3月:しかえし
駅前広場に着いた。久しぶりにポニーテールにまとめてきたから、首筋が少し寒かった。ストールが緩まないように締めなおす。
広場には、一か月前と変わらず移動販売車が群れている。私はその中にクレープ屋を見つけ、空いているようだったので寄ってみた。
「いらっしゃいませー」
私の気配に気がついて、クレープ屋のおじさんはこちらに向き直った。私の顔を見て、探るように尋ねてきた。
「……君は、バレンタインの?」
「はい!あの時はありがとうございました!」
「よかった。サプライズはうまくいったのかい?」
「おかげさまで!」とピースサインを返す。
一か月前、すなわちバレンタインに、先輩にほんのちょっとのサプライズを催した。先輩は気づいていないと思うけれど、クレープ屋のおじさんの協力がなければできないサプライズだった。お店としては、お金をもらった後に商品を渡すのが、食い逃げ対策の普通のやり方だ。お客さんを追いかけづらい移動販売車ならなおのこと。けれどこの店員さんは、私のサプライズのためにその禁を破ってくれたのだ。
「大成功でした!今日はあの時の人とデートなんですよ!」
「それはよかったじゃないか!……よし、ちょっと待ってて」
浮かれる私に、おじさんは一口サイズの小さなクレープを作ってくれた。半分に割ったいちご飴がくるまれた、試作品なんだそうだ。
「丸々ひとつあげたいけれど、ご飯に行くかもしれないからね」
私は改めてお礼を言って、広場の外れのベンチに向かった。
そういえば、今日は何をするんだろう?
ベンチに座り、クレープを食べながらぼんやりと考える。
まさか、先輩がデートに誘ってくれるなんて。想像以上だ。
想像していたのは、ホワイトデーのお返しのものをもらうことだけ。お返し欲しさのバレンタインでは決してなかったけれど、先輩は律儀だから。何かをもらえばそれに見合うよう返礼をする人だ。……仮に、含意がなかったとしても。
クレープの残りを口に放り込む。飴の食感が面白い。
先輩。想像以上のことをしてくれるってことは、想像以上の関係を期待していいんでしょうか?
――あつい。
糖分を摂ったせいか、変なことを考えたせいか。多分顔も真っ赤だ。先輩に見られたくないから、ストールをほどいた。火照った首筋に、冷たい風が気持ち良い。
ぴとっ。
「ぴゃっ!?」
首の後ろに急激な冷感が走った。しかもじんわりと濡れている……!
反射的に掌を首に当てながら、ベンチから飛びのいて後ろを振り返る。
そこには、先輩が立っていた
缶のサイダーをこちらに差し出すような格好で固まっている。やがて先輩は、堪えきれないという感じで笑い出した。
「……はは。いや、なんというか、ごめん。そんなに驚くとは……あはは」
「あははじゃないですよもう……」
先輩が私の首筋にサイダーを当ててきたらしい。先輩の笑顔を見た嬉しさと、変な声を聞かれた恥ずかしさがごちゃ混ぜだ。心のうちを悟られないように、少しおどけて言った。
「ホワイトデーのお返しはどんなデートだろうってわくわくしてたのに。のっけから台無しです」
先輩は少しだけきょとんとした顔を浮かべ、それからにやりと笑った。
「言ってなかったっけ?今日はお返しじゃない。仕返し、だ」
次は私がきょとんとする。先輩は私にサイダーを手渡した。
「あの日、無防備な俺の頬にクリームをつけてきたのを忘れたか?それはその仕返しだ」
意趣返し。先輩の意図が分かった途端、なんだかたまらなく愉快な気分になった。
「あはは!そんなことしましたね!じゃあこれでおしまいですか?」
「まさか。あの日にはクリーム攻撃以外にもやられたろ。……クレープを奢られた」
奢られたって。
「今日、志村は律儀にクレープ屋に挨拶に行くだろうから、俺はその時にクレープを渡してもらうようお兄さんにお願いしたんだ。志村がやったのと同じようにお兄さんに協力してもらおうとした。けど話だけで十分だからって代金を受け取ってもらえなかった。志村のようにうまくはいかんな」
つまり私は、前回の企みを看破され、先輩の思い通りに動いてしまったというわけだ。珍しく饒舌な先輩を見た面白さより、悔しさが勝る。
「だから俺はいまから志村に何か奢らなきゃいけない。というわけで志村、甘いものはまだ食べられるか?おいしいバウムクーヘンがある喫茶店を知ってるんだ」
優しいのか詰めが甘いのか。サイダーを奢ったことは勘定に入っていないみたいだし、あの日私に連れ回されたことへの反撃は考えていないみたいだ。私は精一杯のダメ出しをした。
「仕返しが過剰で、不足です」
「まさか。これで必要十分だ」
先輩はそっぽを向いて続けた。
「サイダーなんかで済ます気はないし、連れ回されたのは、まあ、楽しかったから」
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