4月:春風問答
このところ一段と暖かくなった。学生食堂の屋外席で雑談をしていても寒くない、寧ろ心地よい涼風と陽光である。今日から始まった四月にはお似合いの陽気だ。
雑談がふっと途切れた時、志村が切り出した。
「スーパーの懸賞でペア温泉旅行券が当たったんですよ。一緒にどうですか、先輩?」
志村悠香。整った顔立ちに綺麗にまっすぐな黒髪。今日はハーフアップにまとめている。桜色に染まる頬やこちらに向けられた大きな瞳は、幼さを残す美少女といって差し支えない。けれどその実、周囲を巻き込んで「楽しさ」を探求する、楽しさ至上主義の変人なのだ。その犠牲になった俺は、志村の玩具になることも少なくなかった。
騙されることに一家言ある俺を、こんな嘘で騙そうとは。エイプリルフールにしても軽率にすぎる。
……いい機会だ。軽率さが足を掬うということを教えてやろう。先月に引き続いて、仕返しの一環だ。
「いいね。どこの温泉だ?」
「有馬ですって!予定が合えば是非!」
「……ふむ」
こういう時は真実が一番効くだろうと、スマホのスケジュール帳を起動して予定がないかを確認する。その間にも志村は声を弾ませる。
「先輩の好きそうなスイーツも調べてありますからね。食べに行きましょう、チーズケーキ!」
ちょっと行きたくなってきたじゃないか。
「ゴールデンウィークは空いてる」
「予約取っちゃっていいですか?」
「おう」
志村は携帯を取り出して、調べている風を装っている。いつまで続けるつもりなんだ。
「……五月後半どうですか。ゴールデンウィークだめそう……」
「大丈夫だ」
「ありがとうございます!じゃあここで!」
スマホをポチポチする志村。流石に少し違和感を覚えるが、この戦いは我慢比べだ。音を上げたほうが敗けなのだ。
「よし。旅館と日程メールで送っときましたんで。懸賞ですし、ちょっといいとこですよ」
メールを確認する。
「……まじかよ」と思わず声が漏れた。
メールボックスには、旅館の予約メールが転送されていた。
「ね、良いところでしょ」
「本当に行くの?ここに?」
「本当ですよ?……あ」
心中を察して、志村がにやにやし始めた。
「まさか先輩、嘘だと思ってましたー?」
「……」
「エイプリルフールに出た嘘っぽい話を嘘と断ずるのは軽率ですよ。嘘を暴こうとして足を掬われましたね、先輩?」
「わーかったよ、敗けだ敗け。いつも騙してくるお前が言うから疑わしくて……」
志村は小首をかしげる。まるで自分に言われたことが全くの的外れだと言わんばかりに。
「私が先輩に嘘をついたことってありましたっけ?」
――な。
「いやだって、バレンタインとか、去年の年末とか……」
そこまで口にして言葉が詰まる。……あれ?
バレンタインには確かに嘘をついていなかった。志村が勝手に動いてサプライズをしてくれただけ。
他の思い出を脳内で巡らせてみても、嘘をついていた記憶はなかった。この視点で思い返せば、「騙された」って記憶は全部、俺の思い込みが外れていただけじゃないのか?とも思えてしまう。クリスマスの激辛クッキーはその典型例だな。辛い物を皆に配布するとは思えないし、実際はあれがプレゼント交換会に志村が用意した品だったのだろうと今更合点がいった。
「先輩?」
もしその通りなら、俺は志村にあらぬ疑いをかけていたということになる。ならば俺がすべきことは。
「あーその、なんだ。……疑ってすまなかった」
「……え?いやそこまででは……」
「そこまでなんだよ。騙されまいと構えてる自分がいたことに気が付いた。だからこの謝罪は、有馬温泉だけじゃなくクッキーとクレープその他のことを多分に含む」
そうだ。志村と過ごした時間を思い返して、もう一つ気づくことがあったのだ。ちょうどいいからそれも伝えてしまおうと、俺はそのまま続ける。
「志村は、「自分がやった感」を出さないために、冗談めかして俺に色々してくれてたんだろ。バレンタインの時だって、クレープを奢ってくれるならそう言ってくれればいいだけだし。だからこれも言っておかなくちゃならん。――ありがとう」
志村の頬が桜色から真っ赤に染まった。志村は顔を逸らした。
「……あのね、先輩。やめてくれませんか。人の行動原理を事細かに説明するのは。流石にはずいです。こんなこと他の子にやったらだめですよ。モテません」
「すまん」
赤面志村悠香。期せずして巡ってきた仕返しの報酬として心に留め置こう。
「思い出しついでに一つだけ教えてくれないか。……ハンドクリームについて」
バッと振り向き、志村は早口でこう言った。
「クリスマス会の後に先輩の家に急に現れた金木犀のハンドクリームなんて私が知るわけないじゃないですか。ははは。私がこっそり置いたとかそういうんじゃないですから。はは」
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