1月:待ち人来たり
寒い。
八幡宮から階段を下り、列が鳥居まで伸びている。目算では、コートを羽織った人が八割、着物が二割。
暗い中に伸びる明るい雰囲気の列を見下ろしながら、俺は志村を待っていた。外れにあるテントから更に外れた八幡宮の敷地の端からは、行列と、ほの明るい年始の街を見下ろせるのだ。加えて、テントで配られている甘酒とお汁粉を堪能できる。喧騒を静かに俯瞰できる、とても俺好みの場所だ。
志村に、初詣に行きましょうと誘われたのが年末に映画を観に行った帰りだった。クリスマスの分の借りを返すための映画だったけれど、あの日はそれなりに楽しかった。
そのときに誘われて、大晦日の寒空の下、待たされている。
別に志村が遅れているわけではない。混むことを予期して早めに自転車を転がしてきたら、俺が早く着きすぎてしまっただけだ。
「遅いな」
自分の失敗を棚に上げて呟くと、タイミングよく志村からのメッセージが届いた。
「すみません、今階段の前くらいです!カウントダウンに間に合うといいのですけれど」
階段の前からでも時間がかかりそうだ。いつもは時間に遅れるようなやつではないから、いつもと違うことをしていたのだろう。着物を着たりだとか。暇つぶしに、おみくじでも引いてこようかという気になった。お汁粉は好きだけれど、もう食べ過ぎていた。
おみくじは、甘酒のテントの隣のテントにまとめられていた。根付やシールなど、おまけつきのおみくじも多くある。まだ日が回っていないので、年始のみくじを引きに来ている人は少ない。
せっかくなので、小さなストラップが付いてくるおみくじを引いてみる。
二百円を納め、箱の中からひとつ取り出す。ビニールの包装を開けると、だるまのストラップと折り畳まれたおみくじが出てきた。
亀なら長寿、蝶なら恋愛といったふうに、ストラップによっておみくじとは異なる意味合いがあるようだ。だるまは……成就。
おみくじの方も開いてみる。
中吉。まずまずだな。他にも仕事、健康、技芸、待人の四つの項目があるようだ。
仕事:今は安泰。マイペースを守ること。
健康:小康を保つが、この先幾分の危険もある。
技芸:自身をよく知り、勝算のあるところを狙うこと。
待人:良縁は――。
「お待たせしました!」
声のした、右隣に首を回す。
「……驚いたな」
髪を結い上げ、正月らしい着物を来た女性が、こちらを覗き込むような格好で俺に笑顔を向けていた。眼を細めていたから綺麗な瞳は見えなかったけれど、代わりに開かれた口から白い歯が覗いていた。志村悠香。初詣に行こうと言い出した張本人だ。
「へへー、馬子にも衣装というやつです」
「ん、ああ。そうだな」
「……今日くらいきちんと褒めてくださいよ」
志村が頬を膨らませた。着物には、打出の小槌や手鞠や羽子板など、正月から連想されるものと縁起物とが細かく規則的に配されていた。その欲張りさはささやかな派手さに通じている。日本人にしては彫りが深く華がある顔をしている志村には、なるほど確かに似合っていた。
おみくじに気を取られていなければ、言ってやるつもりだったのだが。
「すまん。似合ってる、志村」
「っ……ぁりがとうございます……」
次は顔をそむけた。忙しいやつだ。志村は少し声を上擦らせながら続けた。
「ま、まあ先輩を驚かせることができたのでよしとしましょう」
「それも、すまん。驚いたってのは志村の格好じゃなくて。なんというか、おみくじがな」
「……どういうことです?」
怪訝そうな、少しがっかりした様子だ。
おみくじを掲げる。
「こういうのあまり気にしないんだが、これだけ即効性があるなら少しは信じてみるかって思ったよ」
こちらに再び顔を向けた志村に、おみくじの『待ち人』の欄を指差してみせた。
そこには、こう書いてあった。
待人:良縁は近くにある。隣を見よ。
「――ご利益があるのなら、私も引いてきます!」
数秒固まった後にそう言って、志村は俺と同じおみくじを引きに行った。
危ない。
先輩がまさか真正面から褒めてくれるとは。普段ならあり得ないことだ。私がこれを引き出すのに、毎度どれだけ苦労していることか。今日の先輩は浮き足立っているみたいだ。正月だからではなく、私とだからテンションが上がってくれているならもっといい。
おみくじも、危なかった。
先輩は私が来るのを待っていた。だから今日の待人とは私のことだと思っているのだろう。でも確か、おみくじの待人は、帰りを待つほど大切な人、転じて、友情や恋愛関係の意味合いを含む。おみくじには『恋愛』の項目がなかったから、確定的だ。
顔の火照りを寒さのせいにして、私も同じおみくじを引いた。
ビニールの外装から出てきたのは、蝶々のストラップ。ご利益はなんだろう。
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