後編

「それじゃあ、お布団敷いておいたでしゅから。ゆっくりお休みなしゃい」

「うむ! では骸よ、しっかり護衛を頼むぞ!」

 あっという間に天狗姫は布団の中に潜り込む。私はと言えば、彼女の傍らに黙って胡坐をかいてじっと鎮座するだけだった。

 外はすっかり暗くなっている。時刻は夜中の十一時を過ぎているぐらいか。

 しばらく、私たちは沈黙を貫いた。

 天狗姫はもう眠ってしまったのだろうか――。少しだけ気にはなっているが、そちらに意識を向けるわけにはいかない。

「寝た?」

 小声で私は聞いてみることにした。

 だが、返事はない――。

 寝たか、と私は安堵のため息を吐いた。

「……んで、わらわの元を去ったのじゃ?」

 ――えっ?

「……起きている?」

「まだ寝てはおらぬ。それよりも、質問に答えろ」

 ――ううむ。

 私は口を噤んだ。

 意を決して言うべきだろうか。それとも白を切るほうがいいのだろうか。何にせよ彼女を傷つけるような真似だけはしたくない。

「それは、その……」

 どうしようか、とたどたどしく話すのが精一杯だった。

「……分かっておる。決して、この島が嫌になったわけではないのじゃろ。何か、やりたいことがあったということは分かる」

「なら……」

「けどッ!」布団の中から怒鳴り声が聞こえてきた。「わらわに何も言わず出ていくなど、あまりにも酷いじゃろう……。さっき怒っていたのは半分は本心じゃぞ! 何故、なぜこの島を……、わらわを……、捨てたのじゃ……」

 次第に涙声になっていく。ガチ泣きだ。

 段々と、私はこの場に居たたまれない気持ちになってきた。

「それは……」

「わらわ、の……、こと、を……」

 天狗姫の声色が段々苦しそうになっていき、同時に私の肌に刺すような痛覚が襲い掛かってきた。

「マズい!」

 天狗姫が頭を抱える。

「う、わあああああああああああああああッ!」

 もがき苦しむ天狗姫の声が大きくなっていった。

「ど、どうしたんでしゅか!?」

 この状況に気付いたのか、間敷が部屋にやってくる。

「妖力が……、制御できなくなっている!?」

「え、一体どういうことでしゅ……?」

「説明している暇はない! このままだと天狗姫の力でこの島を破壊しかねないぞ!」

「え、ええええええええええええええッ!?」

 流石の間敷も狼狽えてしまっている。当然だろう。

 ――こうなったら。

 私は懐から、小さな巾着包みを取り出した。

「今、助けてやるから……」

 中には金平糖程度の小さな赤い玉が二粒入っている。

「う、たす、けて……」

 天狗姫の呻き声が段々と強くなってきている。一刻も早く彼女を助けてやらないと……。

 水、水……。

 いや、今水を汲みに行っている暇はない。

 一か八か、私はその丸薬を口に含んだ。

「な、何するんでしゅか……」

 ――ええい、ままよ!

 私は口に丸薬を含んだまま、天狗姫の顔に近付けた。

 そして、そのまま……、

「ん、んんんんんんんん!」

 彼女の口と自分の口を、重ね合わせた。

「ンン!?」

 唾液を通して、丸薬を彼女の口に注ぎ込んでいく。そしてそのまま、ごくり、と飲み込んでしまった。

 ぷはぁ、と私は静かに口を離した。

「ななななななな……」

「何を……」

「しているんでしゅ……」

「何をやっておるのじゃあああああああああああああああああああああああああッ!」

 ぽかんと呆気にとられたまま、天狗姫と間敷の声が社内に響き渡った。

「こんな大変なときに、なんて破廉恥なことをやっているんでしゅか! 天狗姫しゃまの妖力が溢れだそうとしているときに……、って、あれ?」

「お、おお!」

 天狗姫は目を何度も瞬きさせて、掌を見る。熱を測るように額にも触れて呆気に取られている。

「もしかして、治った、でしゅか……」

「うむ! さっきまで全身が溶けるように熱かったが、もうすっきりと戻っているぞ!」

 ――ふぅ、やれやれ。

 私は口元を拭いて、二人を見据えた。

「これが、私がこの島を出ていった理由、だよ」

「えっ……?」

 二人はきょとんと私の方を見てきた。

「覚えているか? 昔、森で探検していた時にさっきみたいなことになってしまったことを……」

「あ、あぁ。確かあの時は……」


 ――そう。

 その日、強烈な妖気を発した天狗姫を、私はなんとか麓まで負ぶっていった。

 彼女の身体が焼け石のように熱かったこと、そして妖気で頭がくらくらしてしまったこと……。今でも鮮明に覚えている。

「幸い、あの時は一晩寝たら治ったけどな」

「確かに……、今のはあの時とよう似ておった」

「でもそれが島を出ていったのと何の関係があるんでしゅ……」と言いかけたところで、間敷ははっと気が付いたような顔になった。「もしかして、骸しゃまは天狗姫しゃまを治すために――」

 私はこくり、と頷いた。

「本土の、とある大学にな、妖のことを研究している先生がいるんだよ。私はそこに入学して、先生のゼミで研究の手伝いをしている」

「それはもしかして……、わらわのために……」

 もう一度、私は黙って頷いた。

「またさっきみたいなことになったら大変だからな。ただでさえお前の妖力は平常時でも強大だから、暴走したときに抑える薬を開発したい。そう思ってな」

「では、先ほど飲ませたのは……」

「妖力を抑える薬だ。まだ試作品だから一か八かの賭けだったけどな」

「そうじゃったのか……。すまない、わらわのために……」

 天狗姫が申し訳なさそうに頭を下げる。

「いや、いい。それに、天狗姫だけじゃない。この島に住む皆……、全ての妖たちが過ごしやすいように、私は妖の医者――妖医としていずれは戻ってこようと思っている。いや、絶対に約束する!」

 私が高らかに言い放つと、天狗姫は顔を真っ赤にして、ボロボロと泣きだした。

「な、なんじゃ……。この島を、捨てたわけではなかったの、だな……」

「当たり前だろ」

「わらわは、わらわは、ずっと、寂しかったのじゃぞ……。それならそうと、言ってくれれば……」

「悪かったな。出来ることなら妖力のことも隠しておきたかったから……」

「うっ、うっ……」

 私はそっと、姫を抱きしめた。

 腕にじんわりと彼女の涙と吐息の温もりが伝わってくる。

 やがて、それは少しずつ収まっていったかと思うと――、

「すぅ……」

 今度は寝息へと変化していた。

「疲れて寝てしまったみたいでしゅね」

「薬がしっかり効いてくれた証拠だ。やれやれ、これで“こっちは”一安心、だな」

「“こっちは”?」

 不思議そうに見つめる間敷を余所に、私は天狗姫を再び布団に寝かしつけると、外へと向かっていった。

「さて、と……。お姫様を寝かしつけたところで、騎士はお仕事と行きますか」

 私は上空を眺める。

 暗い空を、更に埋め尽くすかのような黒い物体の数々。山伏のような姿をしているが、顔は真っ黒な鳥ばかりだ。そして、それにふさわしい黒い羽も背中から生えている。

 恐らくざっと五十はいるだろう奴らを、私はじっと睨みつけた。

「か、烏天狗族……、でしゅ」

「どうやら既に取り囲まれていたみたいだな」

 私は表へ出ると、奴らをしっかり睨みつけた。

「貴様が天狗姫の護衛か?」

「そこをどいてもらおう。我々とて無駄な殺生は好まぬ」

 ――ったく、コイツらは。

「天狗姫の命を狙っておいてそれはないんじゃない?」

「これは意味のある殺生。我々の脅威となるべき者は、若い芽のうちに摘み取っておかねばならぬ」

 どうやら話にならないみたいだ。

 私は頭をポリポリと掻いてもう一度睨みつける。

「烏天狗族の皆さんさぁ。私だって無駄な戦いは好きじゃないんだよね」

「笑止千万! そこをどかねば貴様の命も……」

 ――はぁ。

 何か話しているけど、こうなったら仕方ないね。

 私は懐から、またもや丸薬を取り出した。

「その、薬ってさっき天狗姫しゃまに飲ませた……」

 確かに形は似ている。けど、これはそれとは違って濃い緑色をしている。

 私はそれを口に含み、ごくりと飲み込んだ。

「さっきのは天狗姫の妖力を抑えるもの。んで、私はちゃんと開発しているんだよね。逆に、妖力を思いっきり増幅させる薬も、ね」

 私は不敵に微笑んだ。

 と、同時に、私の身体が一気に熱くなる。心地いい。

「なっ……」

「なんだ、この強大な妖力は……」

 周囲の間敷や烏天狗どもは、そんな私を見て唖然としている。

 私は手に力を込めた。妖力が自分でもくっきりと分かるぐらいに溢れ出ている。さっきの天狗姫といい勝負かも知れない。

 妖力を更に込めていく。身体から真っ白な骨が一本、掌から出てくる。それは鋭い刀へと変貌し、私の掌中に納まった。

骸刃むくろば銀骨ぎんこつ”……」

「な、何なのだ、その奇妙な刀は……」

「まさか貴様……」

 私は刀を構え、切っ先を奴らに向けた。

「さて、そろそろ自己紹介といきますか。私は大妖怪“ガシャドクロ”の妖巡り、骸! んで、今は妖医見習いの人間っぽいことをしている普通の女の子で、天狗姫を護る者」

「ガ、ガシャドクロ、だと……」

「おい、我々の手に負える相手ではな……」

 狼狽える烏天狗たち。私は更に、これ見よがしに妖力を噴出させた。

「さぁて、烏ちゃんたち。どっからでも掛かってきな!」


 翌日――。

「昨日はよく眠れたかい?」

「うむ。おかげさまでぐっすりじゃ」

 天気は晴れ。穏やかな港で、私と天狗姫は和気藹々とおしゃべりをしていた。

「そっか、それは良かった」

「しかし、結局烏天狗族は襲ってこなかったのう。一体何だったんじゃ?」

 私はくすっと微笑み、

「さぁてね。恐れをなして逃げたんじゃない?」

「そう、かのう?」

 天狗姫が首を傾げているのを見据え、私はふと傍らにいる間敷にウィンクを送る。間敷は少しだけ怯えているが、なんとか「そ、そうでしゅよ」と話を合わせてくれた。

「おっと、そろそろ出港かな」

「戻って、しまうのか……」

「あぁ。まだあっちでやるべきことが残っているからね」

「……今度はいつ、戻って来てくれるんじゃ?」

 天狗姫が寂しそうに私の方を見てくる。

「まだ分からないよ。けど、きっと戻ってくる」

「本当か?」

「本当だ」

「本当に本当か?」

「本当に本当の本当だ」

 と、キリのないやり取りをしていると、おもむろに天狗姫は私の胸に飛び込んできた。

「約束、じゃぞ……」

 顔を赤らめて、私と天狗姫の顔の距離が近くなっていく。

 その距離は、段々と、ゆっくりと、そして――、

「だあああああああああかああああああああらあああああああああああッ! 何やっているんでしゅかああああああああああああああああああああああッ!」

 間敷の怒鳴り声に、二人ともはっとなってしまう。

 そうこうしているうちに船がやってきた。クソッ、良いところだったのに……。

 私は船に乗り込む。そして出港するまでの間、ずっと天狗姫のほうを眺めていた。

「絶対に、帰ってくるからなああああああああああああああッ!」

「約束じゃぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 そうして――、

 船が島から離れていくと同時に、見えなくなるまで私たちは見つめ合っていた。


 ――あぁ、約束するとも。

 私は立派な妖医として、絶対にこの島に戻って来てやる!


 妖島――。

 この島には人間はいない。

 だけど、ここには人間以上に、人の心を持った者たちが住んでいる。良い意味でも、悪い意味でも。

 そんな島で――、

 二人の妖の恋が芽生えるのは、もう少し先の話であった。

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妖巡りて 百合萌ゆる 和泉公也 @Izumi_Kimiya

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