第2話
暗がりに光る眼。
獣は唸り声をあげて彼らを取り囲む。
ベアウルフ。硬い毛を持つ犬型の魔物だ。その鋭い爪を食い込ませ、逃げられない状態の獲物を生きたまま喰らう大型の魔物だ。
犬型ではあるものの二足での歩行も可能で、狩りに置いてこの魔物ほど器用に立ち回る魔物はそう多くはない。
「固まれ、いつも通り戦えば勝てる相手だ」
護衛チームのリーダーのグウェンが皆に指示を出す。
全身を鎧で固めた盾役の大男、アグエルの後ろに三人が位置取り、襲い掛かってきた魔物を迎撃する構えをする。
ベアウルフは牙を剥きだしにして、今にも襲わんとしている。
緊張感の走る両者の睨み合い。先に動いた方が命を落とすやり取りの中で先に動いたのはベアウルフの方だった。
飛び上がるベアウルフ。アグエルの盾に飛びつかんとするその獣の動きにグウェンとエラキスが半歩前に出た。
瞬間、グウェンのいる方の茂みから、更にもう一匹のベアウルフが飛び出してきた。番いの登場にグウェンは驚き、反応の遅れたグウェンは盾を構えるのが遅れた。
しかし、そのベアウルフの体を一本の矢が貫いた。
剣をも通さぬ鋼の鎧を纏うベアウルフの体を貫いたのはユエラの矢だ。貫通の
一瞬の出来事に驚いたが、これで障害はない。
盾に組み付くベアウルフ。エラキスの剣がベアウルフの横腹を斬りつける。
そうして転がったベアウルフの頭をグウェンが貫き、息の根を止める。
トラブルはあったが、なんとか無傷で生き残ることができた。
少し遅れてココットが現場に到着する。
「もう終わったぞ、ココット」
そう告げるグウェンは剣を引き抜き、鞘に納める。
「随分早かったね、慣れたもんって感じ?」
微笑むココット。
ユエルも一度木の上から降りて、護衛チームが集合する。
「じゃあ行くか」
グウェンの言葉に皆一様に頷き、ベアウルフの死体を持って、フェオリーノの下へと向かった。
ナイフを片手に辺りを警戒する。ココットさんがいなくなった以上、何かあった際に二人を守るのは僕の務めだ。
しかし、木々の葉がこすれる音や草木の揺れる音が魔物のものなのか、それとも風の所為なのかもわからず、ただ恐怖のみが込み上げてくる状態だ。
吐き気すら覚える恐怖に膝が笑う。早くココットさんが帰ってきてくれないかと震えていると木々の奥で何かが動くのが見えた。
それは足音を鳴らしながら、こちらへとやってきた。
その姿が灯りに照らされる。それは護衛チームの面々だった。
僕は安心した所為か力が抜けて、その場に座り込んだ。
「良かった、無事だったんですね」
僕の声を聞いてか、テントからフェオリーノさんと運転手の人が姿を現した。
「魔物は討伐できたのですね?」
フェオリーノさんは護衛チームの背負うベアウルフを見て喜びの声を上げる。
ベアウルフの皮は軽く、その毛の硬さから軽鎧として好む人もいるらしい。爪は薬効成分が含まれており、薬品として流用されたり、その鋭さを活かして文具などにも使われている。さらに肉は筋肉質な為、臭いこそあれど兵士たちにも喜ばれるものだと聞いている。
フェオリーノさんからしたら嬉しい獲物だろう。
「……我々はついぞ主を守ることはできなかった」
護衛チームのリーダー、グウェンさんが呟いた。
何を言っているのかと思った次の瞬間、グウェンさんはフェオリーノさんをその剣で貫く。
何が起きたのか、わからなかった。
飛び散る鮮血。静かな瞳で崩れる死体を見下ろすグウェンさんの姿に、僕は唖然とすることしかできなかった。
「謀ったな、グウェン……」
こと切れるフェオリーノさんの死体を見た運転手の男が悲鳴を上げ、逃げようとするがその背中をユエルさんの矢が射抜き、エラキスさんが背部を突き刺して止めを刺す。
流れるような作業を終えた五人の視線が、こちらに向けられる。
「なん……で……」
零れた言葉。僕は少しでも距離を取ろうと藻掻くが、腰が抜けてしまい、立ち上がることすらできない。
「お前に恨みはない、強いて言うなら運がなかったと思え」
馬鹿を言うな、せっかく生き返ることができたというのに死んでたまるものか。
僕の思考は少しずつ現実を受け入れ始めた。
注がれた情報量をなんとか処理しようとする。
「すまないな少年、せめて遺言くらいは聴いてやる」
殺される。
逃げようにも彼らの方が圧倒的に実践経験を積んでいるのだから逃げられるはずがない。
僕はココットさんを見る。
下唇を噛み、申し訳なさそうな顔をするココットさん。彼女もこれを知っていたのだろう。だから彼女はあんなことを言ったのだ。
「せめて、理由を。フェオリーノさんを殺した理由を教えてほしい」
時間が欲しい。次の手を考える時間を、何か交渉材料がなくてはこのまま殺されるだけだ。すぐに僕を殺さないということは彼らも殺しがしたくてやったわけではない。そこには付け入るスキがあるはずだ。
「理由、か。金だ、あの男は金を持っているからな、いっそ殺して金にしようと思ったんだ」
しかし、その理由もあっさりと告げられてしまった。
詰め寄るグウェンさんは剣を握り直し、こちらへと迫ってくる。
死にたくない。死にたくない。
「あの荷物はどうなる!」
僕は馬車を指差した。
グウェンさんは馬車を一瞥するとこちらに向き直り告げた。
「売るさ、適当にな」
一歩。グウェンさんは両の手で剣の柄を握る。
それを僕に突き立てようと振り上げる。
「なら僕を連れていけ、アレは僕の村のものだ、それに僕には鉱石を見る目がある。ボッタクられたくなきゃ僕を連れていけ!」
出任せだ。いや、確かに村の商品の価値くらいは知っている。だが鉱石に関してはほとんど知ろうとと言っても過言ではない。
しかし、グウェンさんの剣は動きを止めた。
「売るのは闇市だろ、アンタたちじゃ適当なことを言われて、安く買い上げられるのが関の山だ。僕ならそれを正規の金額……いや、もっと高く売ってやる、それで足りなければ僕を奴隷商にでも売ればいい、魔法の使える奴隷なんて高く売れるぞ!」
畳みかけるように言葉を並べる。助かるためなら嘘も突き通す。
「鉱石の知識があるようには見えないが?」
「魔法には宝石魔法ってのがある。市場で出回る鉱石の値段くらい知っているさ」
「ならば、アメジスト、アンバー、ルビーなら?」
「小さいのでいいなら、アメジストが銀貨二枚程度、アンバーは銀貨三十枚~三十五枚、ルビーは金貨七枚だ。大きさが変われば価格も大きく変わる」
グレゴール爺さんに聴いた知識だ。去年の話だから少し価格帯が違うかもしれないがそれでも大きく変わっていなければいい。
グウェンさんは僕を睨み続け、僕もまたその目をしっかりと見続けた。
「だが、君がこれを話せば私たちの信用は地に落ちることになる」
「ありえないよ、子供の僕と今まで信頼を気付いてきた貴方達の言葉、国民はどっちを信じると思う?」
僕はまだ十歳の子供。そんな子供が彼らは人殺しだと叫んだところで世間は聞く耳を持たないだろう。
「もう無理だよグウェン、君の負けだ」
ユエラさんがグウェンさんの肩を叩く。皆、無関係の子供を殺すことに忌避感を覚えていたのだろう。グウェンさんが後ろを見ると全員が首を横に振ったり、肩をすくめたりしている。
グウェンさんも諦めがついたのか剣を鞘に収めた。
こちらに向き直ったグウェンさんは僕に手を差し伸べた。
「仕方がない。君の言葉に乗せられてやろう」
僕は彼の手を取り立ち上がる。
まだ腰が抜けてうまく立てなかったが、ユエラさんが僕を支えてくれた。
「グウェン、本当のこと話してあげてもいいんじゃないかい?」
ユエラさんに運ばれて焚火の前に座らせて貰った。
他のメンバーも焚火を囲み、最後にユエラさんが腰かける。
「……フェオリーノと契約を結んだ当時、まだまだ仕事の無かった俺たちは今では考えられない契約金で雇われた。そして、奴は今日に至るまで、その金額で我々を行使し続けた」
フェオリーノさんはどうやら彼らを低予算で使い潰していたのだろう。人の良さそうな顔をしていても腹の中まではわからぬものだ。
「当然、契約金を上げるように進言した。しかし、今度は移動時の通行税や食事代と称して契約金から差し引くようになったんだ。我々とて生活がある。正直、契約を結ぶのをやめようと思ったよ、だがそれを聞いた奴は激昂し、もし辞めるのなら我々の信用に傷がつくよう噂を流布すると脅してきたんだ」
つまりは世間体を失墜させ、仕事を取れないようにしようとしたようだ。
流石にそれを聞いた瞬間、あの笑みが気色悪く思えた。
「それだけじゃない、奴はココットの体まで狙っていた。ことあるごとにテントの番をココットにさせていたし、未遂だが実際に手を出してきたもあった」
フェオリーノさん、いやフェオリーノはかなりの外道だったようだ。
そんな男の所為で死にかけたのかと思うと正直腹が立つ。
「じゃあ今回殺したのは……」
「あぁ、我々も既に限界だったんだ。これ以上は生活できないし、ココットの身も危ない」
仲間の為に手を汚した彼ら。グウェンさんは疲れ切った表情をしている。
魔物との戦いだけでなく、人を手に掛けた以上、彼の心は疲弊しきっているのだろう。
「そういうわけで私たちは奴を殺すことにしたんだ。無関係の君を巻き込む形になってしまったのは申し訳ないと思っている」
焚火の爆ぜることが木霊する。
私腹を肥やした男が受けた報い。それは当然と言ってしまっていいものなのかわからない。だが、どうあれこれで彼らは報われたのだと信じたい。
夜は長い。彼らの話を聞き終えた僕は再び床に就く。
瞼の重み。今度はゆっくりと眠れそうだ。
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