第1話 

 その日、スプリングフィールド家で一つの産声が上がった。

 農夫を営む父、ラングレイと母、カンマンの間に生まれた少年はウィリアムと名付けられ、三人の兄弟たちと共に健やかに育てられた。

 歳が四つ離れた長男のアラン、一つ下の妹のイレイナ、そして五つも離れた末っ子のエリク。仲の良い四人兄弟として村でも知られている。

 ウィリアムが8才の誕生日を迎える頃、彼に魔法の才があることを家族たちが気付いた。

 魔法というのは誰でも使えるものではない。先天的な才能がないものには如何にしても扱うことのできないそれは、扱えるというだけでも国営の魔法学校に入る資格を有する。

 家族は当然、魔法学校に通うようにウィリアムに言ったがウィリアムは金銭を理由にそれを拒否した。魔法学校に入るには少なくとも毎年金貨二枚の支払いをしなくてはならない。それが四年も続いては家計は火の車である。

 自分一人の為に両親や兄弟たちを苦しませるわけにはいかないと彼が言った際には、母はその優しさに涙したものだ。

 だが、その翌年の彼の誕生日に更なる出来事が起こった。

 ウィリアムに神の啓示が与えられたのだ。

 それは「十を迎える前に冒険者となり旅に出よ」というものだった。

 冒険者になる、ということがどういうことか。世間体でいえば郎党か浮浪者の類でしかない。

 何らかの学者や護衛業を営む衛兵でもない限り、世を渡り歩くというのは、「自らにはそういった学の無い人間です」と公言するようなものなのである。

 家業を継がず、自らの手に仕事の無いものが行き着く果て。魔物を狩り、墓暴きを行うことを生業とするなど、風当たりが強くて当然のことだ。

 それになれという啓示に母は涙したが、父は神の言うことであればそれはウィリアムの人生にとって必要なことなのだろうと受け入れていた。

 家族の応援を受けて、彼は啓示を受けた一月後には旅に出ることにした。

 少しばかりの食料と旅の道具、そして少しのお金を持ち馬車に乗るウィリアムを家族は涙ながらに見送った。


 馬車の中は正直言って退屈だった。

 同じ馬車にいるのは、この馬車の持ち主であるふくよかな男性、「フィオリーノ」さんのみで馬車の周りには護衛が五人ほどいる。

 男性はおそらく行商人なのだろう。仕立ての良い服と自らの財をアピールするための指輪を見るに、あちこちへ旅をしながら生活必需品などを売り買いして生計を立てているのだとわかった。

 男は優しそうな顔で先ほど僕の村から買った商品を眺めている。

 ローレンツさんのところで買った羊のチーズに、ウチの畑で捕れたトマトで作ったソース。ハインツさんが編んだセーター、グレゴール爺の採ってきた鉱石など様々なものを大切そうに羊皮紙に包んでいる。

 僕が今日、旅に出れるのもこの人のおかげだ。

 この人はこの一帯から中央にかけて移動しており、料金の代わりにこの帰りの馬車に乗せてもらうことにしたのだ。

 冒険者になるならば、中央近くの村を中心に動けば苦労もないだろうと踏んでのことだ。

 フィオリーノさんには魔法学校に通う為に中央に向かうと言っている。馬鹿正直に冒険者になるなどいった日には足元を見られるに決まっているからだ。

「それにしてもその年で魔法学校に通うとは中々将来が有望ですな」

 最後の商品を包み終えたフィオリーノさんが話しかけてきた。

「ええ、これも神の恵みですよ」

 実際に与えられたものである以上、これは謙遜でも何でもない。

 死ぬまで神様なんてものを信じていなかったが、現にこうして新たな世界に生まれ直したのは神の恵みと言って差し支えないことだろう。

 こうして青い空を見上げる度に、あの瞬間の光景を思い出す。

 空から降ってきた鉄の板。踏みつけられた果実のように潰されたあの日の光景はいつまで経っても忘れることはできそうにない。

「はは、なんとも信心深い少年だ。うちの息子は祈り方も忘れたようで君のような子を持てるのは羨ましい」

 優し気な笑みでそう語るフィオリーノさんに僕は愛想笑いを浮かべる。老人の身内話にはどう相槌を打っていいものか分かり兼ねる。

「どういうルートで中央に向かうのですか?」

 僕は何とか話題を変えようと試みる。

 どうせ、平原の迂回路を通るのだろうとは思うが……。

「今回はナマモノもありますので森を抜けますよ」

 フィオリーノさんからの答えは予想外だった。

 確かに森を通った方が早く中央には迎えるが、森はベアウルフやククライヒッポなどの危険な魔物が生息している。

 護衛の人たちは僕なんかに比べて、遙かに鍛錬を積んだ猛者であることはわかるが、それであっても森に入るのが危険なのは変わらないだろう。

「森ですか、かなり危ないと思いますが……?」

「大丈夫ですよ、何度も通っていますし、それにあの森に棲む魔物の爪や毛皮は高く売れるのです」

 護衛の方に目を向けると、目の合った鎧の男が任せろと言わんばかりに親指を立てる。しかし、その表情はどこか作られたもののように思える。

 嫌な予感がした……。


 森に入る。

 生い茂る青々とした木々の合間から零れる日の光。

 草影に目をやるとホーンラビットやグレイゴートなどの魔物の姿が見える。あれらの危険性は薄いが、やはり魔物が群生している森なのだろうと確信できる。

 馬車の運転手や護衛の人たちの表情は強張っている。先ほどまでと変わらず穏やかなのはフィオリーノさんくらいのものだ。

 豪胆な人なのか、能天気なだけなのか。できることなら前者あることを願うばかりだ。

 暫く進むと木々は空を隠し、日の光さえも通らない暗がりへと入っていく。

 通っている道は獣道。普段の利用者たちにとって僕らは羊の群れと相違ないだろう。護衛の面々は馬車に身を寄せ、いざという時の為に備えて武器を取っている。

 僕は運転手の指示で毒虫よけの松明に火を点けて回る。

 魔法の基礎である火付けの魔法を使い、火のついた松明を馬車の四隅に備えた。

 松明からは少し香草の香りがする。どうやら虫除け用に油にエキスを混ぜているらしい。

 ふと、何かが草根を分ける音がした。

 馬車は動きを止めて、護衛の二人はブロードソードと盾を構えてそちらを見る。

 しかし、木々の葉が揺れる音が響くばかりで、それ以外の物音が鳴ることはない。

 何かいる。全員がそれだけを感じながら、馬車は再び動き始めた。

 辺りが暗くなり始めた頃、少し開けた場所に馬車を停め、野営の準備を始める。

 夕食はジャーキーとウチの村から買ったパンで済ませ、護衛の人たちは夜の番について話している。

 僕は中身は置いておくとして、見た目は十歳の子供。それも客人扱いの為、番の務めはなかった。

 しかしながら初めての野営、それもこんな危険な森の中では眠りにつくことも容易ではない。

 眠りに付けずにいるとテント前の護衛をしているココットさんが話しかけてきた。

「眠れないのかな?」

 何度か寝返りを打ったせいか物音で気づいたのだろう。

 僕は素直に眠れないことを告げる。

「そうだよね、こんな森じゃあ眠るのだって難しいよ」

 僕は起き上がり、テントから抜け出す。

 ココットさんは焚火の前で倒木を椅子代わりに座っていた。

 色の薄い金色の髪、緑交じりの青い瞳には揺れる炎が映っている。年は二十にならないくらいだろうか。今の僕には十分お姉さんなのだが、自然と若いなという感想が浮かんでしまった。

 僕は彼女の座る倒木に腰かけ、少し彼女と話すことにした。

「ココットさんは何故、護衛の仕事を?」

 口をついた言葉は何気ない世間話。火の爆ぜる音を聞きながらココットさんも口を開く。

「私? 単純に力が強かったからかな、男の子にも喧嘩で負けたことはなかったし、家業は兄がいるから、私はさっさと嫁に行くか、働き口を探さなきゃいけなかったんだ」

「それで働く方を選んだってことですか?」

「そういうこと、私は私より強い人と結婚したいんだ」

 そう言って両腕でガッツポーズをする彼女は年相応の少女のようにも見える。しかしながら、その条件はおおよその男性には難しそうだな、と少し思ってしまった。

「あーあ、君とは話すつもりはなかったんだけどなぁ」

 ココットさんはふと、そんなことを呟いた。物憂げな表情を浮かべる彼女に僕は疑問符を浮かべるしかない。

「それは、どういう……」

 鳴り響く笛の音、それは魔物の襲来を知らせる警報だ。

 ココットさんの目の色が変わる。

 立ち上がった彼女は僕の方に向き直ると肩を握りしめる。その目は真っ直ぐで真剣な目をしていた。

「いい、今すぐ逃げて。絶対だよ」

 それだけ言い残すと彼女は警笛のする方へと向かっていく。

 彼女の言っている意味が分からなかった。

 フィオリーノさんと運転手さんがテントの中にいる以上、放っておくこともできない。

 僕はひとまず二人を起こし、いざとなったら逃げだせるように準備をすることにした。

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