6月:半分

 暇だ。実験の待ち時間。四十分というのが絶妙で、何かを始めようにも中途半端な時間がぽっかりと空いてしまう。デスクワークをする気にもなれなくて、窓からぼんやりと外を眺めている。外は雨が降っていた。ここから見る限りは、帰りは自転車だと厳しそうだ。不肖わたくし志村悠香、今日は折り畳みの日傘も持ってきてない。へりくだりでもなんでもなく、ただ単に愚かだった。

 天気予報見てなかったなあ。傘持ってないなあ。どうしよっかなあ。寄り道したくないし夕飯はありもので済ませちゃおっかなあ。そういえば、買っておいた鶏肉の消費期限が今日までだった。親子丼でも作ろうかなあ。脳細胞が働いていないのをひしひしと感じる。ぐるぐるぐる。適当に思考が巡る。買われてから今日まで食べられることのなかった鶏もも肉は、ひとパック、しめて二枚。私の細いウエストには二枚おさまりきらないなあ、どうしよっかなあ。今日の零時を回ったら、消費期限が切れる。鶏肉には致命的な何かが起こって、およそ食べ物と呼べない何かになってしまう。果ては悪魔カンピロバクターと契約して、期限内に食べてくれなかった恨みを晴らさんと、冷蔵庫の中で胎動を始めるのだ。彼らが善良な鶏肉でいてくれるうちに、私の手で葬ってやりたい。

 待ち時間を示すタイマーに目をやると、二十分を切る直前だった。あと半分だ。そういえば、今読んでいる小説も残り半分くらいだったなあ。残りの待ち時間はそれを読んで待ってようか、そもそも待ち時間の最初から読んでいればよかったと思いながら、鞄を探る。小説を入れたポーチを手の感触だけで探し当てて、ひっぱり上げる。ポーチには蝶々の根付が結んである。今年のお正月に引いたおみくじのおまけだ。標本チックな形状じゃない、小さいながらそのまま飛びそうな躍動感が私の好みだ。そういえば、梅雨に入って、今年も残り半分くらい。……ってことは、蝶々の根付のご利益は、もうあと半年しかないってことになるのかな? この蝶々も、大晦日の二十四時には我が家の鶏肉と同じ末路を辿りかねない。今年中に叶わなかった恋の未練に、私も食い殺されてしまうかも。なんてね。

  待ち時間もあと半分。小説も残り半分。蝶々が飛べるのもあと半年。なんだか今日は「半分の日」って感じだ。それなら今日は小説を半分残しておくのも一興かな。折角だし、デスクワークも半分ぐらい終わらせてしまおうか。ノートパソコンも半分だけ開いてみる。……さすがにこれじゃ半分も終わらないな。諦めて、いつもの角度に開いてしまった。


 今日のタスクが終わっても、結局雨は止まなかった。傘を買ってさっさと帰ってしまいたいけれど、生協コンビニまでは少し歩くことになる。傘を買いに行く傘がない。早くしなければ、うちの鶏肉たちが……。

 教育棟の前を色とりどりの傘が横切ってゆく。日傘を持ってきていればなあ。雨が降ると知っていれば雨傘と日傘の二本体制になることだってるのに。その日の私と今の私を足して二で割りたい。

「傘がないのか?」

 聞きなれた声に振り返る。自然、声も明るくなる。傘を持った救世主がそこに。

「先輩!」

「これとは別に折り畳みがある。小さいけど、使うか」

「……どうしましょう」

「?」

「せっかくの厚意を無下にするのも忍びないんですけれど、せっかくの好機を無下にするのもやるせないのです」

「……いい機会だからやりたいこと? なんだよ」

 すっかりテンションが上がった物言いをしてしまったけれど、先輩は私の意図を汲み取ってくれる。こういうところだ。

「今日は「半分の日」なので傘を半分に、つまり相合傘をしたいです」


 先輩に「半分の日」の所以を喋りながら、相合傘で帰路を辿る。先輩とは家が近いから最後の方まで一緒だ。先輩は私の右、つまりは道路側に立ってくれている。

「降水確率も一応は五十パーセントだったはずだ」

「あら。でも先輩は傘を二本持ってますよね?」

「折り畳みはいつも持ってる。こっちは研究室に忘れて帰ってた」と、先輩は傘の持ち手を指で叩き、

「二本あるから、志村に貸してるのは四分の一かな。残念ながら「半分」じゃない」と続けた。

「半分じゃないのは残念ですけれど、三分の一くらいは貸していただいてると思います。見逃しませんよ、そのかっこつけ」

 先輩の右肩はじっとりと濡れている。おかげで私は無傷。不肖でも負傷なしだ。

「相合傘は私のわがままだったんですから、私を濡らせばよかったのに」

「そんなかっこ悪い真似をしてたまるか」

「……ねえ先輩、うちに寄っていきませんか? 服を乾かしましょう。ごはんも作りますよ」

「今日は買い物も面倒だしありがたくはあるが、なんでまた」

「消費期限切れかけの鶏肉が食べきれない量あるんです。親子丼作るので、半分こしましょ?」

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