純平の慟哭

貞弘弘貞

純平の慟哭

 夜の錦糸町の繁華街は土砂降りの雨で、ネオンがギラギラと輝いていた。

 路地裏に酒屋の裏口があり、壁際にビールケースがいくつも整然と積まれている。

 突然、大きな衝撃音とともにそのビールケースが崩れ落ちた。

 ビールケースに囲まれ地面にうずくまっているのは、芝川純平。年齢は十八。金色に染めた短めの髪が街灯の光を反射し、ネオンのように輝いて見えた。

「よぉ兄ちゃん、威勢がいいのは結構結構。でも俺たちを誰だと思ってるの?」

 純平の前に長身の男が立っている。三十代くらいで、真っ白なスーツ姿、オールバックで固めた髪型であることから、表社会の人間ではないことが推測できる。すぐ側に弟子と思われる若い男がおり、白スーツの男に傘を差している。

 純平は痛みに顔を歪ませながら、絞り出すように言った。

「し、知らねぇっすよ……。でも……、邪魔だからといってホームレスの人を蹴っ飛ばす人なんて、知りたくもねぇっす」

「このガキ、骨何本か折りますか?」と弟子が言い、白スーツの男が「そうするかねぇ」と答えた時、別の人間の声が入ってきた。

「これはこれは、白雲会の平田さんじゃないですか」

 現れたのは、こちらも三十代くらいの男だった。グレーのくたびれたスーツを着て、髪はぼさぼさで無精ひげを生やしている。透明のビニール傘を差しており、こちらもどこか表社会の人間ではないことが推測できる。

「見たことある顔だな。お前誰だ?」白スーツの男、平田が首を傾げながら聞いた。

「刻龍会の冴羽です。うちの兄弟が迷惑かけたようで申し訳ない」冴羽は頭をかきながら答えた。

 純平は、きょとんとした顔で冴羽を見上げた。

「おいおい、それはむしろ落とし前付けてくれねぇと筋が通らない話だよなぁ」平田は弟子の方を見ながら言った。

 弟子が冴羽の顔をしげしげと見てから平田に囁いた。

「あいつ、先月の騒動でうわさになってた、『たぬきの冴羽』ですよ」

「ほう、あいつが……」平田はやや驚いたような表情をしている。

「落とし前ですか。そんな怖い事言わないでくださいよ」と、冴羽は傘を持っていない方の手で拳銃を握り、平田の頭の方へ向けていた。

「ふうん。はいはい……。兄ちゃん、またいつか会おう」と、平田は純平の方を見た後、弟子とともにその場を歩き去って行った。

「意外とあっさり引いてったな」冴羽は拳銃を仕舞った。

 純平は四つん這いで冴羽の前に近づいた。ずぶ濡れになっている。

「あ、ありがとうございます! す、すみませんでした!」純平は頭を下げる。

 冴羽は傘を純平の頭上に掲げて言った。

「そこの表通りで平田を見かけたんでな。何があったんだい?」

「あの男、歩道に座っていたホームレスのおっさんをいきなり蹴飛ばして、邪魔だとか言ったんすよ。すっかり俺、頭に来ちまって、何やってんだって言っちまったんです……」

「見た目でヤクザもんだと分かるだろうに。よく言ったもんだな」

「それはよく分からなかったっす……。あ、あなたもですか? さっきの拳銃ですよね?」

「あっはっはっは!」冴羽は口を大きく開いて笑った。

「お前さん、名前は?」

「純平……、芝川純平っていいます」


―― 六年後 ――


 梅雨の季節に差し掛かった空は、朝からどんよりと曇っていた。

 府中刑務所正門前の道路に白いベンツのセダンが駐車しており、リアトランクに寄りかかるように冴羽が立っていた。上品なグレーのスーツを着ており、髪も短めに整っている。

 刑務所の正門から、芝川純平が歩いて出てくる。短いスポーツ刈りの黒い髪、くたびれたジーパンに黒と金色の派手なジャンパーを羽織り、水色のボストンバッグを片手に、正門前にいる警備員にぺこぺこと頭を下げていた。

 冴羽の姿に気が付いたのか、純平はぴたりと動きを止めた。

 冴羽が片手を上げると、純平はぱっと笑顔になり、猛ダッシュで冴羽のところまで走って来る。

「冴羽アニキ!」

「よぉ純平。相変わらず足が速いな。お勤めごくろうさん」冴羽は純平の肩を軽く叩く。

「来てくれたんすか!」

「あったりまえだろ。迎えに来ないとでも思ってたのか?」

「とんでもないっす。ありがとうございます!」

「まぁ乗れよ。事務所に行こう」

「は、はいっ!」

 車の後部座席の右側に純平、左側に冴羽が座る。

 左ハンドルの運転席に男が座っている。冴羽は男を指さし言った。

「こいつは若手の北川だ」

 北川は、紺色のスーツ、綺麗に整った黒い髪、銀縁の眼鏡をかけており、若いとはいえ知的なビジネスマンのような印象を受ける。

「北川です。よろしくお願い致します」北川は無表情で切れ長の目を純平に向けた。

「いやぁ、よろしくよろしく!」

 車が走り出し、北川が話を続けた。

「純平さんの事はよく聞いていました」

「えっ、どんな事聞いてたのかな?」

「数々の功績をはじめ、冴羽さんのためにムショ入りしたことなど、私たちの間で伝説の方です」

「いやぁ、まいっちゃうなぁ! 銃刀法違反なんかで冴羽アニキがムショなんて似合わないでしょ? 俺はただ冴羽アニキにあこがれてて、お役に立ちたいだけなんだよ」

「うれしい事言ってくれるじゃないか。純平はうちの組に無くてはならん存在なんだぜ。もちろん今でもだ」冴羽が純平の肩を叩きながら言った。

「いやぁ、なんか感激っす」純平は少し涙目になっている。

 北川は無表情のままである。


 錦糸町の街外れにある雑居ビルに車が到着する。一階が駐車場になっており、そこに停車した。

 北川が車を降りて後部ドアを開き、冴羽が降りる。続いて純平が座る側のドアが開いた。

「あ、ありがとう」と言いながら純平は車を降りる。

 三人は階段で二階に上がった。ドアがあり、その横には黒い板に白い字で『刻龍会』と書かれた表札が掛かっている。

 北川がドアを開け、純平、冴羽が続いて中に入った。

「お勤めごくろうさまでした!」「ごくろうさまでした!」

 組員ら十数名が廊下の左右に立ち、頭を下げている。

「えっ、ど、どうもっす」と純平はぺこぺこしながら歩いていく。


 テーブルの上に、寿司や丼ものやビール瓶が並んでおり、純平ががっつくように飲み食いしている。

 純平を囲むように、北川と若い組員らがいる。冴羽の姿は無い。

「うひょお! うめぇうめぇ」純平は寿司をほおばりつつ、ビールをがぶがぶ飲んでいる。

「ごゆっくりお召し上がりください」隣にいる北川が言う。

 若い組員が次々と純平にビールを注ぎに来る。

「でもさすがだよなぁ、冴羽アニキ。おいらが三年ムショにいた間に、若頭になって、この事務所を任されるようになってたなんて」

「実力と信頼がありますからね。いつも言っていましたよ、純平さんのおかげだと」

「いやぁ、まいっちゃうなぁ!」

「この後、冴羽さんからお話があります」

「話?」


 午後になり、どんよりと曇っていた空に晴れ間ができ、冴羽の個室には窓から眩い光が差し込んでいる。

 デスクに冴羽が座っており、その前に北川と純平が立っている。

「冴羽アニキ、話って何でやしょう?」飲み過ぎたせいか、純平の顔はかなり赤い。

 冴羽は、先ほどまでの笑顔は無く、ゆっくりと口を開いた。

「出所そうそうで悪いんだが、一つ仕事を頼まれて欲しい。大仕事だ」

「そりゃぁ、よろこんでやらせていただきますよ! で、どんな仕事なんでしょう?」

「殺しだ。白雲会の平田をな」

 純平は、口を開けたまま、しばし黙ってしまう。冴羽が続ける。

「俺がお前と初めて会った夜、絡まれてただろ? あいつだよ。忘れたのか?」

「いえ、覚えてます……」純平は動揺した様子である。

「殺しですか……。俺、殺しはやった事無いっすけど……」

「北川、ちょっと外してもらっていいか」冴羽が言うと、北川は頭を下げて部屋を出て行った。

 冴羽は少し穏やかな表情に戻り続ける。

「俺はお前を下級幹部に格上げしようと考えている。今のままだと北川が最有力候補だからな。そこで、お前に誰もが納得する手柄を取らせたいんだ」

「俺、幹部なんて務まらないっすよ。そんなたいそれた事、とてもとても……」

「今、うちの組にとって邪魔な存在である白雲会の平田を殺れば、俺の株も上がる。お前と俺はさらに上を目指せるんだ」

 純平は驚いたような顔をして俯き、目を泳がせしばし考えている様子だが、顔を上げて言った。

「……冴羽アニキのためになるなら、俺、頑張ります!」

 冴羽は笑顔を純平に向けた。

「そう言ってくれると思ってたぜ。計画の詳細は北川から聞いてくれ」


 夜になり、事務所内には北川と純平の二人のみしかおらず、テーブルに向き合う形で座っている。

 北川が、テーブルに置かれた図面を指さしながら純平に説明をしている。

「白雲会の事務所の見取り図です。平田はこの部屋にいます。ここに私と純平さん、冴羽さんの三人で訪れます」

「うんうん」純平は首を縦に振りながら話を聞いている。

「ヤクの取引という名目です」

「なるほどぉ、敵を油断させて、潜入するわけね」

「おそらく護衛の組員が部屋にいるはずです」

「アタッシュケースの金を見せた後に銃を出せばいいんだよね」

「そうです。純平さんが平田に銃を構えると同時に、冴羽さん、私も銃を構えます」

「で、俺が平田を撃てばいいんだよね」

「そうです。間を与えず即座に撃ってもらえれば、ひるんだ組員を我々が撃ちます」

「そしたらダッシュで逃げると」

「ダッシュは不要です。銃にはサイレンサーを付けるので、何事もなかったかのように部屋を出て、立ち去ればいいのです。他の組員にも怪しまれずに済むでしょう」

「なーるほどね。ちゃんと考えてあるんだなぁ」

「チャカをお渡ししておきます」北川はテーブルの上に拳銃とサイレンサーを置いた。

 純平は、おそるおそる拳銃を手に取り、しげしげと眺める。

「俺さぁ、ほんと冴羽アニキには感謝してんだ……。高校中退して、ふらふらしている時に俺を助けてくれてさぁ」

「それをきっかけに組に入られたのですね」

「そうそう。こんな俺に、いろんな事を教えてくれたっけ……」

「冴羽さん。純平さんが戻ってこられて、本当に喜んでいると思いますよ」

 純平は窓に目を向け、夜空を眺める。

「俺、家族にも勘当されてっから、本当の兄貴みたいに思えてさ……。冴羽アニキのおかげで生きてこれた気がする」

 北川は、ゆっくりと頷いた。


 地下室に純平がいる。コンクリートに囲まれた殺風景な部屋は窓もなく、天井からぶら下がったむき出しの電球のみが部屋を照らしていた。

 床に積まれたコンクリートブロックの上にビールの空き瓶が置かれている。そこから十メートルほど手前に、純平が拳銃を右手で構えて立っている。その手は少し震えている。

 純平は片目でビール瓶に狙いを定め、拳銃を撃った。が、弾はビール瓶から十センチほど逸れて奥のコンクリートの壁に穴を開けた。

 純平は頭を左右に振り、ため息をつく。

 その直後、声が聞こえた。

「片手なんて、かっこつけるなよ」

 純平が後ろを振り向くと、冴羽が壁に背をつけ立っていた。

「冴羽アニキ!」

「右足を後ろに引いて、左手を拳銃に添えてみろ。右手は伸ばしきらない感じだ」

「えっ、こ……、こんな感じですかね?」純平は言われた通りに拳銃を構える。

「撃ってみろ」

 純平が拳銃を撃つ。弾はビール瓶から三センチほど逸れて壁に穴を開けた。

「あちゃぁ、難しいもんですねぇ」

「足をもう少し肩幅くらいまで広げてみろ。膝を若干曲げるんだ」

 純平は頷いて、言われた通り姿勢を正し、一呼吸してから拳銃を撃つ。

 ビール瓶が粉々に砕け散った。

「やった! 当たりましたっ!」純平は子供のように喜んでいる。

「やっぱりお前は筋がいいな」

「いやぁ、そんなこと無いっすよ。冴羽アニキの指導のおかげです!」

 冴羽が純平の肩に手を置いた。

「頼んだぞ純平。これから、俺らの時代になる」

 純平は嬉しそうに頷いた。

「まかせといてください。 冴羽アニキ!」


―― 数日後 ――


 午後四時。浅草は、今にも雨が降りそうな曇り空が広がっていた。

 街外れに、広い敷地を持つ白雲会の事務所がある。駐車場には黒塗りのセダンがずらりと並んでおり、そこに白いベンツがゆっくりと入ってくる。その白さがひときわ輝いて見えた。

 事務所建物の入り口前にベンツが停車し、北川、冴羽、純平の三人が車から降りる。純平は買ったばかりといった明るいグレーのスーツ姿をしている。北川の手には銀色のアタッシュケースが握られている。


 平田の部屋は二十畳ほどの広さがあり、真っ白な壁と調度品が少ない事から、殺風景で冷たい印象がある。

 部屋の奥にあるデスクに平田が座っている。相変わらず真っ白なスーツを着ており、オールバックで固めた黒い髪が強いコントラストをなしている。平田の両脇には組員が二人立っている。

 デスクから三メートル程距離を取り、平田に対面する形で冴羽、北川、純平が横並びで立っている。

 平田が三人を眺め、ふと視線を純平に向ける。

「おやぁ? 見た顔だと思ったら、純平ちゃんじゃなーい。そっかそっか。ムショから出てきたんだね」

「お世話になります」純平は落ち着いた様子で頭を下げた。

 平田は冴羽を見て言った。

「話は聞いておるけど、ホントの所どうなんですかい? 『たぬきの冴羽』はん」

 冴羽はゆっくりと頷く。

「私たちの気持ちを見ていただきたい」冴羽は目線を北川へ向ける。

 北川がゆっくりとアタッシュケースを持ち上げていく。同時に、平田の両脇にいる組員二人が拳銃をゆっくりと構えた。

 北川はアタッシュケースをゆっくりと開き、平田に見えるように傾ける。中には札束が詰まっているのが見える。

「本気でヤクの取引をしたいというわけね」

「これは挨拶です。取引の際はまた別に用意します」冴羽が答える。

「ふうん。なるほどね」と、平田は椅子に背をもたれかけた。

 両脇にいる組員二人も緊張が解けたように拳銃をしまう。

 その時、純平がスーツの内ポケットからサイレンサー付きの拳銃を取り出し、平田に向けて構えた。

 冴羽に教えられた通り、右足を後ろに引き、左手を拳銃に添えるようにしている。

 組員二人は慌てた様子で拳銃を構えようとする。

「平田さん! 油断したっすね!」純平は笑顔で北川と冴羽の方に目を向ける。

 しかし、純平の笑顔がふと消え、意外という表情に変わる。

 北川も冴羽も何もせず立ったままだった。

「あ、あの、一緒に撃つんじゃ……」純平は焦った表情となる。

「やめろ!」と冴羽が大声で叫び、拳銃を純平に向けて構える。

 組員二人も純平に向けて拳銃を構えている。

「え?……」純平は愕然とした表情で目を見開く。

 平田は首を傾げて言う。

「冴羽はん、こりゃどういう事で?」

 冴羽は拳銃を純平に向けたまま、顔を平田に向けた。

「申し訳ない。今回の取引の話に異議を唱える者が内部にいるとの情報があったのですが……」と、冴羽は純平に顔を向ける。「まさかこの場にいたとは……」

 純平は、訳が分からないといった表情で冴羽と北川を見る。北川は冷たい印象の目を純平に向けていた。

「ここで始末していいでしょうか?」冴羽は平田に聞く。

「うん、さっさとやって」

 冴羽は拳銃の引き金をゆっくり引き始める。

「え、え? 冴羽アニキ、じょ、冗談っすよね?」純平の手ががくがくと揺れ始める。

 冴羽が撃った。

 その瞬間、純平は咄嗟に頭を低くし弾丸を避けた。と同時に瞬発的なダッシュでドアに向かう。

 冴羽がさらに撃つが、純平は左右に移動しながら弾丸を避け、ドアを開け部屋を出て行く。

「追え!」冴羽が北川に向けて叫んだ。

「はい」北川はアタッシュケースを床に置き、駆け足で部屋を出て行った。


 夜になり、雨が降り始めていた。

 隅田川に架かる鉄道の鉄橋の下の地面に純平が座っている。全身が濡れており、明るいグレーのスーツが濃いグレーに見える。

 かなりの距離を走って来たため、息がようやく整ってきたところだった。周囲には誰もおらず、雨音のみが聞こえる。

 鳩が数羽、地面で雨宿りしているのが見えた。

 純平は呆然とした表情で、雨が降り注ぐ川面を眺めている。


 どのくらいの時間そうしていたのか。突然、近くで足音が聞こえた。

 純平が慌ててその方向を見ると、北川が立っていた。

 純平は目を見開き、口をぱくぱくさせる。

「な、なんで、ここに居ると……」

 北川は笑みを浮かべて言う。

「GPSって知ってます? 位置が分かるんですよ」

 純平はよく分からないような表情をするが、何か察したように拳銃を取り出し、眺める。

 北川はゆっくり歩いて純平に近づきながら話す。

「もう分かるでしょう? 純平さんは冴羽さんにとって便利なコマなんです」

「う、嘘だっ!」純平は頭を振る。

「今回の計画は、冴羽さんと私が白雲会に移籍する事が目的だったんです。その決めの一手に、純平さんを使おうと思ったんです」

「冴羽アニキはそんな人じゃない! 何かの間違いっす!」

 北川は純平から二メートル程まで近づいて立ち止まった。

「純平さんがムショにいる間に、冴羽さんは私を一番弟子にしてくれましてね。その時から二人で今回の計画を考えていたんですよ」

 純平はうなだれて頭を左右に振っている。

「困りますね、あの場で殺されてくれなきゃ。冴羽さんも困っているでしょう」北川は拳銃を素早く構え、純平を狙って撃った。

 サイレンサーを付けているため、パシュッという音がした。すかさず続いてパシュッという音が聞こえた。

 雨宿りしていた鳩数羽が飛び立った。

 北川のひたいに穴が開き、のけぞるように後ろに倒れた。

 純平はうつぶせに倒れた状態で、手に持つ拳銃は北川の方を向いていた。北川の撃った弾を咄嗟に倒れ込むことで避け、即座に北川の頭を狙って撃ったのだった。

 純平は目を見開き、ぜいぜいと息をしている。

 鉄橋を電車が通る大きな騒音が鳴り響いた。

 電車が通過し終わり、再び雨の音のみが辺りを包む。

 純平はゆっくりと立ち上がる。

 そして、夜の雨の中を歩いて行った。


 刻龍会の事務所のある雑居ビルは、一つの窓のみに明かりが灯っていた。

 個室のデスクに冴羽が座っており、窓の方に顔を向けて携帯電話で話をしている。

「もう処理している頃です。はい、後日改めて伺います」

 電話を切ったタイミングと同時に、かちゃり、と部屋のドアが開く音が聞こえた。

 冴羽はドアの方を振り返りつつ言う。

「始末できたか? とりあえず平田さんには話を付ける事ができたが……」

 ドアの方を見た冴羽は驚いた表情をする。

 純平が拳銃を冴羽に向けて立っていた。

 冴羽はゆっくりと立ち上がる。

「純平、話を聞いてくれないか?」

 純平は目を潤ませ、拳銃を持つ手を震わせながら声を絞り出す。

「お、おいらは……、冴羽アニキを、そ、尊敬して、感謝して……。だから冴羽アニキの頼みは何でもききたいけど、けど……、これはちょっと違う、違うと思うっす……」

「脅かせてすまなかったな。平田をだますための演出だったんだ。事前にお前に話してしまうとリアリティが出ないだろう?」

 純平は頭を左右に振っている。

「違うと思うっす。ひでぇっす!」

 冴羽は即座に内ポケットから拳銃を取り出し、純平に向けて撃った。冴羽の拳銃にはサイレンサーが付いていなかったため、大きな銃声が鳴り響いた。

 純平は咄嗟に身を回転させるようにして銃弾を避けたが、床に倒れ込んでしまう。銃弾は壁に穴を開けた。

 冴羽は再度純平を撃とうとする。が、純平が倒れ込みながらも銃を撃ち、その弾が冴羽の頬をかすめた。

 冴羽は焦ったような顔をすると、体を反転させ、窓を開け、外に飛び出る。

 純平は起き上がり、窓に向かう。


 夜の錦糸町の繁華街は土砂降りの雨になっており、ネオンがギラギラと輝いていた。ゴロゴロと、雷の音が聞こえてくる。

 傘を差して歩いている人々を掻き散らすように、冴羽が駆けていく。冴羽の頬には血の筋が付いている。

 その後を、純平が早歩きで追っていく。

 純平は拳銃を隠しもせず手に持っていたため、人々はその姿を見て驚愕の表情でざわついている。


 路地裏を駆けていく冴羽。時折後ろを振り返りつつ、ぜいぜいと息を荒くしている。

 大きい水溜まりに足を踏み入れたとたん、滑って転んでしまう。

「くそ!」冴羽は痛そうな顔をしながら起き上がろうとする。

 しかし、後ろを見て目を見開いたかと思うと、その動きが止まった。

 純平がゆっくりと歩きながら近づいてきていた。

 冴羽が拳銃を構えようとするが、純平が即座に拳銃を冴羽に向けたのを見て、あきらめたように言った。

「やっぱりお前は足が速いな。純平……」

 冴羽はゆっくりと体を起こしつつ、地面に座る姿勢をとる。かすかな笑みで純平を見る。

「俺の負けだ。撃てよ……」

 純平は拳銃を持つ手を震わせながら言う。

「お、おいらがムショにいる間に、い、一体、何があったんですか? 冴羽アニキは、こんなことをする人じゃないっす!」

 冴羽は、ふと真顔になったかと思うと何かを思い出しているような表情をし、しばらく考えているように顔を伏せていた。

 そして、顔を上げ、周囲を見渡しながら何か気づいたような表情をする。

「そういや、この場所って、お前と初めて会ったところじゃないか?」

「えっ?」

 純平は周囲を見渡す。

 純平のすぐ後ろの壁にはビールケースがいくつも整然と積まれている。

 すぐ側には古びた街灯が輝いている。以前と違ってさらに明るく見えるのは、LEDに変わっているせいかもしれない。

 そう、あの日、ここで白雲会の平田に絡まれていたところを、冴羽に助けられたのだ。

 純平は積まれているビールケースを眺めた。

 突然、ピカッと空が明るくなり、雷鳴が響いた。

 と同時に、銃声が鳴り響いた。

 銃弾は純平の右肩を貫き、その弾みで純平はビールケースを崩しながら倒れた。体を冴羽の方に向け、地面に座り込む形となる。血が流れ出ている右肩に左手をあて、苦痛の表情をしている。

 さらなる雷鳴とともに大雨となり、視界がはっきりとしない中、冴羽が立ち上がった状態で拳銃を純平に向け構えているのが見て取れた。

「悪いな純平……。これで最後だ」

 冴羽が拳銃の引き金を引く瞬間、どかどかと足音が聞こえてきた。

「何をしている!」

 警官が2名駆けて来た。

 冴羽は警官らに背を向け駆け出して去っていく。

 警官の一人は冴羽を追いかけていき、もう一人は純平のところに駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

 警官は、スーツが血で染まっている純平の姿を見て通信機を手に取った。

「救急車の手配をお願いします。こちら江東区住吉――」

 純平は涙を流している。しかし、雨で顔が濡れているため、分からない。

 警官は純平の手に拳銃が握られているのを目にし、拳銃を蹴り飛ばし、純平の腕を掴んだ。

「拳銃所持。銃刀法違反で現行犯逮捕する!」

 純平は体を震わせ、嗚咽を漏らし始める。

「さ、冴羽アニキ……」

 涙がとめどなく溢れてくる。しかし、雨で顔が濡れているため、分からない。

 顔をくしゃくしゃにしている。

「お、おいら……」

 目の前に先ほどまで居た冴羽の姿は無く、雨が降り注ぐ水溜まりだけが見える。

「うああ!」

 純平はひざまずき、大声で泣きじゃくる。

「今、救急車来るから! しっかりしろ!」警官が純平を支える。

 純平は、泣きじゃくる。

 雷鳴が鳴り響く。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

純平の慟哭 貞弘弘貞 @SADA_HIRO

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画