第4話 どんな事をしたと思う?

 あの日からチハルちゃんはおかしくなった気がする。

 頻繁にうちに来て、来れば必ずキスして世話を焼く。出かける用事がある時も、代わりに行くと言い出したりついてこようとする。

「これじゃ軟禁みたいなもんじゃん!」

 怒る私を無視して、チハルちゃんは手作りのオムライスを私にあーんしてくる。私はスプーンを奪い取って自分で食べた。

「ユカちゃんが、前に変な人とワンナイトしたから心配で」

「してないって!本当に泊めてもらっただけ」

「酔っ払ってたなら、本当は何されたかわかんないじゃん」

「なんかあったらわかるでしょ、多分」

「わかんないよ。ユカちゃんはわからない」

「何でそんな事わかるのよ……まさかチハルちゃん、私が寝てる時に何かしてるんじゃないでしょうね!?」

 私が睨むと、チハルちゃんは寂しそうに首を横に振った。

「してない。私は起きてるユカちゃんにしかしてないもん。ズルい……」

 そう言ってじっと私の顔を死んだような目で見つめた。

 今まで男の人と付き合ってきてもこんな顔されたことはない。何がチハルちゃんの気に障ってしまったのだろうか。



 でも、別にチハルちゃんがなんと言おうと関係ない。

 その日、私はチハルちゃんの目を盗んでまたウオさんのバーに向かっていた。

 あの日の事をちゃんと聞きたかったのだ。

 ウオさんのお店を調べたら、夕方からやっているようだったので、開店すぐの時間を狙って訪ねることにした。

「ユカちゃん」

 声をかけられてビクッと私は飛び跳ねた。

「チ、チハルちゃん何で?この時間仕事じゃ?」

「ユカちゃんが今日休みなはずなのに私に黙って出かけたのを見たから、急遽休みにした」

 え?見たってどこから?私はギョッとして、慌ててスマホを取り出した。

「私のスマホに、勝手に追跡アプリ入れたでしょ!」

「ユカちゃん案外気づかないよね」

 チハルちゃんは反省の色なしにケロリと言った。

「で、今からどこに行くの?」

「チハルちゃんに関係無い。帰ってよ」

 私はチハルちゃんを撒くように早足であるき出した。

「待ってよぉ」

「ついてこないで!」

 そうしているうちに、ウオさんのバーの前まで来てしまった。

「ここ?ユカちゃんが前に泊まったバーって」

 私の目線で気づいたのか、チハルちゃんがバーを覗き込んだ。

 すると、チハルちゃんを見たウオさんが店の中から顔を出した。

「どうぞ、営業中ですよ。あれ、ユカちゃん?」

 ウオさんは、チハルちゃんの隣にいた私に声をかけてきた。

「また来てくれたんだ。あ、この人友達?」

「あ、その……」

 私はしどろもどろになってしまった。

 チハルちゃんはウオさんをじっと見つめた。

「この人が美人店員さん?」

「美人だなんて、照れるね」

 ウオさんはそう言いながらも、言われ慣れている様子で、サラッと聞き流したようだ。

「席空いてるよ」

 仕方なく私は、チハルちゃんと一緒にバーの店内に入った。


 バーでは、まさかの家族連れが二組ほど先客としていた。ごく普通に定食のようなものを食べている。

「この時間は、バーっていうか定食屋みたいな感じになってるの」

 そう言って笑うウオさんは、前回のような色気のある美人でなく、その辺にいる気のいいおねえさんのような雰囲気を醸していた。

 あんなに幻想的な金魚だって、こうしてみると、懐かしい庶民的な雰囲気になっている。

「お酒何作る?定食メニューも見る?」

「定食は大丈夫です」

 私は断った。私はその辺にいるようなおねえさんに会いに来たのではない。あの日の、少し幻想的な金魚に囲まれた、綺麗なウオさんに会いにきたのだ。

「お酒のメニューを……」

「強いのは酔っ払っちゃうからだめ。店員さん、弱いのをこの子にお願いいたします」

「ちょっと、チハルちゃんには関係ない」

 私が文句を言った途端、ウオさんは、パッと顔を上げた。

「あ、その子がチハルちゃんなの?」

 え、と私とチハルちゃんは驚いたようにウオさんを見た。

「なんでチハルちゃんの事知ってるんですか?」

「前に酔っ払って愚痴ってた。チハルちゃんっていう友達と絶交してて寂しいって」

「えっ」

 私は思わず顔が真っ赤になった。寂しいなんて、そんな事言ったのだろうか。でも、確かにあの日、絶交しちゃって……とか言った気はする。

「仲直りできたみたいだね。あ、弱めの酒だっけ?じゃあロックの金魚は駄目ね。チハルちゃんは何を飲むの?」

 ウオさんは捲し立てるように言った。

「どこまで、したんですか」

 チハルちゃんが唐突にウオさんの背中に問いかけた。

 ウオさんは無表情で振り向き、チラリと家族連れのお客さんの様子を見た。家族連れのお客さんは、話に夢中でこちらの方には一切興味ある風はない。

「ユカちゃんに、あの日、どこまでしましたか」

「どこまでって?なんの事?」

「しらばっくれないで下さい。あの日、ユカちゃんの首筋に……」

 最後まで言わせない、とでも言うように、ウオさんはチハルちゃんの口に人差し指を当てて、シーっと片目を閉じた。

 その様子はとても色っぽくて、私は空気も読まずにウオさんに見惚れてしまった。

「他のお客さんもいるから、ね」

「答えて下さい」

 チハルちゃんはしつこい。

 すると、ウオさんはチハルちゃんではなく私の顔を見つめて言った。

「女のコって、どこまでしたら、したってことになるんだろうね」

「え?」

 私は思わず聞き返した。どういう意味が全く分からなかったのだ。

 ウオさんは他のお客さんに聞こえないように小さな声で言った。

「ほら、男の人なら性器を入れたらしたってことになるでしょ?それをしなかったらとりあえず未遂ってことにできる。じゃあ女のコは?チハルちゃん、あなたはどう思う?」

「……それって、性器を入れてないからしてない、って言いたいんですか?他にどんな事してても?」

「どんな事したと思う?」

 ウオさんの、さっきまでの気のいいおねえさんの雰囲気は一切消えていた。

「ユカちゃん、何も覚えてないよね?じゃあ何も無かったんじゃない?」

 薄い色のグラスを差し出しながら、ウオさんは私の顔を覗き込んだ。私は一生懸命あの夜の事を思い出そうとしたが、全く思い出せない。


 ふと気づくと、他のお客さんは帰ってしまっており、店内には、私とチハルちゃんとウオさんと、金魚だけしかいなくなっていた。

「私、何かウオさんとしたんですか?」

「今夜再現する?」

 からかうようにウオさんが私に言ったので、私は真っ赤になった。チハルちゃんが鬼のような表情で、ぐいっと私の体を引っ張って立った。そして、ウオさんを睨みつけ、お金をカウンターに叩きつけた。

「帰ろうユカちゃん」

「あら、怖いね」

 クスクスとウオさんは笑った。

 私を引っ張って出ていこうとするチハルちゃんの背中に、ウオさんは呼びかけるように言った。


「ごめんね、イジワル言っちゃって」


 ウオさんの言葉に、私は思わず振り向いた。

 ウオさんは優しい顔をしていた。

「ユカちゃんも、少しチハルちゃんに素直になりなよ。自分の思ってる事を伝えて」

「私が思ってる事?」

 なんの事やらさっぱり分からない私は、ウオさんに聞き返そうとした。途端にチハルちゃんは思いっきり私の耳を塞いだ。

「ユカちゃんに偉そうに言わないで。私は全部わかってる」

「あらそう、よかった」

 ウオさんは微笑んだ。

 チハルちゃんは私の手を掴んで店を出た。


「チハルちゃん?あの、さっきのどういう意味?わかってるとかわかってないとか」

 私は駅に向かって歩くチハルちゃんの背中に問いかけた。

 チハルちゃんは立ち止まり、私の方を向いて近づき、そっとキスをくれた。

「ユカちゃんは知らなくていいの。私だけが知ってればいい。ほら帰ろ。いっぱい甘やかしてあげるから」

「えー」

 そう不満そうに声を上げる私に、チハルちゃんは楽しそうな顔を向けるのだった。






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