ。これじゃ! 〝〟じゃ!」


 魔王マカロンは純粋無垢な瞳をキラキラと輝かせながら、自信満々に答えたのだった。

 〝地獄の激辛担々麺〟――これこそ勇者ユークリフォンスが青ざめてしまっているもう一つの理由だ。


「よりによって激辛を……それも俺たち勇者と魔王が悶絶するほどの辛さのものを……何でこれにした? 無難に〝究極の担々麺〟を選べば良かっただろ」

「それじゃつまらんじゃろ。あのエルフは妾に選ばせたんじゃ。妾の勘は正しい。エルフもきっと喜ぶはずじゃ。やつの舌を唸らせれば、逆に客が増えるじゃないか? 店潰しの美食家エルバームが絶賛する料理屋として!」

「そのポジティブ思考は羨ましい限りだ。まあ、今更変更するってのも何かおかしいしな。はぁ〜、仕方ない。炎や熱さに強い種族に合うと思って開発した〝地獄の激辛担々麺〟だが……エルフ族にも通じるものなのか。奇跡を信じるしかないな」

「うぬ! 妾たちなら大丈夫じゃ! 店潰しの美食家エルバームの舌を唸らせてやるのじゃ――!!」


 不安いっぱいの勇者と気合十分の魔王マカロン。

 店存続の危機を乗り越えるべく、二人は〝地獄の激辛担々麺〟の調理を開始した。

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