第3話 他の人の匂い

 金魚の夢をみていた。

 真っ赤な金魚が激しく動いている。苦しいのだろうか。違う……。


 朝、目が冷めると妙に体がダルかった。

 二日酔いだろうか、と私は体を起こした。

「えっ?何で?」

 私は自分の姿を見てギョッとした。

 服を着ていない。下着も何も。

 そして周りを見渡せば知らない部屋。至ることろに水槽がおいてある。水槽?

「おはよう」

 声をかけられてビクッと振り向くと、化粧をしていない、ラフな格好をした昨日の店員、ウオさんが立っていた。

「始発出てるよ。帰る?シャワーでも浴びて帰る?」

「あ、あのっ私昨日何かしでかしてませんか?服着てないし、もしかして吐いて汚しちゃったとか」

「いやユカちゃんは何もしてないよ。ほら、そこに脱ぎ散らかしてるのあるよ。暑くて脱いだだけでしょ」

 ウオさんの指さしたところには、確かに無造作に脱ぎ散らかした私の服があった。あまりの行儀の悪さに、私は恥ずかしくて縮こまった。

「なんかすみません」

「シャワーは?」

「いえ、大丈夫です」

 私は服を掻き集めながら首をふる。

「お世話になりました。あの、布団のクリーニング代とか……」

「いらないよ。友達にでもうちの店宣伝しといてよ。なんかSNSとかで褒めておいてくれれば嬉しいかな」

 ウオさんはあっけらかんと要望をだす。

「本当にありがとうございました。またお店来ます」

 私は服を着て、帰り支度をしながらそう言った。


 ウオさんとたくさんの金魚に見送られて、私はバーを出た。

 朝日が眩しくてフウとため息をつきながら駅に向かう。二日酔いだろうか。運動後のように息が苦しい。水槽から逃げ出した魚にでもなったかな、と変な事を思ったのは、さっきまで金魚に囲まれていたからだろうか。



 電車に揺られて自分のマンションの部屋に戻ると、ドアの前に誰かがしゃがみこんでいた。

 誰か、なんてすぐに分かる。チハルちゃんだ。

 チハルちゃんは、私の姿を見ると、はっと立ち上がった。

「ユカちゃん!どこ行ってたの」

 私に駆け寄って詰め寄ってきた。

「関係無いでしょ」

「関係無いなんて……私心配して」

 チハルちゃんは目に涙を浮かべた。すぐチハルちゃんは泣く。泣きたいのはこっちのときだってあるのに、腹立たしい。

「ごめんね。ちゃんと私ユカちゃんに謝りたくて。でも全然電話出てくれないし。だから来たんだけど全然ユカちゃん帰ってこなくて……」

「……一晩中ここにいたの?」

 私の問いに、チハルちゃんはコクンと頷いた。

 私は大きなため息をついて見せて、部屋の鍵を開けた。

「入って。風邪でも引かれたら困る。朝ごはんも食べてないでしょ」

 私の言葉に、チハルちゃんは嬉しそうに頷いて、あとについて部屋に入ってきた。

 結局私はチハルちゃんを突き放せないのだ。

「座って。なんか朝ごはん作るからシャワーでも浴びてれば?私も昨日シャワー浴びてないし……」

「ユカちゃん」

 台所に立つ私を、チハルちゃんは急にギュッと抱きしめてきた。

「ちょ、今包丁使うからあぶな……」

「ユカちゃん、ごめんねごめんね」

 そういって、私の顔を強引に後ろに向かせて、頬に何度もキスをしてくる。

「ごめん。今回は本当にやりすぎちゃった。ごめんね」

「そう言ってもまたやるくせに」

 私はふてくされた。

「チハルちゃんは私が幸せになるのが気に入らないんでしょ」

「私はずっとユカちゃんが幸せになってほしいと思ってる」

「ともかく離して。ごはん食べないの?」

「食べる」

 そう言いながらもチハルちゃんは離してくれない。それどころか、私の体ごと後ろに向かせてくる。そして頬だけでなく、口や首筋にも口づけしようとした、その時だった。

「ユカちゃん、昨日どこにいたの」

「だから、チハルちゃんには関係ないって」

「どこにいたの」

 再度、今度は強い口調でたずねてくる。

「電車乗り過ごして……で、そのたまたま降りた駅の近くのバーで、泊めてもらったの」

「バーで?」

 チハルちゃんは顔をしかめた。

「そこの店員さん、いい人だったよ。お酒注文したら泊めてくれて。お店の中にいっぱい水槽があってね」

「いい人だからって、知らない男の人のことに泊まるなんてだめだよ」

「は?」

 ああ、と私はチハルちゃんが何か勘違いしていることを悟った。

「その店員、女の人だよ。すっごい美人でね、お酒作るのもきれいで」

「女?」

 チハルちゃんは私の首筋を撫でながら驚いたように聞き返した。

「女の人……?ユカちゃん、女の人に身体を許したの?」

「いや、泊めてもらっただけだって」

「じゃこれは何?」

 チハルちゃんは強い力で私を引っ張って、鏡台の前に連れて行く。

 そして、私を鏡の前に座らせた。

「これ、キスマークでしょ」

「は?」

 私は鏡を覗き込んだ。

 確かに、肩に近い首筋に、服から見えるか見えないかくらいのところに、小さな赤い印があった。

「え?なにこれ知らないけど」

「嘘。心当たりは?」

「ないって!知らないよ」

 そう言ってから、ふと私は口を押さえて思い出した。

 そう言えば起きたら裸だった。でも何もしてないっねウオさんは言ってたし……。……いや違う。何もしてないって言ってた。ならウオさんが?どうして?あの人は女の人が好きなのだろうか。

「何考えてるの?昨日の事?やっぱりなんかあったでしょ。ねえユカちゃん、私じゃない女にキスさせたの?」

 チハルちゃんは怖い顔で問い詰める。

「知らない。だって私昨日酔っ払って寝ちゃって」

「酔っ払った人に仕掛けるなんて、最低」

 チハルちゃんは自分の事を棚に上げてなじり、私を押し倒し、首筋に顔を近づける。

「そう言えばなんとなく違う人の匂いがする」

「匂いなんか分かるわけ無いでしょ」

「する。絶対ほかの女の匂いだ。ユカちゃん、朝ごはんなんていいから、先にシャワー浴びよう」

 チハルちゃんはそう言って、私を浴室に押し込んだ。

 チハルちゃんが強引になってしまってはもう私は面倒で抵抗出来ない。

 そのまま洗われて、拭かれて、キスされて、朝ごはんなんか食べる余裕もなく昼になってしまった。


「もうその人に会いに行っちゃだめだよ。絶対悪い人だからね」

 チハルちゃんは私を抱きしめながら何度もそう言うのだった。







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