第10話
リムニー村に着いた時には星が顔を出し始めていた。
ランタンの明かりの灯る店に荷物を降ろし、受取手形にサインを貰った。
「どうせならウチに泊まっていきなさいな」
店主の老婦人にそう言われ、僕は厚意に甘えることにした。
配送先のメイスト夫妻は、この村でかれこれ二十年以上雑貨屋を営んでいるそうだ。息子さんが一人いらっしゃるそうだが今は中央で憲兵をされているようだ。
夕食は水牛の乳を使ったシチューだ。湖の周りすべてが村の土地ということもあり、放牧の規模も僕の村とは段違いに大きい。
具は鶏肉と人参にジャガイモ、芽キャベツだ。この村は随分と作物に恵まれているらしい。
出されたパンからはバターの香りがする。こんな上質なパンを食べるのは久しぶりだ。
「この店はね、私達の夢だったのよ」
メイスト夫人はそう言って昔のリムニーとこの店について教えてくれた。
リムニーが今のような豊かな村になったのは三十年ほど前からのようだ。
それまでは湖の北と南で村が分断されており、村同士の仲も悪かったそうで、村で問題が起きれば隣村の所為にするのが当たり前だったらしい。
だが、その代の村長がなくなり、その北の村長の息子と南の村長の娘の代になった頃から歩み寄りが始まった。
彼らは昔から仲が良かったようで、隣村同士の交流を行うよう村人たちに呼びかけたそうだ。
メイスト夫妻も元々別々の村だったそうで、会えば口喧嘩の絶えない間柄だったようだが、村の交流が始まって以来、ご主人が昔から夫人に惚れていたことが周りにバレてしまい、双方の両親に反対されたが根気で押し切って結婚されたらしい。
「この人ったら口下手だから、なんて声かけていいかわからなかったそうなのよ、可愛い人でしょう?」
ご主人の顔が赤いのはワインの所為だけではなさそうだ。
夫人の話は夜が更けるまで続いた。
翌日の昼頃、僕は泊めてもらったお礼を言い、メイスト夫妻の店を後にした。
そのまま帰ってもいいのだが、ものはついでと湖を見に行くことにした。この村に来たならばこれを見て帰らないのは損というものだろう。
湖は視界に収まりきらぬほど広く、澄み渡るような青がとてもきれいだった。
カルガモの親子が水面を統べるように泳ぎ、湖畔では釣糸を垂らす男たちがじっと獲物が掛かるのを待っている。
風に吹かれながら、僕は畔の草原に寝そべる。
空を流れる雲がどこかに消えていく。
一塊だった雲が散り散りになり、別々だった雲が大きな一つの雲になる。
優しい風が吹くたびに揺れる草がこすれる音だけが、今の僕の世界における音だった。
「夢か……」
こんな空を見て、またそんな言葉を思い出した。
メイスト夫妻はあの場所で店をするのが夢だと言った。どこかで自分のやりたいことをやる、そんな素敵な夢を二人は叶えたのだ。
「そう簡単に見つかるものでもないか……」
大きな溜息を吐く。
こんなことでいつまで悩むのだろうか。そんなことを思っていると大きな影が僕を包み込んだ。
「いっちょ前に悩んでるな、少年?」
頭上に目を移すと、そこには淡緑色のコートを着た男が立っていた。
三十代後半だろうか、後ろで結んだ長い黒髪に垂れた眉と瞳。青髭がなければ色男だっただろう。見るからに同業者のようだ。
「隣良いか?」
男は僕の言葉を聞く前に、寝そべる僕の隣に腰を下ろす。
「どうした、親にでも怒られた? それともおねしょでもしたか?」
「別に、個人的なこと」
言葉を返す僕に男は軽快に笑う。
「そう警戒するなよ、悩みを聞いてやろうってんだ」
親切心? そうは感じられない。この手の男はどうも苦手なんだ。
胡散臭いこの男に夢がなんだなんて講釈を垂らされたところで解決するものでもない。
「夢ねぇ……随分幸せな悩みだこって」
「な、聞いてたのかよ!?」
思わず飛び上がり声を荒げる。
また楽しそうに笑う男を睨み付けると、男はすまんすまんと僕の背中を叩く。
「その年で悩むようなことでもねえだろ、生きてりゃ夢の一つくらい勝手に出てくるさ」
どこかで聞いたようなセリフ。そんなこと言われなくてもわかっているっていうのに……。
見透かしたような態度を取る男に嫌気が差した僕は立ち上がり、男から離れようと歩き始めた。
しかし、男は察しが悪いのか同じように立ち上がり僕の後ろをついてくる。
「ついてくるな、三文役者」
振り向かずに罵倒するが男には効かなかったようで、そのまま後ろをついてくる。
この手の男は最後まで話を聞かなければどこまでもついてくるだろう。
僕は早々に諦め、この男の話を聞いてやることにした。
早々に終わらせて早く帰るとしよう。全くせっかくの風景が台無しである。
再び腰を下ろし、男に旅の目的がないことを話した。
やはりというべきだろうか、変な男だった。
聞いたようなセリフをしたり顔で話すような男だと思っていたが、男はしばらく黙っていた。
見上げる横顔は何処か優し気で、先ほどまでの胡散臭さも感じられない。
「真面目だな、少年」
ようやく開いた口から出た言葉に、僕は意表を突かれた。
きっと僕は間抜けな顔をしていたのだろう。男は歯を見せながら笑うと骨ばった手で僕の頭を乱雑に撫でる。
「お前、なんでそんなもんほしいんだ?」
夢が欲しい理由。
あまり考えていなかった質問に僕は言葉を詰まらせる。
改めて考えても、その理由は見当たらない。長い沈黙が二人の間を流れていく。
「……旅がしたいから」
ようやく思いついた言葉。
旅の目的が欲しい。あの日、ヴィズガと話をしてそう思ったはずだ。
「じゃあ、いろんなもん見ればいいじゃねえか」
答えはシンプルだった。
「いろんなもん見て、いろんな音を聞いて、いろんな人と出会え。そんで、これがやりてえってもんを見つけたら、今度はその道に向かって旅をすればいい。夢を探す、それも立派な旅だぜ?」
夢を探す旅。
そんな屁理屈のような答えが、何故が僕の心の中にある霧を晴らしてくれた。
「あんた、意外と良いこと言うんだな」
「意外だろ?」
男はそういうと少年みたいな顔で笑った。
「俺も同じだった。旅の理由も思いつかずに日銭を稼いで、金がなくて宿屋を追い出されたりもした。だからよ、同じ悩みを持った奴は放っておけねえんだ」
この出会いは偶然だった。
だが、これは必然の出会いだったんじゃないかと思えた。
男は鞄を降ろすと中から一つの蜂の形をしたブローチを取り出した。僕にそれを握らせた。
「お前にやるよ。次で会った時に返してくれればいい。ひとまずはそれを目的にしとけ」
男はそういうと立ち上がり、そのまま踵を返してどこかへと歩いて行こうとする。
僕は消えゆく男の背中に声を掛けた。
「名前、アンタの名前は?」
声が届いていないのか、男は振り向きもせず、そのまま歩いていく。
僕は立ち上がり、急いで男を追いかける。
が、何かに足を取られて転んでしまい、男はその隙にどこかへと消えてしまった。
男は確かに変な男だった。
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