♪ Take19 誰にも譲れない!

 シンと静まり返る部屋の中で、一瞬、明日菜が身体を震わせる。

 まさかひとみに当たるとは思っていなかった明日菜は、この光景に動揺した。


 そして自身の行いに「しまった」という顔をする明日菜とは対照的に、ひとみはたれた頬をそのままにして、毅然とした態度で明日菜に向かってこう語り掛けた。


「陣内さんが私を煙たがるのは分かります。だけど私も引けません。この役だけは絶対に誰にも譲れません。私が輪久です!」


 そう高らかに宣言をするひとみに、プライドを傷付けられた明日菜が再度激しく激高した。


「……何よ、あんたまで。本当に生意気ね!今すぐここから出て行って!」


 そう言って二発目のビンタをひとみに浴びせようと、明日菜が襲い掛かったそのときだった。


 パシッと明日菜の右腕を掴んだ久石が厳しい顔をして、明日菜の方を見る。

 そして呼吸を整えると、静かに地を這うような低い声で、明日菜に向かってこう語り掛けた。


「出ていくのは、陣内さん。君の方だ」

「久石さん!?なんで!?なんで明日菜が出て行かなくちゃいけないのっ!?」

「歩君の言う通りだ。どんなに十七という君の年齢をかんがみても、君は余りにも人間として未熟だ。そんな器の浅い人間に輪久を演じて欲しくは無い」

「私も久石君に激しく同意するぞ。陣内君、これ以上私の可愛い輪久を汚さないでくれたまえ」


 出て行けと言われるのは歩とひとみだと信じて疑わなかった明日菜は、ズタズタにプライドを傷つけられショックを受ける。


「……大人って本当に信じられない!良いわよ、こんなクズな役。汚れ役の先輩の方がお似合いだろうから、喜んで譲ってあげるわっ!」


 そして明日菜は捨て台詞を吐くと、急いでスタジオから出て行った。




「ひとみさん、大丈夫ですか!?」

「牧野君、今すぐ頬を冷やした方が良い」


 明日菜に強く打たれ、その頬を真っ赤にしたひとみを心配して歩と凛は駆け寄る。


 そんな二人に、ひとみは明るく笑ってこう答える。

 

「私は大丈夫です。寧ろお二人が私の言いたかったことを、代弁してくれたおかげでスッキリしました」


 明日菜が出て行ったあと、スタジオの冷蔵庫からありったけの氷を持ってきた久石が、赤く腫れあがったひとみの頬に、上からタオルで包んだ氷の入った袋を当てる。


 そしてひとみの傷が軽いことを確認し安心した一同は、ほっと胸を撫で下ろした。


 久石は「責任者である自分が居ながら、今回の件を防ぐことが出来ず申し訳ない」とひとみに謝罪をする。


「いえ、久石さんのせいではないので、気にしないでください」と慌てて答えるひとみの様子を、歩はまだ心配そうに見つめていた。


「十条君。君がそんな顔をしていると、牧野君は後で自分を責めるぞ。だから無理矢理にでも明るく振舞いたまえ」


「今こそ男の真価が問われるときだ、十条君」と呟きながら、凛はいつもどおり淡々とした口調で言う。


 それにならって歩も、ひとみに自身の不安や心配を諭されないように、普段通りに振舞った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る