2月:「今から手品を見せて差し上げましょう」

 買い物を終えたので、一息つこうと駅前広場でベンチを探す。二月の冷え込みは、昼過ぎになって少し和らいだ気がした。

 広場にはいくつかの移動販売車が停まっている。眠そうなお姉さんがタピオカティー車中でスマホをいじり、クレープ屋のおじさんはこれから来るのであろう繁忙時に備えて仕込みをしている。ホットドッグ屋には行列ができており、店員のお兄さんが元気に捌いていた。

 賑わいを抜けて、はずれにあるベンチに座る。ベンチの冷たさに、二月が丁度半分残っていることを思い出す。

「先輩、どれを食べましょうか?」

 志村悠香。大学の後輩であり、今日の外出の半首謀者。「そのあたりに用があるなら一緒にいきませんか」と誘われてきたが、今日の俺は目当ての本を買って以降、志村の荷物持ちになっていた。道中嬉しそうに跳ねる黒く綺麗な長髪を前にすると、なかなかどうして、途中で帰るとは言い出しにくい。

「何でもいいよ」

「あそこのクレープ屋の、チョコ&フルーツスペシャル、美味しそうでした」

 看板にでかでかと描かれていたそれは、さながら小さなパフェの様だった。「チョコメガ盛り、フルーツギガ盛り!」の文句は誇張でもないようで、イチゴやバナナがチョコレートでドレスアップされ、それをくるんだクレープ生地の上にはチョコアイスまで乗っている。

「うまそうではあるな」

 量を無視すれば。あれは1人で食べきる分量ではないだろう。

「ホットドッグでもいいかも」

「任せる」

 志村が不意に、にやりとした。

「……よし。じゃあ先輩、今から手品を見せて差し上げましょう」

「手品ぁ?」

 志村は、ふふふと笑って続ける。志村は自分の財布を俺に渡してきた。可愛らしいピンクの長財布だ。

「今から、私はお代を払わずにお昼ごはんをもらってきます」

「どうやって」

「それを先に言ってはおしまいじゃないですか。まあまあ、見といてくださいよ。私ってば愛想良いですし、店のおじさんから笑顔で貰ってきて見せますから」

 悪戯っぽい笑みを浮かべる志村に、嫌な予感を感じてしまう。この後輩が、美少女の皮をかぶった楽しさ最優先主義の変人だということを忘れてはいけない。

 志村は企みの籠る笑みを浮かべると、長い黒髪を翻しさっさと移動販売車にかけていってしまう。綺麗な髪をくぐった風から、香水らしい甘い香りが漂った。

 あいつは何を、どうやって買ってくるのか。目を瞑って考えを巡らせる。

 志村の悪戯をどう回避するか。これが重要だ。

 タピオカティー、ホットドッグ、クレープ。悪戯できそうなメニューはどこにある?

 俺は甘党で、紅茶が苦手だ。一緒に出掛けることの多い志村はもちろんそれを知っている。だからメニューで何か仕掛けてくるなら、ホットドッグかタピオカティーの可能性が高い。

 でも志村は「店のおじさん」から貰ってくると言っていた。タピオカの店員は女性で、ホットドッグは男性だった。同年代らしきホットドッグ屋の店員を俺はおじさんと呼びたくはなかったが、志村の視点ならおじさん認定されてもおかしくはないかもしれない。時の流れは残酷だ。

 志村が手に入れてくるのがホットドッグだとして、最悪は激辛チョリソーホットドッグだ。悪戯へのカウンターにタピオカティー屋で甘い飲み物を買っておこうか。紅茶以外のものも少しは置いているだろう。ホットドッグ屋はずいぶん並んでいたから、俺のほうが先にベンチに戻れるはずだ。

 ぴとっ。

 頬に何かがくっついた。

 驚いて目を開けると、志村の綺麗な顔が目の前にあった。

「わ。急に眼を開けないでくださいよ」

 飛びのいた志村の左手にはクレープがあった。右の人差し指の先には生クリームが乗っている。まさか。

 咄嗟に頬を指で拭ってみると、やはり生クリームが指についてきた。

「おい」

「先輩が私から目を離すので悪戯しちゃいました」

 語尾に芝居じみたハートマークがついている気がした。「すみません」と言いながらハンカチを渡してくる。

「……閑話休題!じゃじゃーん、マジック成功です!」

 俺は志村のハンカチを、白旗代わりにひらひらと振った。

「えへへ。種を明かせば結構単純なんですが……片方だけ作るのに時間がかかるものを頼んで、『あそこのカレが取りに来るので、その時一緒に払いますね』って伝えるだけです」

「おい」

 時間がかかるものってまさか。

「チョコ&フルーツスペシャルのお客さーん」

 うずたかいパフェのようなクレープを持って、クレープ屋のお兄さんがこちらに向けて呼びかけてきた。

「ほら、先輩。行ってください」

 と言いながら、志村は俺の財布を俺から取り上げた。手元に残ったのはピンクの長財布。

「悪戯はここまで。今日は私のおごりです」

「どういう風の吹き回しだ」

「だって今日は二月の真ん中――バレンタインですから」

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