第62夜

ウチはもっと、力を抜いて良いのかな?


染み付いてる「迷惑をかけてはいけない」。


親に迷惑をかけるな。

周りに迷惑をかけるな。

お姉ちゃんだからできるでしょ。

子供を産んだのだからしっかりしなさい。

自分で出来ないとかダメでしょう。


そういう言葉で構成されて来た。

初めから割と高度な事を望まれていたのだな、と今は思う。


大事な人と大事な人の友人さんと自分の3人で話をする機会があって。

自分の育った家庭環境がおかしいんだって、改めて理解した。

物心着いた時には、朝ご飯は自分で用意してた。お弁当は、妹の余り物。詰めるのは自分で。土曜日は、父が用意してくれたな。

母は、ウチには凄く厳しかった。過干渉だったし。自分でやれと言っておきながら、こうしなさい・ああしなさいと口を出す。母の思うように出来なければ、外に放り出されたり倉庫に閉じ込められたりした。

話を聞いてもらえることなく育ったので、自分の話は基本聞いて貰えないのが前提条件になってる。だから、話をするのは苦手。

頭の中で、どう話せば良いかを何度も何度も考える。どう話せば怒られないか、相手の機嫌を損ねないか。ポンっと口に出せるのは、余程大丈夫だと思った相手にだけで。

それでも、何かを頼んだりするのはとても勇気がいる。何度も期待しては絶望した親との会話や、何が地雷源になるのか分からないDV男との生活、話を自分の中で改竄して他責するモラハラ男。(ホントろくでもないな…)

産まれてから2回目の離婚をするまでの38年間、生まれてきた事と生きていること・子供を産んだことをずっと自責してた。

子供達が寝た後に、よく泣いた。

自分が母親でなければ、自分が自殺未遂をした時にちゃんと死んでいたら、そもそも生まれてなければ…と。

今はそう思うことは少なくなった。

油断すると、出ては来るけれど。

出てきてネガティブに引き摺られる時は、大概いっぱいいっぱいな時だったりする。

それが分かったから、気を付けてはいたのだけど。まだまだ修行が足りないみたい。

大事な人は、頼ってもいいとは言ってくれたけれど。頼るってどうしたらいいの?状態だったりする。

大事な人は、ウチが弱い事を見抜いてはいるけど。弱いから、自分自身が処理しきれていない底の見えない暗いものを見たら、気持ちが変わってしまうんじゃないかって思ってしまって怖い。

手を繋いで歩いたこと・毎日してる通話。

それが急に失くなってしまったら?

とても大好きで大事な人だから、きっと立ち直れないだろうなと思う。

考えたくないけれど、今までの経験上拭えない。

「ウチ自身が大好きなら、それで良いじゃないか」と思ってはいる。

好きな人に好かれること、それはとても奇跡的なことで。いつか、「好き」が聞けたらいいなぁと思う。

「仲良しより上でしょ」って言ってくれたから、それだけで幸せだったりするのだけど。

だから、「好き」が聞きたいなと思うのは、とても贅沢なことなんだと思う。

1年経って、欲張りになり過ぎている気がする。

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